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『ダブドリ Vol.5』 インタビュー03 石原愛子(JX-ENEOSサンフラワーズ)&瀨﨑理奈(TOKYO DIME)&桂葵(SHONAN SUNS)

発売中の『ダブドリ Vol.5』(ダブドリ:旧旺史社)より、今回は石原愛子選手&瀨﨑理奈選手&桂葵のインタビューの冒頭部分を公開いたします。

プライベートでも仲良し、そして一度現役を離れたという共通点を持つ3選手による対談です。三者三様の考え方から、女子選手の現在が垣間見れる対談になっています。


忘れられないアンダー18のリトアニア遠征での「ベッド争奪戦」。3人で夜中騒いで大問題になっちゃった(桂)

 今回は「戻ってきた女たち」ということで集まってもらいました。全員一度引退しながら戻ってきたという共通点以外に、たまたま仲が良かったということもありますし。3人の昔話も含めて、楽しく話ができればなと思います。
石原 了解です!
瀨﨑 よろしくお願いします。
 まず3人の関係から。私と石原が幼なじみなんですよね。千葉の市川市で。
石原 幼稚園も一緒。つくし幼稚園。
大柴 幼稚園だけ?
 私が転勤族で引っ越しちゃったんですよ。
石原 すごく仲良かった。好きな子も一緒で。
 どこにいるかな、ハラダダイキ君。
石原 懐かしい(笑)。
 これ読んでくれたら面白い。ハラダダイキ君っていう子が好きだったんだよね、2人とも。ダイキ君は「1番は愛子ちゃんで、2番が葵ちゃんで、3番はユリちゃん」が好きって(笑)。
一同 アハハハ。
 お遊戯会とかやったよね。
石原 覚えてる。なんか中国人の役あったよね。お姫様、中国人、それとなんか他の脇役。
大柴 どんな劇なんだ(笑)。
石原 幼稚園の頃、私はゴリゴリのぶりっこだったんですよ。絶対スカート履いてないと嫌だとか言ってたので。
 いつもフリフリ付いた靴下履いてた。
石原 だからもう絶対、全力でお姫様にいきたいってあるじゃないですか。だけど多分自覚してたんですよね、自分の身長の大きさを。
一同 アハハハ。
石原 あ、このサイズでお姫様とは言えないみたいな。私たち大きいから何やろうと。
 当時から2人だけ大きかったから。
石原 お姫様とか絶対ちっちゃくてちょっとかわいい子に取られるじゃん。
 それにお姫様だったら一緒にできないかもしれないからね、大きさもあるけど。
石原 そう。葵ちゃんと一緒にやりたくて。
 で、中国人だったら一緒にできるねって。
石原 ま、衣装かわいいし良いね、みたいな感じで。
石原 一緒にチャイナドレス着て。
 一緒に、「ニーハオ、中国へようこそ」。
石原 「中国には、パンダがいっぱいいます」。
 言ってた(笑)。
石原 言ってたよね。セリフめっちゃ覚えてる。
大柴 それ、オリジナルストーリー?
 あれですよ。ベッドの一番下にお豆隠す話。
大柴 知らねー(笑)。
瀨﨑 全然わからん(笑)。
 王子様がお姫様を探して世界を旅する。で、旅の途中で王家に寝床を借りるんですけど、その寝床の一番下に小さい豆を忍ばせておいて、本当のお姫様だったらこの豆に気づくはずだみたいな話ですかね。
石原 全然覚えてない。
 え、違ったかな(笑)。色んな国回る中で、その一つが中国だった。その中で中国が一番衣装がかわいかったっていう……。
大柴 長くなりそうだから詳しくはまた今度(笑)。この2人が幼なじみで、瀨﨑さんとは。
瀨﨑 忘れられないのは17歳の時のリトアニア遠征だよね。
 ウチらの代が高3の代のアンダー18。イクさん(注・瀨﨑選手のコートネーム)は早生まれだから学年は1個上だけど、私たちの代に入れたんですよ。高2のときから1人だけ。
瀨﨑 1人やったね、最初はずっと。
 1人だけ年上で、キャプテンだよね。
石原 そのとき誰いたっけ。長岡萌映子(トヨタ自動車アンテロープス)とか。ヒル(理奈。トヨタ)もいたよね。
 あとは三好(南穂。トヨタ)と出水田(理絵。トヨタ)と。
