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『ダブドリ Vol.13』インタビュー03 澁田怜音(滋賀レイクスターズ)

2022年2月16日刊行の『ダブドリ Vol.13』(株式会社ダブドリ)より、澁田怜音選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。

ポイントガードの澁田怜音は、2017年に特別指定選手としてデビュー、高校生Bリーガーの先駆けとなった。ただ当時の気持ちは「俺には無理」。しかし、2019年に佐賀バルーナーズで指揮を執るルイス・ギル氏と出会い、B3、B2とステップアップし、今シーズンより二人そろってB1・滋賀レイクスターズへ。今回、そんな彼のバスケ人生からオフの様子、さらには恋愛の話まで、元プロバスケ選手で、現在バスケコーチを務める丹羽裕美が迫った。(取材日:11月17日)

「お小遣いが毎試合かかっていたので 必死にやりますよね」

丹羽 私は澁田選手を昨シーズン、佐賀の時に初めて見たんですよ。群馬のホームゲームを見に行ったら、良い選手がいるなと思って。大柴さんにいつか取材に行きたいですと話をしていたら、B1の滋賀に移籍されたので今回オファーをさせていただきました。早速ですが、いつからバスケをはじめましたか。
澁田 小学校一年生の冬です。
丹羽 きっかけはあったんですか。
澁田 きっかけは、一番仲が良かった友だちがバスケをやっていて、誘われたからです。あと、父がバスケをやっていまして、アルバムを見返すと、バスケットボールが家に転がっていました。バスケは小さい頃から身近にあったんです。
丹羽 お父さんからやろうと言われたわけではないんですね。
澁田 父に強要されたことは無いですよ(笑)。
丹羽 小学生時代の成績はどうでしたか。小一からはじめて。
澁田 小一は本当に楽しく、ただバスケをしていました。遊びに行く感じです。だけど、(岩手)県内で強いミニバスなのに人が少なかったので、小二ぐらいから試合へ出始めて、小三からはレギュラーとして出ていましたね。小四からは先輩が三人しかいなかったので、僕と僕を誘ってくれた友だちの二人が中心のチームだったと思います。小五の夏の県大会では、いま群馬(クレインサンダーズ)の菅原暉がいたチームに決勝で勝って、初めて優勝できました。でも、小六では暉のチームに負け続けて、優勝は六年間で一度だけでしたね。
丹羽 小さいころから試合に出られると、経験が積めますね。
澁田 そうですね。シュートを決めたり、速攻でレイアップをしたり、三年生から積極的にやっていました。ただ、それにも理由があったんです。小学生の時、僕のお小遣いはシュート一本あたり、いくらという制度だったんです。
大柴・丹羽 えーー!
澁田 プロみたいな制度でした(笑)。
丹羽 インセンティブ(笑)。
澁田 お小遣いが毎試合かかっていたので 必死にやりますよね。
丹羽 最初は遊びだったけれど…… 。
澁田 最初はあまりシュートを決めないから、シュート一本百円。当時の百円は僕にとって大きかったので、よっしゃ!みたいな感じでした。でも四年生ぐらいからは、点を決められるようになってきたので、公式戦は五十円、練習試合は十円に下がっていきましたけど、試合後にスコアを確認し、お母さんに結果を見せに行ってましたね。ちなみに、小五で初優勝した試合は、勝てば任天堂Wiiが懸かっていたので、シュートのたびに頭にちらついてました(笑)。
丹羽 いつまで続いたんですか。そのお小遣いは。
澁田 六年生のころには無くなりました。たくさん決めるから、インセンティブがカットされて、月額制になりましたね。五年生までは、インセンティブだけの生活をしていました(笑)。
丹羽 もうプロみたいですね。
澁田 そうですね。そんな感じでした!
丹羽 その後、中学校は地元の学校へ行ったんですか。
澁田 はい。地元のミニバスが強かったので、中学校も強くて、県大会で常に上位にいるチームでバスケができました。一年生からスタメンで使ってもらい、二年生からは県大会ベスト4とか高いレベルで試合経験を積めましたが、結局三年間で優勝はできなかったんです。暉のチームに負けて。東北大会に行けても全中には行けなかったんです。
大柴 なるほど。中学生まで、全国で知られていなかったんですね。
澁田 全国は当時のジュニアオールスターぐらいです。だから高校進学の時、全中に行った暉には県外のチームからオファーがあって、本人も岩手に残るつもりが無かったらしいのですが、僕は県外に出る考えは一ミリもなかったですね。
丹羽 進学先の高校は、どうでしたか。
澁田 県立の盛岡南高校へ行きました。川村卓也さん(西宮ストークス)や小野寺祥太さん(琉球ゴールデンキングス)がいた時代は全国へ出るような強さがあったのですが、僕が中学校三年生までは県ベスト4止まり。僕が入学して県の決勝へ行くことができました。
丹羽 高校時代の成績は?
澁田 三年生でやっと県大会優勝ができましたけど、それまでは決勝で負け続け、二位でした。
丹羽 二位の人生が長いんですね。
澁田 あの時は万年二位でしたね……。
大柴 ちなみに三年生ではインターハイと、ウインターカップのどちらに?
澁田 三年生で両方とも行きました。あと国体もです。
丹羽 その後、大学は駒澤大学に。進学の決め手はあったんですか。
澁田 自分に自信があるタイプでは無いので、関東でやりたい気持ちはあったんですけど、通用しないだろうと思っていました。東北で優勝する大学のレベルが、関東では三部リーグと言われていたぐらいなので。だから、それなら自分は無理じゃんと思っていましたね。自分の実力を考えて関東への進学は諦め、地元の国公立大学へ推薦で行こうと思っていたんですけど、ちょうど僕の代からバスケの推薦枠が無くなってしまって。どうしようかと思っていた時に、駒澤大学(当時二部リーグ所属)からオファーをいただいたんです。関東だし、せっかくの機会だからチャレンジしようと思いました。よく何で駒澤大学にしたの?と聞かれるのですが、駒澤からしかオファーが無かったんです。

