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2つ目の稽古場。  (コロナ禍の演劇 )第7話

共演している池田ヒトシさんは海外映画ドラマの吹き替えなどでも活躍されている。

池田ヒトシさんも演出の吉田テツタさんも家に帰れば、子供があり父親もしている。
どちらも結婚したり学生だったり大きくなっていて、去年の夏に初めて子供が産れた僕にとって二人は俳優としても父親としても先輩なのだ。

芝居を続けながら、生きる。

一般的に見たら俳優業なんて遊んで楽しく明るくやっているようでも同じ役者を生業(なりわい)としてきた僕には、その大変さが想像に難くない。生活して子供を育てて、芝居もするなんて、しかもそれを続けてきたなんて。

好き、だけじゃ生きてはいけない。だが好きは、確実に生きる力になる。

新しい稽古場は、

道路を跨いだ商店街通りを
ただ真っ直ぐに歩いた、そこにある。

もうかなり歩いた、そろそろかと思いきや、まだつかない。
スマホのナビでは、この辺りだ。

横断歩道を渡ったところで、ひょろりと歩く
共演者の日暮くんがこっちに向かって見えた。
「おはようございます」
「劇場この辺だっけ?」
「ああ、多分。」

小劇場のあるある。道と街に埋もれて、迷う。

コロナ禍、稽古場には特に苦労していた。
一月始めからの緊急事態宣言により次々と自粛閉鎖する区民センターの稽古場をジプシーをしていた僕らは、なんと偶然、空くことになった劇場のスタジオを二週間借りられることになった。三月公演への首が繋がった感じだ。

「多分、反対です。もうすぐですよ」
やっぱり僕は行き過ぎていた。
引き返して、見逃していた目印の玩具屋が見えた。
稽古時間には、まだ早いので少し待つことにした。

目白にある「風姿花伝」という小屋。

通りから玩具屋入り口のガラス窓にはプラモデルやウルトラマンのソフビ人形が並び飾られ小綺麗に置いあり、どこか昭和の懐かしい香りがする。この細い階段を上がると劇場だ。おもちゃ屋の2階が劇場という面白い建物だ。劇場の掲示板はコロナの影響だろう上演ポスターは貼っていない。何度かこの劇場へ演劇を観た来たことがあるが劇場の灯が消えていることは、寂しい。

劇場の上階は一般のマンションなのもあって、
下北沢の本多劇場を思い出した。

ちなみに本多劇場は、知る人ぞ知る昭和演劇の殿堂だ。
巨大なマンションの建物に入った劇場で幾つかの商店も中二階入り一階スペースの殆どを総合雑貨屋のビレッジ・ヴァンガードが入っていその上にある中ホール。地下には駐車場もある。ヴィレ・ヴァンで雑貨屋や書籍などを観て時間をつぶし、芝居をみると、まるでカルチャーでポップな時間が送れた。数々の伝説的な劇団や公演を役者を世に送り出してきた80年代から演劇の象徴的場所。

この劇場は、まるで本多劇場のミニチュア版みたいだ、すこし笑える。

日暮くんがおもちゃ店前ガラス棚の隅を覗いていた。いや、そこには木の棚がありおもちゃ屋に置いてあるモノって感じじゃないけど瀬戸物の皿やグイ呑が置いてあった。なんでだろう?
「(器とか)好きなんですか」と僕も箸置きを手にした。
日暮くんは、満更でもなさそうに目を細めた。

ん?…古そうな木製表札が立てかけてあった。
〇〇セトモノ店⁉︎墨字で図太く書かれていた
なるほど、かつてはこの商店街の瀬戸物屋だったのだ。
「へー」と僕は言い
「なんでですかね?」と日暮くん

まさに小劇場は、その町の歴史とともにある。

なんでも先代から受け継いだ店を改装でマンションにするとき女優をしている自分の娘が公演をできるようにと、この劇場マンションを建てたのだそうだ。
公演をするために娘が実家の劇場に帰る。なんという親心か。
山本正之の歌だ。父親から娘が女優として立つ舞台に贈ったラプソディーが流れてきた。

瀬戸物屋を継ぐのではなく玩具店にしたのも面白い。
おもちゃ屋は子供だけでなく幼児(おさなご)と親も足を運ぶ場所。
マンションには人住み、劇場には人が集い、親子も引き寄せられて、

僕らもこうしてやってに来た。

「おもちゃ」といえば日暮くんもだ。この風景に偶然いる一人の役者。
その名を日暮玩具(ひぐらしがんぐ)…という。自分で考えた芸名だそうだ。
夕暮れにポツリとおもちゃを手にして遊んでいるような情景がこの待合いの時間と重なっている(手には、ぐい呑だが笑)

