見出し画像

『ダブドリ Vol.4』 インタビュー05 上田篤拓(JBAアシスタントマネージャー、FIBAレフェリーインストラクター)&加藤誉樹(JBA公認プロフェッショナルレフェリー)

2018年9月29日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.4』(ダブドリ:旧旺史社)より、今回は上田篤拓さん&加藤誉樹さんのインタビュー(前編)の冒頭部分を公開いたします。※後編は同誌Vol.5に掲載しております。

日本初のプロレフェリー加藤氏と師匠の上田氏が審判の本音を語る対談の前編です。前編では、知ってるようで知らない審判の心構えや考え方やリプレーシステムの導入などがテーマとなっています。

加藤君は今、一番旬の審判。僕は彼のような現場の審判と技術を共有して、日本のバスケ組織の活性化のお手伝いをしています(上田)

石川 今回はぜひ、審判の「ぶっちゃけ話」を伺いたいなと思い、親交のあるSOMECITYの審判に話を聞いたら、だったらもう一番上の人から聞いた方が良いんじゃないかってことで、お2人に声をかけさせて頂きました。
上田・加藤 ありがとうございます。
石川 もちろんスキャンダラスな、暴露的な話だけではなく、審判に必要なこととか、これからのこととか、色んなためになるお話も伺えたらと思っています。基本的にはこちらから質問させていただきますけど、2人でお話ししていただいて、盛り上がればそのままお願いできればと思うんですが。
加藤 あまり2人で話が盛り上がること無いんで。
上田 ちょっとちょっと、それじゃあ俺たちが仲良くないみたいじゃん(笑)。
石川 じゃあ、ちょっと一か八かに賭けてみましょうか、ハイ(笑)。
上田 (笑)。ちなみにそのご紹介いただいた方、SOMECITYのどなたかな。僕、知ってる人かな。
石川 名古屋のアペックスというチームの幸一君っていう。
加藤 わかります。八木さんだ。
石川 はい。八木に話を聞いたんですよ。最初はあいつも入れて、3人で座談会みたいな感じにできればいいなあと思ってたんですけど、それを提案したら、「神様2人を前に畏れ多い」って言われちゃって。
加藤 上田さん、八木さん知ってます? 大東文化大学出身で。
石川 よく食べそうな、ただの太っちょです。
加藤 現在は社会人チームのアペックスでコーチをされていますが、以前はJBA公認審判でいらっしゃってSOMECITYでも笛を吹かれているそうです。
上田 そうなんだ。前から知ってる人?
加藤 僕は高校の時から知ってますね。
石川 ああ、そうなんですか。
加藤 はい。(福岡大学附属)大濠高校時代に、大東文化大に合宿に行かせてもらったことがあったんです。八木さんは当時マネージャーでいらっしゃったので、その頃から顔見知りですね。僕が審判を始めてからは、公認審判同士のお付き合いもあって。なので未だに雑誌とかに取り上げていただくと、八木さんが一番最初に反応してくださる。ありがたいですね。
石川 今日も大喜びしてましたよ。この号、絶対買いますって言ってました。今の話を聞いてると、あいつは本当に買うんだろうなって感じがします。じゃあまず、簡単にお2人の自己紹介をお願いできますか。
加藤 はい、では改めまして。加藤誉樹(たかき)と申します。元々はずっとプレーヤーをしてました。高校が福岡大学附属大濠で、大学は慶應義塾に進んだんですが、怪我もあって、選手としては鳴かず飛ばずでした。そこで一念発起してバスケットの運営の方に携わってみようと思った時に、審判に出合って、そこからは色んな方のお世話になりながら、学連や実業団で審判をするようになったんです。その内にトップリーグを任せてもらうようになって、昨年の9月からJBA(日本バスケットボール協会)公認のプロフェッショナルレフェリーってことで、平日はオフィスで働きながら、土日は全国各地のトップリーグのゲームに行って、笛を吹かせてもらっています。
