見出し画像

僕にとっての"走ること"②

こんにちは、だーぴよです🐣


前回はこちら→ https://note.com/daapiyo/n/nea9b1068536a

①では、陸上競技との出会いを書きました。その続きです

ハードルを諦め、長距離に戻った僕ですが、元々僕は全く足が速くなかった。それは長距離においてもそうで、短距離も女子に負けてビリ、長距離も男子内では1番遅かったです。100mは18秒以上かかっていた記憶があります😇

そんな僕は、朝練を自主的にやったり、家帰った後にも走ったりするようになり、記録が伸びました。努力が「記録」というもので分かりやすく目に見えて現れるというのはものすごく嬉しかった。陸上競技のいいところはここだと思う

そして、2年生になった頃には部の学年の中で一番になり、市の新人戦で3位になったり(人生唯一の個人で入賞)、地区駅伝でアンカーを務めさせて貰えました(競技してて1番嬉しかった瞬間)。地区駅伝では、3位までが横浜八景島で行われる県大会に出場できます。僕の中学はアンカー前時点で3位、ギリギリでした。そして4位の学校のアンカーには1つ上のめちゃくちゃ速い先輩がいました。(後に関東インカレ800mファイナリストになる人)

顧問曰く「走る前顔面真っ青だったよ」人生で1番緊張しました

結果的に僕はギリギリ逃げ切り3位に入り、県大会を走ることが出来ました。このことは僕の少ない成功体験となっています。

画像1


高校に入ると、神奈川県内でも激戦区と言われている西地区で、レベルの高い選手たちとまともに戦うことは出来ませんでした。今思えばですが、「速い設定タイムの練習を続けられれば強くなる」と当時思い込んでいたのが悪かったです。練習で垂れたり膝が痛くなったりしてあまりタイムは伸びませんでした。進学校だったので「勉強と部活の両立」を上手くしている友達や先輩が凄かった印象の残った3年間でした

画像2

次回は高校卒業後のお話を…
「早大同好会」「市民ランナー」「駅伝ファン」との出会いについてかけたら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?