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『ダブドリ Vol.11』インタビュー04 小野龍猛(信州ブレイブウォリアーズ)

2021年4月30日刊行の『ダブドリ Vol.11』(株式会社ダブドリ)より、小野龍猛選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、所属等は刊行時のものです。

7年間過ごした千葉ジェッツに別れを告げ、今季から活躍の場を信州ブレイブウォリアーズに移した小野龍猛。元サッカー少年であり、チームの暗黒期を知る元千葉の主将でもある彼がどのようにして現在までの道のりを歩んだのか。フリーアナウンサーとして活躍する傍ら、元日本代表・渡邉拓馬氏のYouTube『タクマチャンネル』でアシスタントMCを務めるフリーアナウンサーの岸田彩加女史が、その真相に切り込んだ。

自分で言うのもなんですけど、サッカーも上手かったですよ。

岸田 千葉ジェッツのときから小野選手のファンなんです!
小野 ありがとうございます!
岸田 実は私の後輩が千葉テレビにいてですね、小野選手のインタビューのときに「先輩で小野選手のことがすごく好きな人がいるんですよ」って言ってくれたみたいで。
小野 なんか写真撮りましたね。「先輩に送ります」って言ってました。
岸田 それ私なんです! それで後輩が私に送ってくれて。私の思いが間接的に伝わったというだけでもすごく嬉しかったかったですけど、覚えていてくださってさらに嬉しいです!
小野 いえいえ。
岸田 では、まず根っこの部分からお伺いしたいんですけど、小野選手がバスケを始めたのはいつからですか?
小野 やろうと思ったのは中1のときですね。
岸田 それまではサッカーをやってらっしゃった?
小野 そうですね。幼稚園の頃から小6までずっとやっていました。小6の終わりぐらいに「中学校に行ったらバスケをやろう」って決めていたんで。
岸田 どうしてそう思ったんですか?
小野 兄がもともとバスケをやっていたので、それを見てですかね。自分で言うのもなんですけど、サッカーも上手かったんですよ、僕。
岸田 なんか上手そうですよね。たしかにサッカーやってそうです。
小野 都選抜の最終選考ぐらいまで残ったんですよ。そこからバスケやるって言ったので、サッカークラブのコーチもすごく残念がっていたし、親は親で「せっかくサッカー上手いんだし、逆にそんな中途半端な気持ちでバスケを舐めるな」みたいな感じで言われたんですよ。でも、今こんな感じになってるから「ざまあみろ」って(笑)。
岸田 サッカーでも、もしかしたらすごい選手になっていたかもですね。
小野 あとは仲がいい友達たちもバスケをやっていたので、自分もやろうと思って。
岸田 逆にどうしてサッカーを始めたんですか?
小野 幼稚園の頃やることがサッカーしかなくて、ずっとサッカーしてましたね。友達が「小学校からサッカースクール入るんだー」って言って、「じゃあ僕も入ろう」って言って入ったんですよ。ちょうど1993年からJ.LEAGUEが始まって小さい頃からずっと観てたので、そこからサッカーが大好きに。
岸田 ちなみに当時はどこのチームが好きでしたか?
小野 僕は最初から(鹿島)アントラーズ。
岸田 ほんとですか! 私、アントラーズの帽子被ってる子が好きでした。
小野 どういうこと? 全然わかんない(笑)。
岸田 J.LEAGUEの帽子流行ったじゃないですか。アントラーズとかヴェルディ(川崎)とか。ヴェルディって結構人気チームでしたよね?
小野 そうなんですけど、ヴェルディはあんまり好きじゃなかったんですよね。
岸田 人気チームよりは、もうちょっと頑張っているチームというか……。
小野 なんか、例えが悪いですけど、巨人(読売ジャイアンツ)じゃなくて阪神(タイガース)みたいな。
岸田 ヴェルディ=巨人、みたいな。
小野 そんな感じですね。
岸田 中学でサッカーからバスケにチェンジして、単純に手を使っちゃダメなスポーツから手が重要なスポーツに移るのは大変じゃなかったですか?
小野 いや、そこはそんなに。サッカーからバスケに変わって苦労したことはないですけど、逆に視野の広さはサッカーをやっていた経験が生きているかなという感じはしますね。バスケになって一気にコートが小さくなったんですごく狭く感じましたし、ビジョンがすごく見やすくなったなって。
岸田 走る量はどうですか? サッカーを見ているとめちゃくちゃ走るなって。
小野 サッカーって走る人は走りますけど、僕フォワードだったんで。
岸田 あ、そうなんですね。
小野 ディフェンダーとかはガーって走りますけど、フォワードはそんなに長い距離走んないんですよ。逆にバスケだと切り返しが多いので、それはすごくキツかったですね。
岸田 なるほど。中学から始めたバスケでも頭角を現していったということですよね?
小野 まあ、そうですね。中学校は、たまたま僕たちが1期生なんですよ。なので1年生から試合に出られたので、3年生になったらポンポンポンって勝って全国に行っちゃった、みたいな。
岸田 えー! じゃあ強いからその中学に行ったとかではないんですね。
小野 中3のときに教えてもらった先生がそこそこ有名で、国体の埼玉県代表のコーチとかをやっていた人なんですよ。その先生のツテで強い中学校と練習試合をやらせてもらって、そのお陰ですごく強くなりましたね。
岸田 へぇー。

