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『ダブドリ Vol.11』インタビュー02 寺嶋良(京都ハンナリーズ)

2021年4月30日刊行の『ダブドリ Vol.11』(株式会社ダブドリ)より、寺嶋良選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。聞き手は、東京羽田ヴィッキーズアカデミーなどで講師を務める丹羽裕美さんです。

昨シーズン特別指定で京都に加入し、鮮烈なB.LEAGUEデビューを果たした大学生は今シーズン、プロ選手として再び京都の地で躍動している。「ダブドリ」に出たいと公言していた寺嶋良のバスケストーリーからプライベート、ここでしか聞けない過去の恋バナまで、元プロバスケ選手で、現在はバスケ講師を務める丹羽裕美が寺嶋良ばりのドライブとアシストでとことん迫った。(取材日:2月4日)

そのストリートコートで、彼に梅丘中学校に誘ってもらったんです。

丹羽 昨年まで東京羽田ヴィッキーズでプレーヤーをしていて、今はバスケ講師をしている丹羽です。早速ですが、バスケを始めたきっかけやエピソードを教えてください。
寺嶋 バスケを始めたきっかけは、3つ上の兄の影響です。僕が幼稚園の頃に兄がミニバスに通い始めて、そのミニバスは小3から参加できるルールだったんですけど、僕がどうしてもバスケがしたくて、小1から通わせてもらいました。
丹羽 見てて、「やりたい!」と?
寺嶋 そうですね。ボールを触ったり、横のリングに投げたりしていました。
丹羽 チームは強かったんですか?
寺嶋 強くはなかったです。練習も週1、2回ぐらいで、地区大会に出ても、上位には行けないチームでした。小学校3年生ぐらいの時に東京アパッチ(当時bjリーグ)ができて、それを見て「プロを目指したい! このままじゃダメだ!」と思って、もうちょっと強いチームに行きたいと親に相談しました。結果的に隣町のチームに入ったんですけど、そこも1、2年やって、全国大会に出るようなチームに行きたいと思って、もう1回チームを変えました。最後のチームは通うのに1時間半かかったんですけど、親に色々無理言って通わせてもらいました。
丹羽 転校? それともバスケだけ?
寺嶋 バスケだけです。都大会でも優勝できたし、大変なことはありましたけど、そのチームでよかったですね。
丹羽 中学校はそのまま東京ですか?
寺嶋 そうですね。世田谷区の梅丘中学校に通いました。公立の中ではすごく強い中学校で、先輩だと杉浦佑成選手(島根)とか、坂田央選手(愛媛)などがいます。
丹羽 中学校のときの成績は?
寺嶋 全国大会までは行きました。
丹羽 すごい。その後は洛南高校へ。なぜ洛南にしようと思ったんですか?
寺嶋 僕はストリート出身というか……練習場所がなくて、近所の公園とかでバスケをしていて、そこで知り合ったのが伊藤諄哉くん(三井住友銀行)でした。彼は梅丘から洛南、そして早稲田に行った人なんですけど、僕はそのストリートコートで、彼に梅丘に誘ってもらったんです。それから彼が洛南に行くと言ったので、僕も「洛南追いかけます!」って。
大柴 ストリートコートで出会ったのは小学生の時ですよね? そんなアツい会話が小学生同士の間で繰り広げられてた。
寺嶋 当時、中学を迷っていたんですけど、僕は直感的に「梅丘じゃないとダメだ」と思いました。伊藤諄哉くんが「梅丘に来なよ」と言ってくれたのがきっかけで、今がありますね。そこで出会っていなかったら今の僕はないです。
丹羽 洛南ではどうだったんですか?
寺嶋 洛南は、周りは中学から名の売れているスター選手ばかりで、毎回の練習が貴重というか新鮮ですし、厳しかったです。2年生のときはインターハイ3位になったりしたんですけど、僕の代はいい結果が出なくて。でも、洛南に行ったからこそ、今京都にいるとも思っています。
丹羽 洛南だと親元を離れるじゃないですか? そこに対して不安とかはありませんでした?
寺嶋 全くなかったです。寮生活とかも楽しそうだなと感じました。親はすごくあったみたいですけど。
丹羽 寮はルールとかありました?
寺嶋 すごくありました。まず、電化製品禁止で、携帯もそうですし、冷蔵庫もダメでした。あとテレビもダメでした。
丹羽・大柴 アハハ。
丹羽 上下関係とかありましたか?
寺嶋 思っていた以上になかったです。優しい先輩ばかりで。1年生の時の3年生は緊張しましたけど、お風呂とかで一緒になると色々アドバイスをくれました。
丹羽 自分の代はあまり成績がよくなかったということで、最上級生としてモチベーションを保つのは大変ではなかったですか?
寺嶋 大変ですし、僕の代は京都大会で45年ぶりに負けたんですよ。それはもう……プレッシャーというか、負けたあとは絶望でしたね。バスケ人生で1番辛かったと思います。東山に負けて、しかもちょうどこの体育館なんですよ。
丹羽 えーっ! 思い出の。
寺嶋 覚えていますね。そっちの奥のコートで試合をしていました。常勝校としてプライドもありましたし、最後のインタビューの時は涙が出そうでしたね。
大柴 東山には留学生いました?
寺嶋 パトリックというすごくいいセンターがいて、岡田侑大選手(富山)とかもいて強かったです。でも、その2週間後に近畿大会があって、そこでは勝ったんですよ。その悔しさをバネに。

