過去の自分をまるごと抱きしめるために。 #わたしのcotree習慣
「そのときそのときの精一杯を愛したらいい」と言ってはみたが
はじめましての方ははじめまして。そうでない方はお久しぶりです。ダー子です。新卒入社の会社を半年でうつ病になり退職、最近は大学院進学をめざして、治療と勉強をしています。
そんなわたしはかつて、友人との文通でこんなお手紙を書いたことがあります。
過去を振り返ったときすべきことは、過去の自分を傷つけることではなく、過去の自分を「あのときの精一杯だったんだね」と抱きしめることなのだ。
過去のあなたが、過去のあなたなりに、精一杯考え、努力したことを、愛することなのだ。
――こう綴ったくせに、わたしには「愛せない過去のわたし」がいたのです。過去のわたしは、のどに刺さった魚の小骨のように、チクチクとわたしを痛めつけるのでした。
やりすごせないわけではない痛み、でも引っこ抜いてやりたい小骨。オンラインカウンセリングを受けることになったのは、そんなときのことでした。
これから、カウンセリングのやりとりそのままを書き記そうと思います。過去をふと振り返ったとき、わたしを愛したい、わたしのために。
もしよろしければ、お付き合いください。
カウンセリングのはじまり
カウンセリングは、わたしの病状の確認から始まりました。
現在の症状を伝えつつ、「過去のつらかった経験――うつ病の引き金になった経験を話してみたいのですが、それは始めていい時期なのでしょうか?」と聞くと、
大事な点ですね。話したいと思えるのなら話していいと思います。
あえて見つめないのも選択肢です。
無理せず、吐き出したいときに吐き出してみましょう。
日常生活が安定し、好きなことができていることが大切です。
「あえて見つめないのも選択肢」と言われ、じゃあしんどくなったらやめればいいからと、話してみることにしました。
あの頃の自分を救いに行くつもりで、あの頃の自分を一人にしないように
話していきましょう。わたしも伴走します。
こうして、わたしとカウンセラーさんのやりとりが始まります。
たったひとりの総合職女性
わたしは、大学時代は社会学を専攻していて、ジェンダー論にもそれなりに関心がありました。同じような関心をもつ友人も多く、男性だから/女性だからといった属性にとらわれない環境で過ごしていました。
入社後配属された支店は、総合職が男性、一般職が女性、「総合職の女性」はわたしひとりという環境でした。飲み会の席順、会議の設営、些細なことでしたが、毎度毎度「いまのわたしはどちら側で振る舞えばよいのだろう?」という疑問と、周囲に要求される役割に対する自分の違和感が積み重なっていきました。会社が古い体質だったこともあり、セクハラにも鈍感でした。わたしをわたしとして見てもらえない感じが強く、自分が異物のように感じられました。
少数派としてひとりでいるのは心細かったと思います。窮屈だったと思います。そんな中ふんばってきた自分をふりかえってどうでしたか?
カウンセラーさんに問われます。
「我慢一辺倒だったなぁ、って。」
そうでしたか。それが必要だった我慢かと考えてみると、環境に適応するためには必要な我慢だったでしょうけれど、本意ではなかったでしょうね。「総合職の女性」という立場が異物として感じられるとおっしゃいましたが、本来はオリジナリティとして扱われるべきでしたよね。
わたしには、「我慢することしかできなかった悔しさ」と「我慢すらし通せなかった悔しさ」がありました。カウンセラーさんの言葉はそのどちらの悔しさも尊重してもらえた言葉だったように思います。
価値観を拾い出す
セッションは続きます。
今、ダー子さんが大切にしたい価値観はなんですか?
男だから/女だからとラベルを貼らないこと。
被害者/弱い人の立場を尊重すること。
あなたはそのままであなただよ、あなただからできることはあっても、あなただからしなきゃいけないことは何もないよ。
言葉を絞り出して、最後にふと、つけ加えました。
――もう、我慢はいいかな。
大切にうけとめて、わたしも書き留めさせていただきました。
会社とあなたで、価値観がこれだけ違ったんだなと思います。
よく抜け出してきてくれたと思います。
では、「もう、我慢はいいかな」「あなたはそのままであなただよ、あなただからできることはあっても、あなただからしなきゃいけないことは何もないよ」そんな言葉を過去の自分に向けて言ったら、なんて返すと思いますか?
少しあまのじゃくになったわたしはこう返します。
「そうは言っても、ここじゃやっていけないよ」
だから抜け出してきたんですよね。
そうか。だから抜け出してきたのか。不本意で、窮屈な世界から。
ダー子さんのケースは、価値観の違いや組織の問題が原因で起こったことだと思います。
ダー子さんは自分の中で芯をちゃんと育ててこられた。だからこそ相反するものをもつ組織は苦しかったと思います。
自分がもつ資源を生かせない場として窮屈だったと思います。
あなたがもつ価値観を信じてあげていい、育んであげていいと思います。
カウンセラーさんは終わりに、わたしに伝えてくれました。
過去の自分をまるごと抱きしめるために
「もう、十分だな」
カウンセリングを終えて、そう感じました。なにがいけなかったんだろう、どうして逃げちゃったんだろう。そう考えるのは、もう十分やったなと。
最近はもう、「愛せないときは愛せない自分を愛すればいいや」という境地に達しつつあります。しかしそうは言っても、わたしにとってこの経験はそれなりに大きな意味があり、傷つきもあり、悲しみもあるものでした。「愛せない自分を愛すればいい」には屁理屈めいたところがあって、すこし棘が残るものです。わたしは苦しみながらでもその棘を抜いて、わたしを愛したかった。それができるようになったのは、今回カウンセリングを受けたおかげです。
こうした営みは内省や自己分析などと、ひとりで行うもののようにされがちですが、技術をもった専門家の力を借りるのも、ひとつの手段であるように感じました。
過去を肯定し、自分が大切にしたいものを整理する。それを軸に動いていくことは、きっと「わたしが肯定したい未来」へつながっていくことでしょう。
あとがき
現在、カウンセリングを定期的に受け、その感想をnoteに書く、「わたしのcotree習慣」という取り組みに参加しています。このnoteは、わたしの記録としてのごく私的なnoteでもあり、この企画のためのnoteでもあります。企画の趣旨などは下のたかれんさんが書かれたnoteをご覧ください。
このnoteは、カウンセリングセッションの実際をなるべくそのまま感じてもらいたいと思い書いています。一方で、カウンセリングセッションの進み方は、それぞれの人に、それぞれの思いに応じて異なるものです。あくまで一例と思っていただけたらと思います。他の方の体験が気になる方はぜひこちらのマガジンも読んでみてください。
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最後に。cotreeでは現在オンラインカウンセリングの無償提供を行っています。気になっても使うのをためらってしまうあなたに、このプログラムを通じてカウンセリングが届いてほしいとわたしは思っています。カウンセリングを通じ、あなたのやさしさが、ためらいとしてではなく、誰かへの愛として広がっていくようになることを願っています。
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