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日本バスケの原石たち Vol.4 レバンガ北海道U18/赤根涼介

B.LEAGUE U18 CHAMPIONSHIP 3連覇を果たしたレバンガ北海道U18。2023年大会でMVPに輝いたのは赤根涼介だった。怪我を乗り換え、再び輝きを取り戻した原石は大学へと歩みを進める。そんな彼にBユースで過ごした6年間とこれからについて話を聞いた(取材日:3月5日 文・写真 宮本將廣)

自分の気持ちを尊重してくれて、サポートしてくれた両親の存在

宮本 高校3年間、中学から数えると6年間をレバンガ北海道のユースでプレーしました。どんな時間でしたか?
赤根 選手としてすごく成長できた時間だったと思います。プロクラブの下部組織という環境で貴重な経験ができました。自分にとってすごく大事な6年間だったと感じています。
宮本 そもそもレバンガ北海道のユースを選んだ理由はなんだったんですか?
赤根 自分は北海道内の地方出身(登別市出身)なので、中学から札幌などのバスケが強い中学に行きたいと考えていました。小学6年生のときに、レバンガ北海道U15のトライアウトがあることを知って、挑戦してみようと思ったことが大きな理由です。あとは小学6年生のときに地区の選抜メンバーに選ばれて、札幌で行われた練習会に参加したんです。テル(内藤耀悠/レバンガ北海道U18)も参加していたんですけど、当時から身長が高くてめちゃくちゃシュートがうまかったし、ドリブルもうまかった。今まで経験したことのないレベルのバスケットが楽しくて、もっと高いレベルに挑戦してみたいという気持ちになったことも大きかったですね。
宮本 地方から札幌で活動するレバンガ北海道U15に入るには、家族の協力が不可欠だと思います。家族を説得したみたいなことはあったんですか?
赤根 自分が「やってみたい」と伝えたら、両親も「頑張ってみなよ」と応援してくれました。なので説得とかは特になくて、自分の気持ちを尊重してくれたし、サポートもしてくれたので両親にはすごく感謝しています。

ボッコボコにされた中1のあの大会

宮本 トライアウトに受かって、レバンガ北海道U15へ入団しました。当時、インパクトを受けたことだったり、覚えていることはありますか?
赤根 ミニバスでは、自分が一番身長が大きかったのでインサイドのプレーが多かったんですけど、U15に入ってからは自分よりも身長の大きい人がたくさんいて、アウトサイドのプレーができるようにならないといけないなと一番最初に感じたことを覚えています。
宮本 U15に入ったときは170センチぐらいでしたよね? じゃあ、そこからもっとドリブルがつけないとダメだとか、アウトサイドのシュートが上手くならないとダメだと感じて、努力をしていくんですね。
赤根 そうですね。ちょうどその頃からNBAにはまりだして、ゴールデンステイト・ウォリアーズが全盛期だったんです。ステフィン・カリーがやばかったときだったので......。
宮本 12歳とかがウォリアーズの全盛期なのか(笑)。若いな(笑)!
赤根 そうですね(笑)。そこに影響されて、シュートばっかり打ってました。
宮本 僕はレバンガ北海道U15ができた初期の大会を見に行きました。大田区総合体育館でやったB.LEAGUE U15 CHAMPIONSHIP 2018かな。中学1年生のみのチームで、周りは中学3年生もいた。インサイドの内藤選手にボールを入れるけど、全く歯が立たないという......。
赤根・宮本 ハハハハハ。
宮本 当時はできるという感覚で、試合に向かっていたんですか?
赤根 あんまり覚えてないですけど、そもそも「(周りのチームが)でかいな......」って圧倒されてはいましたね(笑)。札幌の中学校と練習試合をしていて、3年生チームにも勝ったりしていたので、「いけるべ」って感覚はみんな持っていたと思います。それでやってみたら、あの結果になって......。
赤根・宮本 ハハハハハ。
赤根 ボッコボコでしたよね(笑)。やっぱりレベルが違うんだな、まだまだなんだなってあのときは思いました。
宮本 通用してきたな、戦えるなって感じたのはいつ頃だったんですか?
赤根 中学2年生からですね。あの大会は1年生チームで中学3年生と試合をしていたので、フィジカル面で全然戦えなかったですけど、そこから1年間で個人の成長もあったし、チームとしてのオフェンスもディフェンスも確立されていきました。その中で自分もアウトサイドの動きを覚えて、こういうタイミングでシュートを打つのがいいなっていう感覚を掴みはじめましたね。

