サッカーの練習や試合中の出来事で
ボールに行け‼︎
っていうから行ったけど、行ったら交わされたやん…
交わされたら交わされたで
1発でいくな‼︎
って、怒られますやん
っていう場面、往々にしてあると思うのですが、果たして『行け‼︎』の意味はお互い共通しているのかな?って思いました。
先日、投稿したアジリティや一歩目の速さの相談を受けた時に
そういえば…
と、考えるようになり、今回の投稿は、こちらのテーマになりました。
それでは、行きましょう。
『行く』
Google先生によると
行く=物事が進む
って事らしいです。
つまり、行けってのは物事を進める為?
まず、そもそもそのように使われてる?
ボールが今ある場所に行けばいい
と解釈してしまいがちだが
そうではなさそう
でも、そのようには使われてなさそう
ボールが今ある場所から動かさせたい
という意味がGoogle先生によると、どうやら正解っぽい
でも、そのようには使われてなさそう
もうこの時点で解釈が分かれそうな要素がありますよね。
以前、日本語は映像的であるという本を紹介して頂いた。
本の中に、日本語は共同注視の視点を重視していると書いてあった
二人が共有する場を臨場感をもって表現するのに適した言語だと
映像が共有出来ていれば、必要最小限の言語で会話が成立する
「あの丘の上にある家」といった具合にカメラの位置を定める事で、そのあとの会話が必要最小限の言葉で成立する
あれ?ボールに行け!って、もしかして
自分からじゃなくて、ボール側にカメラ置け!って意味か???
今、このnoteを作成しながら、日本語は映像的であるを読み返しがら、ふと思いました。
そうすると、ボールにいけ!って言われたから行ったら交わされたやん。
は、カメラが自分側からのままだから、ボールはもうそのカメラには映ってないじゃないですか。
自分のカメラの中には、ボールは無くなる。
自分のカメラの中に、ボールがあるようにする為には交わされてる場合じゃないですね。
二人が見てる(この場合は指示を出してるスタッフと、指示を出されている選手)映像が異なってしまいますね
今のボールの状況から、このボールの行方は?と予測してカメラを移動させる事って、とても大切なんだと
ノリシロヅクリの鬼木さんが教えてくれた事は、こういう事なのかな。
サッカーはボールをゴールに入れる事で点数が生まれます。
その点数を競い合うスポーツである。
今現在は相手のボールで、自分達のボールにする為には物事(相手の攻撃)を進める。
しかし、見てるだけではサッカーでは自分達有利には物事は進まない。
ボールを持ってる側も『来ないならボールあげるよ。』
なんて世界中どこを探してもアンパンマンくらいしか思い浮かびません。
いわゆる動画を見てる時の一時停止もしくは停止ボタンを押してるのと同じ、もしくは映画を見てるような感じで感情移入こそ出来るが登場人物としては現れる事はない感じ。
関われない感じに見てるだけでは、なってしまう気がします。
だから、相手ボールを自分達ボールにしたい時には、一瞬で交わされないように、ボールが次にどうなりそうか予測しながらカメラを置き換え続ける。
その為にも、映像を共有出来る様に、言葉を共有するってとても大切だな。と感じました。
今回もまとまりのない文章を思いのままに書いた文章を読んで頂きありがとうございます。
また次回もお会いできたら嬉しいです!
髙田
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