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『ダブドリ Vol.10』 インタビュー01 テーブス海(宇都宮ブレックス) & B.T.テーブス(富士通レッドウェーブ)

2021年1月22日刊行の『ダブドリ Vol.10』(株式会社ダブドリ)より、テーブス海選手&B.T.テーブスHCのインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。聞き手はライター・大西玲央。

NCAAのD1でアシストランキング2位に輝いた実績を引っ提げて宇都宮ブレックスでBリーグデビューを果たしたテーブス海選手、そしてその父で富士通レッドウェーブのヘッドコーチでもあるB.T.テーブスと共にここまでの軌跡を振り返ります。

NCAA1部のノースカロライナ大学ウィルミントン校で活躍中、大学を離れて宇都宮ブレックスに電撃入団という前例の無い道を進むテーブス海。そして父親も日本でコーチとして実績を持つBT・テーブス。どちらも第一線で活躍している中での親子インタビューが実現。(取材日:9月29日)

玲央 普段から結構会うんですか?
 コロナの前はよく会ってました。日本に戻ってきてからは週1ぐらいで、ディナーしたりしてましたね。
BT ワークアウトとかもね。
 僕が戻ることもあれば、父が来てくれることもあったり。でもコロナの感染が拡大してから回数は減っちゃったかな。
玲央 彼の試合を観に行くことは割とあるんですか?
BT スケジュールによるかな。何度か行ってるうちに「コーチ暇なのかな」とかコメントされるのを見たよ(笑)。でも行く時は当然オフの日だ。
玲央 大学の試合もアメリカに観に行かれてましたよね?
BT プレーオフを観に行った。ただホームアリーナではなかったんだ。私のスケジュールが合わなくてね、行けるタイミングがカンファレンストーナメントだったんだ。海のアメリカでの試合を初めて観たのがそこかな。
 いや、その2年前にボストンでAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン、春から夏のオフシーズンに活動するクラブチームの大会。アディダスやナイキなどもスポンサーする大規模な大会が存在する)の試合を観に来てるよ。
BT ああ、そうだね。彼が日本を出てから観たのがその2回だけだ。
玲央 子供の頃はお父さんがコーチしてる現場に行ったりしたんですか?
 父が高校をコーチしてる時に中学生で参加したり、中学をコーチしてた時に小学生として参加したりしていました。
BT 1年だけ息子を直接コーチしてるんだ。中学のインターナショナル・スクールのチャンピオンシップ。
玲央 変な感じしました?
 変って感触はなかったですね。むしろ驚くことに上手くいきました(笑)。
玲央 初めてやったスポーツはサッカーだったんですよね? 父親としてサッカーの勉強して教えないとみたいなのはあったんですか?
BT いや、自分も最初サッカーをやっていたからね。息子たちにサッカーを始めさせたのは小さい頃なら別に上手くなくてもプレーできて、沢山走り回れる。身体を動かすのに最適だから、好きなら続けさせたいって思ってたんだ。彼は結構サッカーも上手かったんだよ。
 中2までやりました。インターナショナル・スクールはスポーツがシーズン制で、普通の高校に転校してバスケに集中しようってことで辞めました。
玲央 バスケの方が自分に合ってると。
 やっていてもっと楽しかった。でもサッカーも大好きだったんです。
BT 両親が唯一押し付けなかったのがバスケットボールなんだ。
玲央 それは以前言っていたのを見て印象に残っていました。父の影響というのはそれでも多少ありました?
 あんまりないんですよ。バスケを始めたのは小4ぐらいの時で、友達が休み時間にやってたんです。父が昔やってたことは後になって思い出したくらいで。
BT あの日帰ってきて「昔バスケやってるとか言ってなかったっけ?」って聞かれたのを覚えてる。「うん、少しね」って答えたよ。
 そうそう(笑)。だから父がやってるからやりたいなっていうのはなかったです。たまたま父もやっていたから、教えてもらえるなっていう感じで。
BT 「今度一緒にプレーしようよ」って言われてね、内心ガッツポーズしていたよ。でもまさかこんなことになるとは想像もしていなかった。
玲央 たまに1オン1したり?
BT たまにどころじゃなかったよ。
 僕がある日、父に「上手くなりたい」って言ったのが間違いでした(笑)。間違いは冗談だけど、そこから色々変わりました。バスケの道を真剣に進みたいなって思った時にそう伝えたら「本気なんだな?」って聞かれて。
BT 本当にやりたい気持ちがないと厳しいぞってね。絶対に沢山喧嘩することにもなるだろうし。
玲央 父と子という関係ではなくなっちゃうぞ、と。