めちゃくちゃ悩んだU18での3年間

宮本 U15の3年間を経て、レバンガ北海道U18に昇格してからは勝ち続けていく集団になっていきます。自分たちがBユースの中で強豪と呼ばれるチームになっていくために、勝ち続けていくために意識したことはありましたか?
赤根 練習の取り組み方はすごく意識しました。自分たちの練習はすべてをコーチ任せにするのではなく、コーチが伝えてくれたメニューを自分たちで考えて取り組むというスタイルでした。コーチが伝えてくれたメニューには、どういう意図があるのかを自分たちで考えて練習をやっていたので、常に考えながらバスケットボールをしてきた自負はあります。自分たちで決めたことをできていないプレーヤーがいた場合は、みんなで指摘しあっていこうという会話もよくありました。
宮本 素晴らしいですね。逆に勝ち続けるなかで、マンネリ化することもあったのかなと思っていました。高校の3年間は人間的にも色々あるだろうし、語弊があるかもしれないけど、中学生のときのように純粋にバスケットボールに取り組むだけじゃなくなってくる時期でもあると思います。U18の3年間を振り返ってみるとどうですか?
赤根 そうですね。正直、高校では僕自身もバスケに対するモチベーションが下がった時期がありました。特に2年生で怪我をしたときは練習もできないし、試合にも出場できない。当時は「自分がいなくても勝てるからいいよな」って考えちゃうときもありましたね。復帰してからも自分がやってやろうというよりは、周りをサポートしてチームに貢献できればいいなという感覚だった時間が長かったので、自信を持ってプレーできたっていうのは……あまりなかったですね。
宮本 今シーズン、Bリーグ開幕戦の前座試合で宮田自動車(NORTHBRAVES)と試合をしたときも、全然うまくいってなかった印象です。
赤根 はい。高校1年生のときは、自分たちがやるしかないっていう環境でもあったし、中学3年のジュニアウインターカップで結果を出すことができたので、もっとガツガツしていたところがありました。U18になってからも、1年生チームで優勝できるなんて思っていなかったので、すごく自信になったところでの怪我だったので......。
宮本 怪我した瞬間はどんな気持ちだったんですか?
赤根 絶望感みたいなものはすごく感じました。
宮本 その絶望感は、みんなに置いていかれるっていう感じ?
赤根 それもありますけど、シンプルに1年間大会に出ることができないのがつらかったです。正直、Bユースは大会数も試合数も多くないので、1試合1試合がすごく貴重でした。自分の進路とか進学にも関わってくるし、1試合に対する比重が大きいので、2年生という大事な時期にまるまるプレーできなかったのは、メンタル的にもかなりしんどかったです。
宮本 そこから復帰を果たして、3年生の最後のCHAMPIONSHIPではMVPを受賞します。MVPを受賞したときははどんな感じでした?
赤根 めちゃくちゃ嬉しかったです! これまではずっとテルが選ばれていましたけど、テルは怪我から復帰したばかりだったので、自分がチームを引っ張っていかないといけないと思って臨んだ大会でした。決勝の名古屋D戦で自分がスリーポイントを決めたところからいい流れが作れて、試合に勝利することもできたので、久しぶりに自分の力を発揮してチームに貢献できた感じがあってすごく嬉しかったです。
宮本 正直、あの大会で力を出しきれたのは名古屋Dとの試合だけでしたもんね。
赤根 そうなんですよ。決勝以外はスリーポイントも全然入らなかったし、調子が良かったわけでもなかったんですけど、最後にシュートが当たってくれたのでよかったです(笑)。
宮本 MVPを受賞したことによって、その後のINTERNATIONAL CUPではすごくいいパフォーマンスが出せていたと思います。何か心境に変化などはありましたか?
赤根 めちゃくちゃ変わりました。それまではチームのなかで自分がどう繋いでいくかばかりを考えていたんですけど、CHAMPIONSHIPの決勝では自分が攻めてチームを引っ張ることができて自信を持つことができました。プレーをしていても楽しかったですね。
宮本 中学3年生のときみたいにプレーができていたよね。
赤根 そうですね。当時のイメージと近い感じでプレーができたと思います。U18になってからは、自分が犠牲になるプレーも必要だと感じていたので、結果的にそういう役割の大切さを学べたこともすごく大きかったです。ただ、めちゃくちゃ悩んだところでもあって、中学まではある程度ボールを持たせてもらえた中で、U18になってからはコーチにも、「もっと自分が犠牲になるプレーも必要だよ。もっと周りを信頼してパスを出していこう」という話を何回もしてもらっていたんです。
宮本 最初はその意味とか重要性がわからなかった?
赤根 わからなかったですね。自分が点数を取りに行くというマインドでずっとやっていたので。
宮本 その辺りが最後の最後でバランスを取れるようになった?
赤根 そうですね。そのバランスが取れるようになったと思います。どこでどんなプレーをすればいいのか。自分が行くタイミングと周りに任せるタイミングがわかるようになってきて、コーチが言っていた言葉の意味も自分の中で理解できたと感じてます。