瀨﨑 おった、おった。
 私たち遠征自体はすごい真面目にやってたんです。でも最終日の夜、もちろん私たちは外を出歩いたりしないので、ホテルの部屋の中で遊ぶんですけど、ちょっと盛り上がって、ベッド争奪戦とか始まっちゃったんです。
大柴 ベッド争奪戦?
 ベッドを一緒に使ってて、どっちかしかそのベッドでは寝られない。だからどっちかを落とす、すごくくだらないゲーム。それなりにフィジカル使うんですけど。
大柴 世代トップレベルの2人が。
石原 それがめちゃ面白かった。でイクさんとかもみんないて、わーって遊んでたら、案の定次の日、苦情が来て怒られて。
 翌朝、先生たちから集合かけられてめっちゃ怒られたね。日本代表としてこんな人いません、みたいなこと言われて。
石原 部屋にいなかった無関係の子たちも。
 鶴見(彩・日立ハイテククーガーズ)とかシャンソンVマジックの本川(紗奈生)とか。
石原 彼女たちはちゃんと寝てたんです。でも私たちが騒ぎを起こしてしまったことで、その人たちも全員呼ばれる。
瀨﨑 どうしたのみたいな感じで。私たち、ほぼこの3人が、ふざけたマネをしまして誠に申し訳ありませんでした、みたいな。
 全部、瀨﨑さんが先生に怒られてくれて。
瀨﨑 自分がキャプテンやけん、自分がちゃんと言えなかったのが悪かったみたいな感じ。
大柴 かっこいい。
 調子に乗ってたな、申し訳なかったです。そういう青春時代を共にした3人です。
大柴 でもじゃあその事件のおかげでこの3人は一気に仲良くなったわけか。
 そう。間違いないね、それはね。
瀨﨑 もともと仲良かったけど、それでさらに。
大柴 質問なんだけど、桂、石原の2人は転勤して離ればなれになって、バスケでどこかの時点で、再会したわけ?
石原 中学の時です。お互い全然近況を知らなかったんですよ。でも仲良くて、お互いにちゃんと覚えてた。で、中学生のときに、関東エンデバーっていう。
大柴 育成プロジェクトみたいなやつね。
石原 そう。それに私はただ大きいからちょっと行ってこいみたいな感じで。そしたら集まるときに、なんか見たことある顔がいる。パッと見たら、え、愛子ちゃん? 葵ちゃん、超久々!みたいな。中2の冬だった。
 本当びっくりした、あれは。
石原 でもそのとき、葵ちゃんはすでにオールスターとかでMVPとか取ってて、もう『月バス』に載ってたんです。それを見て、私的にはすごく近い存在だったのに、わ、有名人に会っちゃったみたいな。一気に遠い存在に感じました。
 中2の3月に、都道府県対抗っていう、ジュニアオールスターがあるんですよ。それで私MVP取ったんです。
石原 すごく刺激になりました。ずっと一緒に同じような環境でやってきた部分があったから。私は本当に県大会すら出たことないぐらいの中学校だったので。
大柴 それで、その後の高校では桜花の桂、成徳の石原で何度も対戦した。
 そうですね。
石原 ウチは準優勝ばっかりだったけど。
大柴 瀨﨑さんの高校時代は?
 めちゃすごかった。福岡に瀨﨑ありみたいな感じだった。
瀨﨑 でも全然勝てなくて。インターハイ3位ぐらいが一番いい成績。優勝は1回もなくて。
 拓大で優勝したでしょ。
瀨﨑 拓大入って1年目が最強だった。森ムチャ(トヨタ)さんのときで、プロとかにも負けないようなメンバー揃ってて。その時代、シーズン中1回だけ負けたんですけど、あともうずっと全勝で。でも私は本当にちょっとしか出てないんですけどね。

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今回のテーマである引退から復帰までのお話など、続きは本書にてチェックしてみてください!

次回は名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、梶山信吾ヘッドコーチのインタビューの冒頭をご紹介する予定です。

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