上田 上田篤拓(あつひろ)です。今はJBA審判部に所属して、FIBA(国際バスケットボール連盟)のレフェリーインストラクターとして審判の技術向上のための仕事をしています。審判自体を始めたのはもう中3から高校に上がる位なんで、続けてたら何年目かな……24~25年目になるのかな。出身は静岡東高校で、高校の頃はプレーヤーをやりながら審判もやってましたね。まあ、今とは全然違う時代でしたけど。で、高校を卒業してから、親戚なんかもいたんでアメリカのミシガン州立大学に行きました。NBAの審判になりたいという夢を持っていたので。
大柴 ミシガン州立時代も吹いてらっしゃったんですか。
上田 はい、ミシガンとか、あの地域を中心に審判をやりながら、審判を勉強して、NBAのレフェリーを目指してました。まあ最終的なキャリアとしては、審判の登竜門であるNBAサマーリーグまでは一応辿り着いたんですけど、そこからあと一歩抜けられずに終わった感じですね。その一方で、審判の技術だとか知識だとかを共有するということに、すごく興味を持ち始めたんです。
その頃ちょうど、日本ではbjリーグが立ち上がりました。その2年目――06年9月かな、日本に帰国して、しばらくbjで笛を吹いていたんです。そうしているうちに、日本での審判指導というか、審判に関する情報共有をやって、日本のバスケ組織を活性化させるお手伝いがしたいと、JBAに入りました。その時に一応、自分としては笛を置いた形です。今から約3年前ですね。
大柴 3年前っていうのは、要はB.LEAGUEを作るから来てくれってことですか。
上田 そうですね。B.LEAGUEが大きな一つの理由だったのは確かです。それに加えて女子でいうとWリーグ、男子でいうとBのトップリーグを中心に、各ブロック、各県、それに今でいう3x3とか――まあ3x3はルールとか仕組みも多少違いますけど、そうしたそれぞれのレベルにもっと海外、FIBAから情報を入れて還元・共有して、日本全体で磨き上げていくということを目指しています。そうしているうちに、FIBAのほうでもインストラクターを活用するという仕組みがちょうど出来上がってきて、その中に運良く入れた。だから今は国内で活動しつつ、加藤君たちと一緒に世界選手権とかに行って、国際大会の指導などをやらせてもらっています。
大柴 国際大会の現場では実際にレフェリングするわけじゃなくて、レフェリーを指導する立場だということですか。
上田 まあ一応、審判の指導評価っていう立場ですね。でも、世界の現場に出れば、僕よりも実際に現場で吹いている人たちのほうが色々と感じることが多いので、逆にそこから教えてもらってそれを還元することもやっています。だから僕の感覚的には、指導というより「共有」っていう感覚かなあって思います。
大柴 なるほど。
石川 お話を伺うまで、そういう立場の人がいることを知りませんでした。
上田 だから最初にこのお話をもらった時は、2人の対談だって聞いたので、なんで俺なんだろう、俺、なんか悪いことしたかなって思った(笑)。加藤君は確かに今、旬だし、これからも旬でいてもらわないと困るんですけどね。
石川 見つかっちゃった、みたいな。
上田 でもこういう機会が頂けて嬉しいです。

海外を経験している上田さんの言葉には衝撃を受けました。自分が今までやってたのはレフェリーと呼べるのだろうかと思えるほど(加藤)