大学で成長して、もう一度レバンガ北海道で

宮本 レバンガ北海道のユースチームとしても、Bユースとしても1期生という形で歩んできました。その6年間を振り返って、こういう機会があったら嬉しかったなっていうのがあれば、ぜひ聞いてみたいんですけど。
赤根 大会数や試合数がもっと増えたら嬉しいです。大会じゃなくても、キャンプみたいな形でいろんなチームの選手と一緒に合同練習とか交流する機会があったらよかったなとは思います。
宮本 確かに。定期的に各チームから何人かの選手がランダムに集まって、Bユースの合同練習会とか、Bリーグのトップコーチや選手から学ぶ機会があるといいよね。
赤根 そういうのがあったらすごく嬉しいですね。
宮本 それはめちゃくちゃいいので、Bリーグの担当者がこれを読んでいたら、ぜひお願いします。僕は取材に行きます!
赤根・宮本 ハハハハハ。
宮本 赤根選手は4月から中京大学に進学することが発表されました。中京大学を選んだ理由を教えてください。
赤根 関東でプレーをすることも視野に入れていたんですけど、関東以外でプレーして、インカレで関東の強豪に勝ちたいという思いがあって、中京大学を選ばせてもらいました。
宮本 実際に中京大学の練習に参加してみたということですが、感触はどうでしたか?
赤根 自分が中京大学のバスケットに貢献したいですし、貢献できるというイメージは持てました。
宮本 大学の4年間でどんな選手になっていきたいですか?
赤根 チームに必要な選手になりたいと思っています。本当に自分のプレーが通用するかも含めて、大学に行ってみないとわからないことがたくさんありますけど、チームを引っ張っていける存在になれるように頑張りたいと思っています。あとは4年後にはそのポジションを代表するような選手になっていたいですね。「大学バスケでこのポジションといえば、赤根だよね」って言ってもらえるように、4年間頑張ります!
宮本 頑張ってください! 最後になりますが、レバンガ北海道の桜井良太選手が今シーズンで引退を発表しています。同じタイミングでレバンガ北海道から一旦卒業するわけですが、レバンガ北海道U15に入団したときは、今まで以上にトップの選手が近い立場になったと思います。これまでレバンガ北海道を支えてきた桜井選手は赤根選手にとってはどんな存在ですか?
赤根 やっぱり目標とする選手の1人ですし、プレーでもプレー以外でもチームを引っ張る姿勢は参考にしてきました。バスケットもめちゃくちゃうまい選手なので、U15のときからずっと憧れてきた選手の1人です。引退してしまうのは寂しいですけど、今まで見てきたことを忘れずに少しでも桜井選手に近づけるようにしたいと思います。地元北海道でプレーしたいという気持ちは強いですし、レバンガ北海道のユースチームでプレーをさせてもらっていたので、いつか桜井選手のようにレバンガ北海道のトップチームのコートで活躍できる選手になって、少しでも応援してくれた方々に恩返しできればいいなと思います。

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