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『陰陽師安倍晴明の優雅なオフ~五人の愛弟子奮闘記~』第1話 【創作大賞2024・漫画原作部門応募作】

あらすじ 
 時は平安と呼ばれていた時代、平和と思われた京の都にも、物の怪の類が連日連夜、悪さを働こうとしていた。
 それらをほぼ未然に防ぐ活躍をしていた、稀代の天才陰陽師『安倍晴明』。
 ところが、晴明は「後は任せた」と言い出して、突然(部分的な)休暇に入ってしまう。
 弟子である五人の女の子たちが、師匠の代わりに物の怪退治へと赴くも、思わぬ事態が発生して……!?
 新感覚の平安妖退治ファンタジー、ここに幕開け!

本編

「むうっ!」
「こ、これは……! な、なんと面妖な……」
 夜の京のとある路地に不気味な黒い物体が蠢く。それは人とも獣とも言えない不思議な姿形をしている。対応する為に出動した京の治安維持に当たる検非違使の兵も動揺を隠すことが出来ない。兵を率いる長が声を上げる。
「ひ、怯むな! 直ちに攻撃せよ!」
「よ、よろしいのですか?」
 副官が不安気に尋ねる。長が声をさらに張り上げる。
「同じことを言わせるな!」
「は、ははっ! 攻撃準備!」
「……!」
 副官の声に応じ、兵たちが弓を構える。
「……放て!」
「!」
 兵たちが放った無数の矢が物体に突き刺さる。
「ど、どうだ……?」
「……」
 物体はわずかに動きを止めたようにも見えたが、またすぐに蠢き始める。副官が驚く。
「き、効いていない⁉ あれほどの矢を受けて⁉」
「むう、仕方がない。刀と槍で攻撃せよ!」
「………」
 長の声に対し、兵たちの反応は鈍い。長が怒る。
「な、何を躊躇している⁉ 各々の役目を果たせ!」
「…………」
 長の怒声に兵たちは一応、刀や槍を構えるが、誰一人前に進み出ない。
「くっ……」
「お困りのようですね……」
「むっ⁉」
 後方から涼やかな、それでいてよく通る声が響く。長が振り返ると、そこには武装した兵たちとは対照的な、狩衣を纏い、袴を穿いて、立烏帽子を被った男性が立っていた。男性は扇をぱっと開いて、提案する。
「我で良ければ、お力をお貸しいたしますが?」
「だ、誰だ、お前は⁉」
「い、いや、この者は陰陽寮の……」
 副官が長に告げる。長が首を傾げる。
「陰陽寮だと? 占いなど頼んでおらんぞ?」
「ほう、もしかして……我のことをご存知でない?」
 男性は開いた扇を口元に当てながら、小首を傾げる。
「こ、こちらは地方から先日赴任してきたばかりで……」
 副官が補足する。男性が頷く。
「ああ失礼、田舎者の方でしたか……」
「ぶ、無礼な!」
ですから失礼と申したではありませんか
「そ、そういう問題ではない!」
「それよりも」
 男性が長の鼻先に閉じた扇を突き付ける。
「う……」
ああいう類に対して、刀槍や弓矢で戦おうとしても栓無きこと……
「なに?」
「まあ、なんとかしてしまう者も中にはいなくもないのですが……」
 男性がそう呟いて苦笑する。長が問う。
「あれはなんなのだ?」
「……至極簡単に申せば、『物の怪』ですね。貴方はご存知ありませんでしたか?」
 男性が副官に問う。副官が首を捻る。
「き、基本的には昼間のお役目が多かったもので……噂には聞いておりましたが……」
「成程ね……」
 男性がゆっくりと前に進み出る。長が問う。
「な、何をするつもりだ?」
「どうぞお静かにお願いします……」
「む……」
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!
「‼」
 男性が文字を唱え、前方に向かって指を振ると、光の条のようなものが幾筋も放たれ、黒い物体に刺さる。黒い物体はたちまち霧消する。男性は踵を返して呟く。
「はい、おしまい……後始末は陰陽寮の者にお任せください」
「ま、間違いない。烏帽子から覗く白髪、年齢不詳の顔つき……あ、あの者がこの京洛きっての陰陽師安倍晴明(あべのせいめい)殿です……」
「安倍晴明……」
 長たちが見送る中、晴明がその場を優雅に去る。
「……こんな朝っぱらから呼び出しとは、何の用だよ?」
 あるお屋敷の中の一室で、緑色の長い髪を後ろで一つに結んだ女子がぼやく。
「……そんなに朝早くもないでしょう。まったく、だらしのない……」
 緑髪と一人挟んで右隣に座る金色の巻き髪をした女子が呆れる。
「ああん? だらしねえだと?」
「い、諍いはやめましょう……栞さん、金さん……」
 緑髪と金髪の間に座る、青く、うなじが見えるくらいの短い髪をした女子が緑髪を宥める。
「いやいや、喧嘩をふっかけてきたのはこいつの方だぜ、泉?」
「い、諍いというのは同じ程度の者の間でしか起きえないものですから……」
「ちょっとお待ちください! それではわたくしもこの方と同程度だと⁉」
「あははっ、泉ちゃんってば面白いことを言うよね~。ねえ、基ちゃん?」
 緑髪の左隣に座る長い赤色の髪の女子がケラケラと笑う。長い髪をやや無造作にしているが、それがかえってまとまり良く見える。赤髪は左隣に問いかける。
「面白いけれど、焔も含めて少し静かにして欲しいかな……眠い……」
 赤髪の左隣に座る茶色の短い髪をした女子が欠伸をする。短いと言っても、青髪の子よりはやや長く、毛先が少し跳ねている。
「みんな、おはよう……」
 晴明がその部屋に入ってくる。五人の女子が揃って頭を下げる。金髪が口を開く。
「おはようございます……晴明殿は昨晩も大層なご活躍だったそうで……」
「いやいや、そんなに大したものじゃないよ、金(こがね)
「謙遜するなんて謙虚だね~晴明ちゃん」
「そうかい、謙虚さを君にも分けてあげたいよ、焔(ほむら)
「連日連夜の活躍はとっても嬉しいよ。晴明くん」
「うん、一体誰目線なのかな? 基(もとい)
「で? 呼び出して何の用なんだよ? 晴明?」
栞(しおり)、礼儀を教えてあげたいところなのだけどね……違う、伝えたいことがあってね」
「伝えたいこととはなんでございましょうか? お師匠さま?」
泉(いずみ)、ちゃんとしているのは君だけだね……かの弘法大師がこの日ノ本に伝えた七曜という考え方がある……七日の内、二日だけ働いて後は休ませてもらうよ、五日は君らに任せた
「⁉」
 晴明の言葉に五人の女子は揃って驚く。