石川 ありがとうございます。じゃあせっかくいい機会なんで、今度はちょっとお互いを紹介して貰っても良いですか。
加藤 えっ。
上田 恥ずかしいですね(笑)。
石川 いわゆる他己紹介ですね。じゃあまず上田さんから加藤さんをお願いします。
上田 そうですね。僕自身は、もちろんbjにいる時から誉樹の名前を聞いていたんですけど、実際に会ったのは、それこそJBAに来たタイミングでしたね。最初はだから……NBLだよね、NBLの最後の年。
加藤 そうです。
上田 そのNBLの時には当然、トップリーグを担当する若手として期待されている1人でした。ただその半面、周囲の大きな期待の中で葛藤していましたね。やっぱり現場に出た時に、当然ながら彼は「若い」わけですよ。他の審判、僕らの年代からしても年下だし、ヘッドコーチなんかと比べたら相当若い。たしかプレーヤーの中には同期もいたくらいでしたもんね。そういう環境で、年齢的に色々悩みながらやってたんだろうなと思いましたね。ただまあB.LEAGUEが始まる時、それからFIBAの大会とかに彼と一緒に出て行った時……例えば最初スペインの大会とか行ったんですけど、あれはU16、17?
加藤 あの時は17ですね。
上田 17か。僕が彼を海外で見た時、すごくリーダーシップを発揮していたんですね。例えば何かプレーを見て、僕ら審判はこのプレーをどう考えるべきかとかいうプレゼンをする時にも積極的に話をしていたし、5~6人でグループワークやりましょうなんていう時にも先頭に立ってやっていた。海外でこれだけできるんだったら、日本でも、もっとリーダーシップを持てるんじゃないかと思ったんです。ある意味日本人の良い所で、一歩下がって相手を尊重するみたいな所もありつつ、でもやるって言った時には自分がしっかり意見を言える強さがあった。そんな彼の良さを見つけた時に、もっと皆にそれを知ってもらいたい、日本国内の若手にもっとそれを実践してほしいなって感じたんですよね。彼の背中を見て、他の若手にも育ってほしいなと。
大柴 すみません、ちょっと口を挟みますけど、そういう国際大会では、審判同士で海外の方と英語でディスカッションみたいなことをされるんですか。
加藤 そうです。基本的には全て英語ですね。しかもバスケの場合は、サッカーの審判団みたいに、日本人が3人一組で行きますよってことではないんです。
大柴 そもそも笛も他の国の方と吹くということですか。
加藤 そうです。日本人は上田さんがインストラクターとして行かれていて、私がレフェリーとして行って、という感じ。だから現地での会話はすべて英語なんです。
大柴 なるほど。
加藤 でも、こんな照れ臭いことないですね。あの上田さんに、こんな風に言ってもらえるなんて。
石川 あれ、やや涙目なんじゃ?
加藤 いやいや。でも、なんて言うんですかね……日本人の良いところでもあると思いますが、良い意味でも悪い意味でも、自分を出しにくいみたいな所は確かにあったりしましたからね。葛藤があって、上田さんにも色々相談させてもらったりもしたんですけど。その点、海外って割とそういうのがないんです。オープンですから。
大柴 言語的にもね、そんなに敬語を気にしないで喋れますよね。
加藤 そうですよね。だからそういう風に見てもらえていたのかなっていうのはありますね。じゃあ、次は逆に僕から。
石川 お願いします。
加藤 皆さんご存じの通り、日本にはかつてはNBLとbjリーグがありましたよね。その中で、NBLを担当しながらbjリーグのゲームをインターネットで拝見していたんですね。すると、わー、なんか茶髪のレフェリーがいるなと。それが、上田さんに出会ったスタートでしたね。
石川 まあ“bj感”はそっちの方がありますしね。
加藤 親しい大先輩に、bjリーグで審判をしていた方もいらっしゃったので、割と僕は、個人的には、bjリーグのことをそんなに遠いものだとは感じていなかったんです。プレーオフも有明に見に行ったりしていたので、当時そこで吹かれている上田さんのことももちろん、身近に感じていました。そうしたら、上田さんがJBAにいらっしゃった。そこからある意味、上田さんは、僕の全てを変えてくださった人なんです。