高校時代に特別指定選手を経験――「俺には無理だよと思いました(苦笑)。最初は、チームのジャージだけもらえたら」

大柴 高校三年生の時に特別指定選手として活動していますよね。それは、大学進学に影響があったんですか。高校生で特別指定だから、当時は話題になったと思うんですけど。
澁田 大学進学が決まっての特別指定だったんです。
大柴 進学が先なんですね。それでは特別指定の話も聞きますね。まずきっかけは?
澁田 きっかけは、はっきりとは僕も分からないのですけど、ある日、岩手ビッグブルズのコーチが高校の練習に来て下さったんです。最初はクリニックだろうと思っていたんですけど、僕ともう一人、特別指定で入った子(永田渉)だけとても練習をさせられる時間が続いて。なんで僕ら二人だけなのかと思っていたら、練習が終わってから特別指定が決まったと言われて、そういうことだったのかと思って。僕らを見るために来てくださったと気がつきました。高校のヘッドコーチはプロを経験された方で、そのコーチの下で高校生活を送れたことは、プロチームから気にしてもらえるきっかけになっていたと思います。僕が活躍していたのではなく、たぶんコーチ同士のつながりから見てもらうチャンスがあって、運よくオファーをいただくことができました。
丹羽 オファーをもらって、「やってみたい!」という気持ちになったんですか。
澁田 いや、俺には無理だよと思いました(苦笑)。最初は、チームのジャージだけもらえたらいいかなと。自信よりも怖かったです。
丹羽 やってやるぞという気持ちよりかは……。
澁田 「俺がプロに入っていいの?」という気持ちでした。
丹羽 実際にプロに行ってみて、どうでしたか。
澁田 みんな上手くてレベルは高かったのですけど、思っていたプロのチームの様子とは違っていました。練習からバチバチやって活気がある雰囲気が、プロにはあるのかなと思っていたのですが、実際は練習から静かでしたね。当時は負けが続いていた状況もあると思いますが、あまり良いチーム状態とは思えなかったです。
丹羽 地元のチームですよね。入ったからには盛り上げようという気持ちは?
澁田 無かったですね。本当に試合へ出られたらいいなという気持ちだったので。当時はプロになりたいと強く思っておらず、プロを経験させてもらい、上手くなれればいいなと。俺がチームを勝たせるとか、ギラギラした思いは無かったですね。
丹羽 では、いつからプロでやっていこうと思うようになったんですか。
澁田 大学三年です。リーグ戦後、佐賀に特別指定で入るタイミング(2019−20)です。ここで通用しなかったら、プロを目指さなくてもいいやと思っていました。
大柴 いまプロでやっているということは、佐賀で手応えがあったんですね。
澁田 手応えがあったと言うか、最初はB3からのスタートだったので、「ここが勝負。自分のためだけにバスケをやろう」としか考えていなかったです。だけど、運が良かったんですよね。チームは勝ってB2昇格。ルイス・ギルは特別指定選手の僕が十分にチーム練習ができていなかったにも関わらず、試合に起用してくれました。本当に恵まれていましたね。
丹羽 いまB1に来たわけですけど、変化はありますか。
澁田 B3からB2で感じたように、B2からB1も全然レベルが違いますね。いまはB1のレベルについて行くので精一杯です。毎日勉強なので、メンタルはB3にいた時から考えられないぐらい強くなったと思います。そうじゃなければ、やっていられないという気持ちもありますけど(苦笑)。ルイスコーチもめちゃくちゃ怒りますし。
大柴 練習でも怒るんですか。試合中に怒る様子は、知る人も多いと思いますが。
澁田 練習のほうが怒るかもしれないです。でも僕は、B3という一番下のカテゴリーでやっていた気持ちだけは忘れずに、ハングリーにやらなければいけないと思っています。
丹羽 いまB1でライバルはいますか。
澁田 野本大智ですね! 練習から毎日マッチアップすることが多い同級生であり、チームメイトに負けています。初めて毎日のように、ボコボコにされて悔しいですね。