演技の根っ子は、遊び心。

「劇場は、ひっくり返したおもちゃ箱だ」
かのシェークスピア俳優で名優ローレンス・オリビエへも子供の頃への郷愁を込めて自伝で語った。

おもちゃと遊び心に親心、そしてリトル本多劇場。
この小屋が大好きになった。

そんな劇場の地下にあるスタジオで二週間、稽古ができる。

「もう空いてるよ」
奥からジャージ姿でメガネのテツタさんが僕達を呼びにきた。
狭い下駄箱の玄関で靴を脱ぎスリッパを借り細い階段を小気味よく降りる。

突然テツタさんが
僕の額に銃口を向け、押し付けようとした!
いや、もとい「非接触体温計の測定窓」を僕のおでこに近づけた。

ヒピピっ

36.5℃ 正常熱。

スタジオに入ったらまず検温、日付名前と電話番号を用意された紙に書く。
そしてスプレー消毒液を手にかけて揉む。

コロナ禍で日常となってしまったことに「昔から言われてきた良いことばっかり習慣」というのがある。手洗い、うがい、清潔にし、栄養をとるのも良い睡眠をし免疫力を上げるのも、今年は風邪も引いてないし僕の健康は万全だ。

それにしても
日暮くんは稽古初日にもかかわらず
朗々と長い台詞を稽古場で喋っている。

僕の方は、とととっと、つまづき急カーブ、速度そのまま衝突寸前
覚えているのも出てこないなんてことがある。
台本片手に、そもそも半立ちだ。

それにしても役者は膨大なセリフを、どう覚えているのだろう。
暗記の得意な人は簡単にできるだろう。しかも役者の場合には書くことはまた違う次元の生身でしゃべり同時に身体を使い覚えたことを表現する。

僕は暗記が苦手だ。

出てこないというのも、
これは、ただ覚えていないだけ、という結果だが

セリフが身体に入れば、自由な翼だ。

だから、セリフの入っていない役者ほど無力なものはない。
いわばハイハイの赤ちゃん状態だ。

それにしても
台本は空想と発想の絵空ごとだ。
シェイクスピアのハムレットだってそうだ。
演じなければ、ハムレットは存在しない。

台本は何かしらの人間の営みをそこに記す。人間のなしていることが書かれている。アリストテレスの時代から戯曲に、神は出てきても動物や樹木や海獣は演じても基本は人たちの会話、していることで、できている。

演劇、芝居とは、なんだろう。

動物は料理をしないように。料理を振る舞わないように。

芝居も、あらゆる生命の中で人間だけが
獲得した一つの特権なのかもしれない

演出のテツタさんは、役者の出してきたものに対して支持を出していく

「タッキーここはさ、全部上から言って」

読んできた役者達の
イマジネーションや表現は一人一人の個性だ。
誰一人その物語を同じように読むことなんてないだろう。台本は小説と違い、役者の心情や表情などは親切に書かれていない。
だからこそ間違っているなんてことは一つもない。読んできた経験や深み、反応を役者が演じることで

舞台上にもう一つの別世界が立ち上がる

それはこれまでやってきた気持ちの癖のようなものでもあり、表現の得意技であったり、そんな塊(かたまり)なのだ稽古場は

演出はそれを一つに束ねる。

「池田さん、演り過ぎないで」
「そうそう、抜けたところがいいです」

そうすると役者に気がつくことがある。
むしろ僕らは気がつくことだらけだ。
自分の発想からだけでは、僕らは小さなままだ。

ただただテツタさんは僕に栄養を与え続けている。台本から「シバイハ戦ウ」の田河という記者の種を植え、物語を育てている。

だからだろうか

今回の稽古場でテツタさんが変わったなと思うところがある。
「認める」
「待つ」
「褒める」

を徹底していることだ。
テツタさんは役者がメインだ、
演出はこのテッピンという企画だからやっている

出会った頃のテツタさんは、
もっと芝居に細かくいろんな指摘と指示のオンパレードだったような気がする。
そういえばあの頃に丁度テツタさんの子供が産まれた時期だった。

あれから10年以上になる。
子供を育てて、その歩みを、みながら
いろんな演出の芝居にも出演して
たくさん俳優は若手や年配の交流、色々な演出家や作品に稽古場と舞台を踏んで

子供が産まれてわかることは、
この生命が
あまりに、最初、何もできないことだ。
あまりにも無力ということだ。
ひとりで生きてはいけないということだ。
初めは世話から始まり、色々してあげる

そこから、一つできて、二つできて
それが喜びで、それが自分の発見で

僕はこの稽古場で、
そんな父でもある親のテツタさんの
面影も見ている、気がする。


戦って、獲得したもの
戦って、捨てたもの

続けて、わかること。




シバイハ戦ウ。



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