ワクチン接種会場のスタッフは、名前を剥ぎ取られた"千"ばかりだった。

 気がつけば、月一、二回程度の更新頻度になっているので「これは、いかんな」という思いはあるが、執筆作業で毎日ワードに文章を打ち込んでいるので、日々何かを書いている/創っている感じだけはある。

 そのせいか最近は、X (旧Twitter、という書き方をすると急な報道記事感が出てくるライフハック) でも呟きは、ほとんどしていない。

 かつては、仕事の中にウ◯コをする時は、「時給発生中にするウ◯コの気持ち良さ、プライスレス!」みたいなことを欠かさない茶めっけタップリの(社会)悪の華だったのですが、書くという欲求が満たされているせいか、いまではそのような下世話なことは一切呟かなくなった。

 日々の食事を糞へと変換して出すという性能を兼ね揃えた、人語を喋る筒状の生命体になっているのが現状です。

 しかしながら、アウトプットをしたい欲だけが徐々に溜まってゆくのも良くないので何かしら書きたいという気もあり、生存報告を兼ねて、なんか書く。

 今日は朝から、4回目のワクチン接種だったのですが、会場がいつも執筆に使っていた某市営施設(図書館有り)である。

 こういった図書館の入っている施設には、大概あると勝手に思っているが、学生なんかが主に自習なんかに使うだだっ広いフリースペース全体が、9月下旬から現在にかけて接種会場になっている。よって朝の有意義な執筆活動に若干の支障が出ているわけだが、仕方ない。

 4回目の接種にして、初めて接種会場へと変貌した場に訪れたが、案内役も兼ねてか通路の角に立っている看護師の方が胸元に付けているプレートには「看護師 6」とあった。

 ワクチンを受けにきた者からすると「看護師」だけでも構わないし、「〜救護係」とか「接種会場スタッフ」でも構わないが、「看護師」という役割のみを明記した上で、番号が振られていることに突如として漂う刑務所感、収容所感に笑けてしまった。

 人間を名前ではなく番号で呼ぶのは、戦争捕虜や懲罰で人権を著しく制限しているときを思い浮かべるが、名前を剥ぎとって、相手の人格を認めない有名なBBAキャラとしては、『千と千尋の神隠し』の湯婆婆を思い出す。

この「看護師6」の人も湯婆婆的な奴に、「生意気な名だね~」と詰られて「今からお前の名前は『看護師6』だ!」とか言われたんだろうか。

 『千と千尋~』といえば、主人公の女の子は千尋ちゃんなんですけどね、僕が湯婆婆だったら、名前を"千"として残すんじゃなくて、尋の字の、ヨと寸を取って、"エロ"の部分を残しますね。

 小学生のときに、クラスメイトに「千尋ちゃん」がいたので、「"尋"の字って、真ん中にエロがあるじゃん!スゲー!」とそのときは悪気もなく、世紀の発見の如き大興奮で言ったら、「最低」とだけ言われて、そこからしばらく無視されましたね。

 どうですか、皆さん。
 ここまで読む価値のないnote、他にあります?

 ワクチンの副作用はさほどないですが、注射された腕が筋肉痛みたく痛みだしたので、今日は生存報告ということで、この辺で。

 明日は朝一で映画『月』を観ます。激重な気がしますが、楽しみしみ。

 

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