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読書記録④捨てられる教師

本を読んだ。「捨てられる教師」。

ふだんこういう本は読まないのだけれど、上司が貸してくださった。
さらりさらりと読む。

良くも悪くもセンセーショナルな書きぶりで、「伝統的な学校」をサゲ、「これからの学校」を打ち立てる。
著者略歴の1行目に「学校改革プロデューサー」とあるのは自覚的だろう。

結論からいうとおおむね賛成だな、というか、まあそうだよな、という感じ。
ブルーム・タキソノミーに基づく「知識」「理解」「応用」から「分析」「評価」「想像」へ、というのはわかりやすかったな。

よく読むと(教養のあたりとか)で示されているように知識の獲得も大事という前提はもちろんあるんだけど、特に前段はあまりにもセンセーショナルに書きすぎでは、、、

とかうんぬん書いている今きづいた、
この本、「やべ、捨てられるかも!?」と焦っている"救われるべき伝統的先生"の目をピカッとさせる用の本だ。
20代ぺーぺーの自分が読んでも、「そりゃそうなことをそんな大げさに書かなくても……」という気分になるか、そっか。

でもこういう本もたまに読むとちゃんと考えられて、というか、現在地を確認できて、よいな。自分が何考えてるか、すこしわかる。

にしてもこういう話って「従来の学校のくすぶる子」と「ニュースクールのすげぇ輝く子」を比較して、「従来の学校」と「ニュースクール」の比較に置き換えがち。

そりゃそういう子もいるけど、ボリューム層は、そんな簡単な話じゃないと思うんだよなあ。

もちろん、最近の通信制はまじですごいよ。
ポジティブに選んだなら、特に情報系はトップだ。探求とかだって敵わない。
でもさ、多くの子はそうじゃないじゃん。実際。それを忘れて理想だけ見上げてちゃ、今より救えないものがでてくる。

なんにせよ、「自由」「発展」は能力があるやつに有利なルールだ。
公教育はそれだけじゃない、っていうか、そういう子が自由に発展するのを決して妨げない努力はすべきだけど、公教育は、それだけじゃない。セーフティーネットの側面を大事にしていかなければいけない。とも強く、強く思うのだ。

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