父は常に白黒はっきりした物言いで。上手くなりたいならその代償もでかいぞって。(海)

BT それに今でこそ私たちの性格は似てきたけど、当時彼はそこまでモチベーションに溢れているタイプでもなかった。あれくらいの年齢だとほとんどの子がそうではないんだけどね。でも「上手くなりたい」と言い続けるから、それなら目標を貫くことや鍛錬の大変さを理解する必要がある。だから「もう一度自分の目標を考えてみろ、本当にそれがお前の目標なのか?」と問いかけた。それでも「そうだ」というので、やり方を見せたんだ。そこからだよね、よく喧嘩するようになったのは。
 当時、父は白黒がはっきりしてる人でした。僕がどれだけ若くても、正直に全てを伝えてくる。僕が気分良くなるように嘘ついたりもしない。でも僕は父親として見てしまう面もあるから、彼が正直に話していると辛いなって思っちゃうこともありました。当時はそれが理解できなくて、それでよく言い合いになったり。今になって思い返してみれば、それ以外の方法は考えられない。若い頃から父がああやって教えてくれたことをとてもありがたく思っています。そのおかげでアメリカでもそれなりに成功することができたと思っています。でも本当に、常に白黒はっきりした物言いで。上手くなりたいならその代償もでかいぞって。
BT 例えば彼が自分のハンドリングが凄いって思ってたとする。YMCAのクラブチームとかと対戦して、相手を抜きまくる。でも私からすれば、試合を通して左手を全く使えてないのがわかる。だから試合後に「全然駄目だ、片手しかドリブルできなかったらどこにも行けないぞ」って。ちょっと極端なアプローチだったなとは思っています。でもそれと同時に、彼の目標はとても高く設定されていた。そんな中で「ハンドリング最高だったね」なんて伝えられない。父が息子をコーチする時の共通のテーマだと思うよ。絶対に何かしら軋轢が生まれる。でもそれが無いと、子供は高いレベルで競争することの大変さを理解できない。だから徐々にそれに慣れて行って、さっき息子が言っていたように「あれは良かったんだな」って気付くことがあるんだ。
 まあ、毎回それが上手くいくとは言えないと思うけど。
一同 (笑)。
 あまりお勧めできる手法ではないですかね(笑)。
玲央 弟の流河くんは兄の姿を見ていて、同じ経験をしているんですか?
BT いや、流河は全く違うね。やはり6歳差っていうのがあって、体育館で海とワークアウトしてる時は横で待っててもらっていたんだ。あの年齢で同じワークアウトはできないからね。ミニワークアウトするから待っててねって。ずっと横で1時間くらい待たされて、兄のやっている動きを自分なりに真似したりしていた。忍耐強さも身に付いただろうし、兄というモデルがすぐ側にいる。2人は性格が全く違うんだ。海がバスケを始めたのが10歳位で、流河は4歳から始めている。大きなヘッドスタートだね。それで流河がようやく海がワークアウト始めたくらいの年齢になった時、ジムに連れてったりするのは、彼にとって大きかったみたいだね。
玲央 なるほど。
BT 「海に教えてたこと、僕にも教えて!」って。それに流河とはほとんど喧嘩することもなかった。子供に教えるのは2度目だから、過去の過ちから色々私も学んでたからね。
 流河には本当にめちゃくちゃ優しいんですよ。
玲央 ぶはは(笑)。それ見て海くんはどう感じてたんですか?
 アメリカに渡って、自分がどういう選手なのか理解するために手探りになっていて、苦戦してた頃は、「あんな風に言わないで欲しかった」とか「なんであんな風にコーチしたんだ、もっと自分に自信持てたかもしれないのに」なんて思ったりもしました。流河にすごく優しく教えていて、彼が正しい方向に成長しているのを見て、羨ましいなって思ってしまったり。でも今振り返ってみると、僕と流河は別人だから、ああして教えてくれたことが今に生きているんだなっていうのがわかる。当時、子供としてはかなり厳しいことを言われたけど、それが今になって感謝できる。むしろ今は、流河にももう少し厳しくしないと、彼が大きくなった時に苦労するんじゃないかって思ってしまうくらい。でも父が同じ過ちを犯したくないんだろうなっていうのもわかる。

テーブス締め用

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このあとも、Bリーグ入りの時期、日本のバスケットボールの変化など深く語ってくださっています。最後にはレブロン・ジョーダン論争も?!続きは本書をご覧ください。以下のAmazonリンクや、本noteのストアページからお買い求めいただけます。

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