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『ダブドリ Vol.11』インタビュー07 清水隆亮(Solviento Kamakura)

2021年4月30日刊行の『ダブドリ Vol.11』(株式会社ダブドリ)より、清水隆亮選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、所属等は刊行時のものです。

東京五輪から正式種目に採用される3x3。まだマイナー種目ながら、チームのGM兼選手として3x3専業で衣食する清水隆亮氏に話を聞いた。(取材日:2月22日)

実は僕、大学を途中で辞めているんです。

大柴 僕が初めて清水さんを知ったのは、TOKYO BEASTのT-SmoothとしてSOMECITYでプレーしているときなんです。まずはそれ以前のキャリアを教えていただけますか?
清水 バスケは中学に入ってから始めました。でも中学は弱くて、高校も推薦じゃないんです。
大柴 そうなんですね。
清水 地元ではバスケが強い春日部高校に一般受験して入りました。でも高校時代は順調で、2年生のときにスタメンになれたんです。国体チームに選んでもらいましたし、インターハイもベスト16まで行きました。
大柴 すごいですね。高校で国体に出て、インターハイに出たということは、大学は推薦ですよね?
清水 そうですね。
大柴 どちらの大学だったんですか?
清水 慶應(慶應義塾大学)です。
大柴 え、僕の後輩ですね(笑)。
清水 そうなんですけど、実は僕、大学を途中で辞めてしまったんです。推薦で入れてもらいながらコートで結果を出せない上に、コート外でも体育会の上下関係に馴染めずストレスが溜まっちゃって。そんな中、さらに2年生の途中で持病の膝が悪化してバスケをすることすらできなくなりました。
大柴 元々膝が悪かったんですか?
清水 シンディング・ラーセン・ヨハンソン病という膝が削れてしまう障害を持っていまして、それが悪化してバスケができなくなり、精神的に追い詰められて大学ごと辞めてしまいました。
大柴 大学を辞めたあとは何をやっていたんですか?
清水 地元に帰って、半年ぐらいニートしていましたね。
大柴 本当に追い詰められていたんですね。
清水 そうですね。あのときは人に会いたくなかったし、SNSもやりませんでした。母校にも慶應にも迷惑をかけてしまったという負い目がありましたね。
大柴 盛大に挫折したあと、どうやってバスケに復帰したんですか?
清水 まず、バイトを始めて徐々に社会復帰しました。そうしたら、バスケをやっていたデカい奴が帰ってきているらしいぞと噂になったみたいで、色んな人が一緒にバスケをやろうって声をかけてくれたんです。でも最初は全部断りました。
大柴 もう俺は終わったんだ、放っといてくれと。
清水 はい。本当にやりたくなくて。でも一人すごくしつこく勧誘してくれた人がいたんですよ。頼むから来てくれって。話を聞いているときに僕が「もうセンターはやりたくない」ってぽろっと言ったんですね。そうしたら「大きい選手はいっぱいいるからセンターはやらなくていい。フォワードをやってくれ」って言うんですよ。「え、そんなクラブチームあるんだ」と思って興味が出たのがきっかけです。
大柴 清水さんより大きい選手が揃っているということは、結構強いクラブチームだったんですか?
清水 いや、上手いチームではなかったですね。でも、すごく楽しかったんです。だから練習終わったあとのご飯にも行きました。そこで「明日試合なんだよ。来てよ」と言われて。
大柴 え、初日にですか?
清水 はい(笑)。全身バッキバキに筋肉痛になっている中試合に行ったんですが、何もできなくて。そうしたら申し訳なくなっちゃって「なんか悪いな」と思ってそのチームの練習に行くようになったんです。
大柴 それは何年前ぐらいの話ですか?
清水 多分8年前ぐらいだと思います。20歳で大学を辞めて、22歳でバスケに復帰しました。
大柴 1年以上プレーしていなかったんですね。
清水 バスケどころか運動もしていなかったです。そんな状態からの復帰だったんですが、復帰したらしたで徐々にバスケ熱が戻ってきました。いつも県大会の1回戦負けだったチームも、ベスト4に入るぐらいまでになりましたし、関東大会にも出て、僕は成年国体にも選んでもらって。

T-Smoothという名前は恥ずかしかったです。でもおかげで僕のことを覚えてくれる人も多かった。

大柴 その頃ってまだ5人制なんですね。いつから3人制を始めたんですか?
清水 成年国体に出たあと、KIKU(菊池亨)さんにTOKYO BEASTに誘ってもらったんです。BEASTで欠員が出たときに動けるデカい奴を探していたそうで、僕を誘ってくれました。最初は「お客さんの前でプレーするなんて無理です」って断ったんです。でも上手くなれそうだから練習に参加したら「翌日試合だから来てよ」と言われて。
大柴 出た、「明日試合来て」パターン。
清水 そうなんです。全く同じパターンで翌日山梨の甲府まで行ったんですけど、そのイベントがすごかったんですよ。賞金は30万円だか50万円だかかかっているし、参加チームも多いし、知ってる顔も結構いて、「こんな世界があるんだ」という感じでした。それがストリートボールとの出会いですね。
大柴 BEASTの練習には行ったものの、ストリートボールのことはあまり知らなかったんですね?
清水 かろうじてSOMECITY(TOKYO BEASTも参戦するストリートボールリーグ。FIBAルールとは違う独自のルールを採用)の存在は知っていました。
大柴 清水さんのプレースタイルって5人制より3人制の方が生きそうですよね。
清水 そうですね。まず走らないし。
大柴 あと、なんでもオールラウンドにできなきゃいけないし。
清水 はい。割と器用だったのが良かったみたいです。それでその後SOMECITYにも出るようになったんですけど、初めて出たときはすごく緊張したのを覚えています。
大柴 T-Smooth誕生の瞬間ですね。
清水 あの名前はマジで恥ずかしかったです。
大柴 自分で付けたんじゃないんですか?
清水 違います(笑)! SOGEN(樋口想現)が気づいたら勝手にあの名前で登録していました。しかも最初の頃はほとんど試合に出れなかったんですよ。KING(並木拓也)さんがガードで、フォワードがKIKUさんとSOGEN、センターに409(安室高志)がいて。あと、YUJI(佐藤裕二)さんっていう190㎝ぐらいでとんでもないダンクする人がいたから、僕はインサイドの三番手だったんです。
大柴 今更ですけど、SOMECITYにポジションという概念はあるんですか?
清水 何となくですけどありますね。当時のSOMECITYはセンター系の選手も結構いたのでインサイドの需要はあったんですが僕は実力的に出れず、「変な名前の髭生やした奴がBEASTのベンチにいるけど、全然出ねえぞ」という状況でした(笑)。あの名前のおかげで僕を覚えてくれる人も多かったので結果オーライですけど。
大柴 僕もその一人です(笑)。僕が観た試合はバリバリ主力でしたし。
清水 KIKUさんが抜けた時期があって、あとはYUJIさんが会社が忙しくて来れなくなってという人手不足もあって試合に出られるようになりましたね。

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このあとも、日本選手権での優勝や3x3世界大会への道、そして鎌倉での目標も語っていただきました。続きは本書をご覧ください。

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