当時からもちろんみんな一生懸命レフェリーに取り組んでいたんですけど、日々進化するバスケをレフェリーするためにレフェリングを進化させることが難しい時期があったんです。僕自身もその中にいました。そこに上田さんからアドバイスを受けた。衝撃を受けましたね。バスケットのレフェリーってこうやってやるんだよっていう、ある意味ベーシックな部分から教わり直しました。海外のことにも精通している上田さんの言葉は、これまで自分がやってたのはレフェリーと呼べるのだろうかと思えるほどで。上田さんはあれを直しなさい、これを直しなさいっていう方じゃないんですが、大事なところというかエッセンスをいつも教えてくれるんです。
それで、上田さんと一番大きく関わり合いを持たせてもらったのは、先ほどのU17の世界選手権でスペインに行った時です。ちょうど私自身もその前の夏に、FIBAのヘッドオブレフェリーが日本に来たということもあって、海外とのレフェリングの違いについて気づかされ始めてた時期だったので「全部教えて下さい」って、本当に恥を忍んで、歯を食いしばって上田さんにしがみついたんです。そこが一番濃く関わり合いを持ち始めたきっかけでした。今では上田さん、FIBA・JBAにいらっしゃるのも、まだ3年なんですが、もうFIBAでは変な話、ルールとかレフェリーをどう引っ張っていくのっていうところの中枢に入り込めちゃってますもんね。
上田 ラッキー。
一同 (笑)。
加藤 やっぱりご自身がずっと海外で経験しながら、勉強されてきたことを、FIBAも欲しがっているんですよね。単にインストラクターというだけではなくて、そのインストラクター制度をどう作っていきましょうかっていう面でも中枢に入られてる方なんで。この方の存在無くして、今の日本のレフェリーは語れない位の方ですね。
上田 もう辞められなくなっちゃう。辞められなくなっちゃうよ。
一同 (笑)。
加藤 いや、本当に辞めてもらったら困りますからね。
大柴 でもFIBAとアメリカのルールは結構違うって聞きますけど、最初NBAを目指していたのにFIBAに行くと、上田さんも最初は結構、違和感とか戸惑いがあったんじゃないですか。
上田 うーん、確かに最初は日本で審判をやってましたが、高校生でしたしね。その頃は今みたいに高校生でも審判のライセンスを貰えるわけではありませんでしたから。僕の時は、高校生はテストも受けさせて貰えませんでした。要は練習試合とか、まあ地区大会の1回戦とかをやりつつだったので、審判やりたいなとは思ってたけど、今ほどそんなにルールを勉強していたとか、審判とは何ぞやということが分かってた訳じゃありませんでしたから、そんなに戸惑いはなかったかな。高校卒業してすぐにアメリカに行って、そこからが本番だったんで、僕としてはその頃はそんなにアジャストの必要は無かったんです。
ただアメリカでやって、NBA中心に色々教わって戻って来たときに初めて、オリンピックとNBAの違いというか、FIBAとNBAの違いを感じました。逆にそこから今度は、FIBAって何してんのかなとか、NBAってどういった違いがあるのかなとかっていうことを考え始めましたね。自分としてもまだレフェリーをしていたので、実感・体験しながらやり始めたんです。これが僕にとってはすごい財産になりました。その年に初めてNBAのサマーリーグに呼んでもらえたから、逆に言うと、そのbjでの仲間とbjの自分の最初の年に経験したことが、ある意味僕をそこに持って行ってくれたわけです。
そこで蓄積できたものが、結果的にまた日本に戻ってきてJBAに来て、皆で盛り上げようってなった時に、共有できる財産になりました。色んな歴史、NBAの歴史とFIBAの歴史を皆に伝えることで、もっとレフェリーって面白いんだよっていうのを伝えられるようになりました。まあ振り返ってみると、その時は一生懸命やって、ただ自分のためだけにやってた部分が多かったんですけど、それを僕が後輩に伝えていって、今度は誉樹がもっと後輩に伝えていくっていう意味では、まあ一つのきっかけにはなったっていうのは、結果論とはいえ嬉しかったですね。

審判締め用

★ ★ ★ ★ ★

この後も、プロの試合における審判の立場やインスタント・リプレー・システムのお話などが続きます。続きは本書をご覧ください。

#バスケ #バスケットボール #JBA #Bリーグ #FIBA #レフェリー #審判 #ダブドリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?