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メモリアルジャーニーのすすめ~第二部:20年前への旅編~【エセ・エッセイ023】

このエセ・エッセイの裏話、語ってます。

だーやまの語るシスナイト
EP.4 メモリアルジャーニーのすすめ・裏話~20年前への旅編~

https://podcasters.spotify.com/pod/show/dayama33/episodes/EP-4-20-e2kankf

10年前に住んでいた街を離れ、時間をさらに巻き戻していく。
今度は20年前。大学生の頃に一人暮らしをしていた街へ。

何を隠そう私と旦那はこの街で出会っているため(大学の先輩・後輩だった)夫婦二人ともに思い出深い地だ…と思っていたのだが、駅に降り立ってみて驚いた。変わりすぎである。いや、街が変わったのか自分の記憶が定かでない(あるいはその両方)のかはわからないが、景色に見覚えがなさすぎて『タイムスリップ』なんて風情のある気分は吹き飛んだ。もはや「どこだここは」状態である。

ひとまず大学までの道を歩いてみることにした。10年前の街と違い、道すがら思うのはただ「あの店が残っているかどうか」。結果、記憶のまま残っていた店はたったの2軒。それでも2軒ともに看板から店構えから当時のままだったのだから、20年という歳月を考えれば奇跡に近いことだろう。

母校も外から見る限り、新たな建屋を増やしていたり変化はあるものの概ね記憶に違わず。懐かしがりながら周辺をひとしきり見て回った。そして、いよいよメインイベントである、かつての我が家へ向かうことにする。
ここからは本格的な記憶との戦いの始まりであった。

まず、道がサッパリわからなくなっていた。確かこの辺りを曲がるはずという場所に、見覚えのある建物がまったく見つからない。そうなると生来の方向音痴により「知った風景のある同じ道からしか行けない呪い」にかかっている私にとって、4年間ほぼ毎日通ったはずの道はすでに見知らぬそれだった。

かろうじて町名だけは覚えていたもののマンション名は思い出せず、30分も諦めきれずに彷徨った頃だろうか。なんとなく電柱に書いてある番地を眺めて、ふと番地なら覚えているかもしれないと思い当たった。住所というのは割に書いたり入力したりが発生するため「〇丁目〇の〇」などをなんとなくリズムで覚えていたりするものだ。

そこで、番地らしきリズムの数字を覚えていないか考えてみたところ、現住所と10年前の住所のほかにそれっぽい数字の並びが頭に浮かんだので、旦那に伝えてみた。旦那は、記憶にないという。それでもダメ元で、マップでその住所を検索してくれた。

「○○っていうマンションみたいだけど…」

「それだー!!!!」

その瞬間、ものすごい勢いで脳内をヒカリが駆け巡った。ヒカリはたぶん、走馬灯のように一気に湧いてきた記憶の断片で、さっきまで全く出てこなかったマンション名が過去の自分の声で聞こえたようにさえ思い、もうこれは間違いないと確信してみるみる力が湧いてきた。

散々歩いた足の痛みも疲れも吹っ飛んで、意気揚々とマップを確認しながらマンションへ向かってみる。わりに近くまでは来ていたらしく5分もかからず着いた。相変わらず周りの景色に見覚えはなかったが、マンションの前まで来ると「ああ、こうだった」と記憶がすぐによみがえる。

建物自体があったことにもまず安堵したし、20年も経っているのにあまり外観が変わっていなかったことも嬉しかった。しばし外から眺めると、あの頃のままに見える玄関やベランダにいくつも思い出される記憶があり、懐かしさを感じる。

だけど、そこで感じたのはそれだけだった。
思ったよりずっと、それだけだった。

20年前、この場所に来たばかりの頃。一人暮らしで生まれてはじめて手に入れた「自由」がとにかく強烈で、ここで過ごした4年間が人生で最高だったと思っていたこともあった。それでずっと、20年前に住んでいたこの街へ、家へ行ってみたらどんな気持ちになるだろうかと夢のようにぼんやりと考えていたのだ。なんとなく、懐かしさと同等の、何かこみ上げる感情があるものなんじゃないかと思っていた。

変わらないものと変わったものとを比べたら、やっぱり変わっていることの方がずっと多かったからかもしれない。それで、思い出と一致しない街並みや、見覚えのないマンションまでの道などと同じく「大きく変わったもの」のなかに私自身が入っていたんだろう。

あの頃の自分の世界は、すごく狭かったんだと今ならわかる。この街が、このマンションが、私が「自由」と呼んでいた世界のほとんどすべてだった。

そこから20年が経ち、私の世界はあの頃より圧倒的に広くなった。
そして今の方がずっと「自由」だ。

懐かしいマンションを眺めながら、やがて浮かんできたのは「もうここには来なくて大丈夫だ」という納得に近いような思いだった。

こうして”リアル探偵ナイトスクープ”みたいな愉快なたどり着き方で20年前の思い出の我が家と対面した私だが、今回、実際に訪れてみて「もうここをふり返ることなく、今をぐんぐん進んでいこう」という気持ちになった。

これが気持ちの整理がついたってことなのかもしれない。
自分のなかに残っていたあの番地のリズムも、もう忘れてよさそうだ。

ぜひ、読んでくださった方にも節目の「メモリアルジャーニー」をおすすめする。

きっと、懐かしいあの頃を体験したあとには、前を向いて今をぐんぐん進みたい気持ちになれるはずだから。




X(@Da_yama_Da33) では主に本業のセッションについてのことや、日々の生活について短いエセ・エッセイもどきを発信中

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