京都が1番最初に声をかけてくれました。それが何かの縁だなと。

丹羽 そこから東海大学に行かれるんですけど、東海大学に行くことはいつごろ決めたんですか?
寺嶋 それもこの体育館ですね。
丹羽・大柴 (笑)。
寺嶋 何かの試合のときに、ちょうど陸さん(陸川章/東海大学HC)が来ていて、その試合が終わったあとに、陸さんに呼ばれて、そこの入り口のところでずっと話しましたね。この体育館、本当に思い出が詰まっているんですよ。いい意味でも悪い意味でも。
丹羽・大柴 ハハハ。
寺嶋 東海は目標というか、スターが集まる夢のようなチームじゃないですか。誘ってもらった瞬間、即答でしたね。「東海に行きます」って。
丹羽 陸川イズム的なのありますよね?
寺嶋 そうなんですよ。僕自身、ポジティブな性格なんですけど、陸さんの影響でさらにポジティブになりました。陸さんはとにかく明るいんですよね。僕たちがミスした時も、全くネガティブなことを言わないんです。「次、頑張ろう!」という感じで、励ましてくれて。そこにみんな影響されて、ポジティブになっていくんです。
丹羽 ネガティブなことを言わないのは、怒らないのとは違うんですか?
寺嶋 怒らないのとは違いますね。
丹羽 練習中はどんな感じですか?
寺嶋 練習でも怒るとかはなくて、ダラダラしていると「俺たちが目指してるのはこんなとこじゃないだろ」みたいに注意してくれます。目標を再認識させてくれる。そういった掛け声が絶妙で、選手をやる気にさせるのがうまいんです。
丹羽 陸さんが、負けた日のダメなイメージは……。
寺嶋 24時間ルールですね!
丹羽 そう! 私も聞いたことがあって、現役中に勝手に実践していました。
大柴 めっちゃ影響力あるじゃないですか!
丹羽 お会いしたことは1、2回ぐらいしかないんですけど。陸川さんの言葉で持ち続けている言葉はありますか?
寺嶋 それこそ24時間ルールは今でも使っています。土曜日勝っても負けても、引きずっちゃう部分があるし、いい時は慢心、過信しちゃうというか。それを翌日の0時になったら忘れます。
大柴 いいことも忘れる?
寺嶋 いいのも忘れて、次のことを考えるようにしています。
丹羽 私はいいのは持っていくんですよ。
寺嶋 あー、どうなんですかね。なんだかんだ、持っていっちゃってる部分もあるんですけど(笑)。
丹羽・大柴 (笑)。
大柴 それこそ、琉球戦(第17節)は土曜日が僅差で負けて(86-89)、日曜日が僅差で勝って(87-85)。しかも2戦目で活躍してましたもんね。
寺嶋 あれこそ24時間ルールが活かされましたね。あとは……いっぱいありすぎて、パッと出てこないです。
丹羽 やっぱり選手生活の中で活かされていることが多いですか?
寺嶋 悩んだ時に、陸さんだったらどう考えるかな、あの人だったらこう乗り越えるんだろうなとか考えますね。
丹羽 すごい。大学卒業後に京都を選んだ理由も聞かせてもらえますか?
寺嶋 正直、色んなチームに行きたい気持ちがあったんですけど、京都が一番最初に声をかけてくれました。それが何かの縁だなと。ちょうど洛南に教育実習に来ていたので、練習に参加させてもらったんです。僕が高3の時に県大会で45年ぶりに負けた。その後悔とかもすごくありました。京都が声をかけてくれて、陸さんからも「お前は京都に行った方がいい」と後押ししてもらいました。考えた末に京都でやり残したことがあるなと思って、それで気持ちが決まったというか、もう一回、京都で挑戦しようと決めました。

寺嶋良締め用

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この後も、バスケの話から学生時代のこと、また趣味の読書についても語ってくださっています。恋愛の話も見開き1ページ分載っていますので、気になる方はぜひ。続きは本書をご覧ください。

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