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折に触れ、見返したくなる文章はイイねで測れない

折に触れ、見返したくなる文章がある。それは世の中のソーシャルサービスが定義するイイねの数やエンゲージメント率では決して測る事ができない価値があると思う。

「なぜ見返したくなるのか」を考えてみるけれど、文章により見返すタイミングが異なっており、なんとも言えなかったりする。それでも何か共通するものがあるのでは、と実際に何度も見返してしまう文章について例を挙げ、それらについて考えてみようと思う。

Taejunさんの文章

例えば、このnote。もう何回見返したかわからない。

声を出すことのできない弱い立場にいる子供達のことを考え、想像し、痛みを共にしながらも、問題の重要性を伝える。本人の写真や個人情報を使うことなく「文章のみ」で、読み手に共感と課題意識を持たせる技量。(本人の写真や個人情報を使わないのは、子供達の尊厳を考えてのことだと思う。おそらくだけど。。)

そして課題を訴えるだけでなく、実際に解決策を講じ、実践を伴っている。そんな言行が一致している文章には強い説得力があるのだと、勉強させられると共に、本当に頭が下がる。

特に最後の3行は何度読んでも心を動かされ、静かに熱い気持ちにさせられてしまう。僕は自分のやる事がうまくいかない時、自分の心の火が弱ってしまいそうな時、この文章を読みにきてしまう。

今日は子どもの日。いろんな嫌なことを経験してすっかり根暗になってしまった僕は、大勢の人が楽しむことが当たり前の日に、それが叶わない人のことばかり考えてしまう。

坂之上 洋子さんの文章

これはnoteではないけれど、坂之上 洋子さんという方のblogだ。本当に優しく思いやりのある文章で、読むといつも救われる気持ちになる。

多くの人が気づかない問題に気づいてしまったり、多くの人が気づかない痛みを感じてしまう。世の中の大きな流れについていけない、ついていきたいとも思えない。そんな時、大きな孤独を感じてしまう時がある。

仕事でも何でこんな無駄なやり方をしているのだろう、何で誰もこの課題を解決しようとしないのだろう、といろいろな疑問がありながらも、空気をある程度読まないとやっていけないとも思ったり。その天秤にかけられながらも、何とかバランスを保とうと必死になって。

それでも自分が圧倒的に少数派だと感じる時、自己否定や自暴自棄になってしまいそうになるものだ。そんな時、僕はこの人の文章を読みにきてしまう。

ちゃんと(違和感)を大事にできた人は
違和感がある方が、どんなに人生が素敵になるか、わかっているの

あなたも、絶対に、あとで、そのことが、わかるから
焦らなくていいのよ

安田 祐輔さんの文章

これもnoteではないが、安田 祐輔さんという方のblogだ。

挫折し、出遅れてしまった。それでも何とかしたいと前向きに頑張りたいけれど、頑張れない。口だけでやる気がないだけだと、世間の常識やその時代の正解に押さえつけられてしまう時は本当に苦しいものだ。

支援というと、強者が弱者に行うもの、というイメージがあるけれど、彼は違う。どの口が何をいうかが肝心ではないけれど、挫折を経験した人間にしか書けない文章というものがあり、その文章に救われる人がいるということを学ばされる。

一見マイナスに見えるような経験が、ある人にとっては一筋の光となることがある。「なんで自分が」と思ってしまいそうな出来事を経験した時、その宿命のようなものに負けそうになった時、僕はこの人の文章に出会いたくなる。

強くて優しい人たち

僕は子供の頃、ヒーローに憧れてきた。彼らは皆強くて優しかった。困っている人の立場にたち、いつも弱い人を助けてきた。

今回紹介した3人も皆、強くて優しいという点で共通している。

そんな彼らの強さは皆、生来の弱さと優しさからきているような気がする。つまりもともと強かった人が優しいという訳ではなく、もともと弱かった人が、その優しさ故に強くなった人達なのではないかと感じてしまう。(お会いした事ない人のことなので、完全な推測です。勝手にすみません。。)

そして、一見ネガティブに見えるようなこと、多くの人がマイナスに捉えることの中にプラスを見出してくれる人、気づきをくれる人たちが紡ぐ文章を、僕は折に触れ、何度も読み返してしまうのだと思う。

そんな文章はイイねの数で測ることはできないと思う。だからそういった文章に出会うのはなかなか大変だと思いつつ、そういう心を動かす文章にもっと出会いたいと思うし、(おこがましくも)自分がそんな文章を書く事ができたならどんなに素晴らしいだろう、と考えてしまう。


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