丹羽 練習から毎日悔しい思いをするなんて、なかなかできないじゃないですか。自分の成長へ大きくつながりそうですね。
澁田 毎日が充実していますね。
丹羽 あ、いま……。
澁田 何でも答えますよ!
丹羽 いや、最後の方に恋愛の話はとっておきたいので(笑)。 
澁田 (笑)。
丹羽 続いてオフの過ごし方を聞きますね(笑)。どんなことをしていますか。
澁田 温泉に行きます。温泉でゆっくり体を休めることが多いです。それこそ野本大智と一緒に行って、ご飯を食べて、コーヒーを飲むことが僕のルーティンですね。
丹羽 コーヒーを飲むんですか。
澁田 佐賀の時に良くしてくれた先輩の影響でコーヒーが好きになりました。最初は嫌いで飲めなかったけど、先輩と一緒にご飯を食べに行くと必ず食後にコーヒーを飲みに行くので慣れて、美味しく感じてきましたね。
大柴 ちなみにどなたですか。
澁田 井上諒汰さんと、山本郁也さんですね。二人とほぼ毎日行っていました。
丹羽 滋賀でお気に入りのカフェは見つけましたか?
澁田 滋賀ではまだ見つかっていないんですよ。だから自分でコーヒーをいれています。
大柴 コーヒー豆を挽くところから?
澁田 はい。毎朝やっています。自分でいれたコーヒーを車で飲みながら、体育館まで向かっています。
丹羽・大柴 へーーすごい。
澁田 井上さんと山本さんの教えですね。これは書いておいてください!
丹羽 豆もこだわるんですか。
澁田 具体的にどれが良いかは分からないし、分かると言っても「いや分からないでしょ」と言われるのがオチなので、分からないと言っておきます(笑)。酸味のあるコーヒーが好きですね。
丹羽 私もコーヒーは飲みますけど、酸味系よりも、マイルド系が好きですね。
澁田 それも美味しいですよね。
丹羽 じゃあ、オフで家にいるときは何をするんですか。
澁田 家にいるときはダラダラしています。もう布団から出ないです。疲れていると、動きたくないと思ってしまいますね。
丹羽 ご飯を食べないで、ずっと動かないの?
澁田 いや、ご飯は食べないと痩せてしまうので、しっかり食べます。あとYouTubeを見ていますね。
大柴 YouTubeではバスケですか。それともバスケから離れるタイプですか。
澁田 バスケで自分がモヤモヤしているときは見ないです。見ても気持ちを引きずるので、気持ちのすっきりした時に見ています。
大柴 なるほどね。
丹羽 自分の試合ですか。
澁田 自分の試合も見ますし、違う試合も見ます。
大柴 B.LEAGUEですか。
澁田 はい。
大柴 目標の選手はいますか。
澁田 B2時代は富樫勇樹さんです。背が小さいのにあれだけ得点もアシストもできることはすごいし、自分もなりたいと思っていました。でも今は、藤井祐眞さんのように、泥臭いプレーができる選手が良いと思っていますし、そうなりたいです。
大柴 ちなみに、キーファー(・ラベナ)はどうですか?
澁田 スゴイですよ!
大柴 練習だとマッチアップをされるんですよね。
澁田 しますね。キーファーは経験があるので、僕らにたくさんのスキルやバスケの見方を教えてくれます。身体能力があって、落ち着いてて、ミスもしない。
大柴 落ち着いていますよね。ドライブをしながらでも周りが見えていますし、最終的にフィニッシュまで持っていきますしね。
澁田 身体能力があるので、ズルいですよね(笑)。少し太っちょですけど、ジャンプ力があるのでダンクもできるから、キーファーはすごいです。

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佐賀から滋賀へともに移籍してきたルイス・ギルコーチのもと飛躍を続ける澁田選手。コーチから学んだ プランCとパッションはバスケットボールの外でも実は生かされていて......。続きは本書をご覧ください。

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