代表クラスの人たちに囲まれてバスケットも上手くなった。

小野 でも、全国に出たらすぐ負けちゃったんですけどね。そこから兄が中央大学に行って、中央大の先生に「将来、中央大に来るなら僕が入れてあげる。来るならこの高校かこの高校に行ってくれたらとりやすい」って言われて。それで、國學院久我山高校に行きました。
岸田 そうなんですね。じゃあ高校でしっかり成長して、卒業後は思惑通り中央大学に。
小野 そうですね。高2のときに、U18の代表のメンバーの最終選考までいかせてもらって、そこから自分が上手くなった感覚はありますね。「代表クラスの人たちに囲まれて上手くなったな」という印象は残っています。
岸田 当時の得意なプレーは何だったんですか?
小野 その頃からポストプレーでした。高校もポストプレーはすごく教えられましたし、今でもそういうプレーが自分の武器になっているのは高校のお陰かなと思ってます。
岸田 じゃあ、その頃が小野選手のなかでの転機ですか?
小野 そうですね。あとは国体で東京都選抜に入って全国優勝したことがやっぱり自分の転機になったかなという感じはします。優勝したことで注目されるようになったので。
岸田 そうなんですね。
小野 今もその国体のチームメートはプロにいますからね。渡邉裕規(宇都宮ブレックス)とか。
岸田 へぇー!
小野 そうなんですよ。国体で2年生のときから一緒で、3年生のときも優勝しているんで。
岸田 ちなみにプロを意識しはじめたのはいつ頃ですか?
小野 プロを意識しはじめたのは、高3か大学1年生ですかね。
岸田 なるほど。
小野 高3から大学1年に上がる間に、主に大学生が参加するスプリングキャンプという代表活動があるんですけど、高3では僕ともう一人ぐらいしか入っていなくて。その後、大学2年生のときはユニバーシアードの代表にも入って、今の(竹内)譲次(アルバルク東京)・公輔(宇都宮)の世代と一緒に世界で4位になりました。そのときは試合に全然出ていないんですけど、そういう経験をしたことで「自分はやっぱりプロでやるんだな」って思いましたね。
岸田 話を聞いていると、周りにすごく引っ張ってもらったというか、恵まれていますね。
小野 そうですね。周りにも環境にも恵まれたと思います。
岸田 プロってどうやったらなれるものなんですか? 私、バスケ初心者なのであまり分からなくて……。
小野 今はB.LEAGUEができていろんなチームが増えたことですごく窓口が増えましたね。でも自分のときは、NBLのチームもそんなになかったときなので、NBLから大学のコーチのところにスカウトが来ていました。それで僕は今のアルバルク東京(トヨタ自動車)に行くことにしました。
岸田 スカウトが来るってどんな気持ちなんですか?
小野 実業団に行くというのは自分の中で決めていて、あとはオファー待ちだったんです。監督のとこに3つぐらい話が来ていて、そこから選びました。まあ自分も東京出身でしたし、環境もいいですしね。それに、世界のトヨタじゃないですか。
岸田 たしかに(笑)。
小野 だからトヨタに行こうかなって。あれですね、ヴェルディはあまり好きじゃないけど、バスケは……。
大柴 アハハハ。
小野 そこは矛盾しちゃっているんですけどね(笑)。
岸田 やっぱりプロとしての最初の一歩は(笑)。
小野 そうですね。そういうとこに行ってみようかなと。
岸田 アルバルクって今や“天下のアルバルク”というイメージですけど、当時はどういう感じだったんですか?
小野 当時も変わらないですよ。施設も環境も待遇もいい。
岸田 その頃も強かったですよね?
小野 そうですね。天皇杯で優勝しましたし、NBLもチャンピオンになりました。でも、僕自身はアルバルクに行ってからは全然試合に出れなくて。
岸田 そうだったんですか……。
小野 そうなんですよ。それこそ、(渡邉)拓馬さんと一緒にやってましたよ!
岸田 あ、そうですね!
小野 拓馬さんとは2年間一緒にやっていました。僕は自分に自信があった方なので「何で試合に出れないんだろう?」という思いがありましたけど、でもこれがプロだし、それでバスケットが嫌いになるとかは一切なかったですね。
大柴 入ったときって外国籍選手は2人でした?
小野 そうですね。それこそ今は宇都宮にいるジェフ・ギブスと伊藤大司(滋賀レイクスターズ)が同期で一緒に入ったんですよ。あとは今名古屋(ダイヤモンドドルフィンズ)にいるドナルド・ベック (アドバイザー)がヘッドコーチとして入って、そこからトヨタがすごく強くなりました。

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この後も、ジェッツへの移籍と信州への移籍の理由や渡邉拓馬さんからのタレコミ(?)の真相など、たっぷり語ってくださっています。ロックアイスベースの建設、あれ実は......!続きは本書をご覧ください(`・ω・´)キリッ

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