「後は任せるって言われてもよお……」
 晴明が部屋から退出した後、横一列だった五人は円座になって座っている。栞が自らの頭を撫でながらぼやく。栞から見て、右斜め前に座っている金が胸を張る。
「晴明殿からの信頼を勝ち得たことを誇らしく思うべきです」
「……果たしてそうかな?」
「な、なにがです?」
 金が自らの右隣に座る基に視線を向ける。基が話を続ける。
「体よく押し付けられたような……」
「せ、晴明殿に限ってそのようなことはありません!」
 金が声を上げる。基の右隣、栞の左隣に座る焔が口を開く。
「いやあ、案外そんなもんだと思うよ~金ちゃん?」
「焔さんまで! 何を根拠にそう思われるのですか?」
「う~ん……勘?」
「勘って!」
「半分冗談だけどさ……」
「じょ、冗談を言っている場合ではありません!」
「これまでの積み重ねがあるからね~」
「積み重ね……」
 金が思いを巡らせる。
「恐らく、十中八九は焔の言う通りだろうね。要は面倒になったんだ」
「……だろうな」
 焔の言葉に、基と栞が同調する。金が反論しようとする。
「そ、そんなことは……!」
「ちょ、ちょっとお待ちください……! こちらを……」
 金の左隣に座る泉が紙を持ち出す。金が尋ねる。
「泉さん、それは?」
「退出の際に渡されました。今回の詳細については面倒だから、これに記してあると……」
「口頭でさっさと伝えちまった方が、面倒が少ないと思うけどな……」
 泉の説明に栞が苦笑する。焔が尋ねる。
「それで~? なんて書いてあるの~?」
「は、はい、えっと……『疲れた』と……」
「さ、三文字⁉ たったの⁉」
 金が愕然とする。
「……それはこちらが言いたいくらいだけれどね……」
 基が顎に手を当てて、呆れ気味に呟く。
「さすがに説明不足過ぎるぜ」
「まあ、いつものことといえばそれまでだしね~」
 栞の言葉に焔が笑う。栞が頭を軽く抑える。
「そうは言ってもな……」
「とりあえずは情報の整理に努めるべきです」
「与えられた情報が余りにも少な過ぎるよ……」
 泉の発言に基が肩をすくめる。
「ごぼう大臣がなんとかとか言ってやがったか?」
「弘法大師です」
 栞の適当な発言を、落ち着きを取り戻した金が訂正する。
「それだ、七輪がどうとか言っていたよな?」
「七曜です。煮炊きをしてどうするのですか」
「それだ……なんだっけ?」
 栞が首を傾げる。基が口を開く。
「七曜……古より、唐土などで用いられている天文についての考え方……木星、火星、土星、金星、水星に、日と月を加えてひとまとめにしたものだよ」
「なるほど……それで?」
 栞が腕を組んでさらに首を傾げる。基が続ける。
「晴明くんはこう言った……『七日の内、二日だけ働いて後は休ませてもらうよ』と……」
「うん? つまり……」
「どうやら七日間を『』という単位でくくるという考え方もあるらしい……二日だけ働き、五日間は休む……さしずめ『週休五日制』と言ったところだね」
「や、休み過ぎじゃねえか⁉」
 栞が基に向かって声を上げる。
「ぼくに言われても困る……」
「連夜の物の怪退治でお疲れになったのでしょう……」
「昼間も陰陽寮での公務がおありですしね。それも若干サボりがちではありますが……」
 泉と金がうんうんと頷く。
「それにしても羨ましいよね~アタシもそれくらい休みたいよ~」
「オレもだぜ……」
 焔の言葉に栞が同調する。
「そういうわけにもいかないだろう。ぼくらと晴明くんは弟子と師匠の間柄……それぞれ恩義もある。意向に従わないというわけにはいかない……良い服を着せてもらって――殿方が着る狩衣だが――立派な屋敷に住まわせてもらい、豪華な食事を頂いているからね」
「ふむ……」
 基の話に金が頷く。
「というわけで、今後の方針を決めておかなければならない」
「今後の方針ねえ……」
「何を決めれば良いのか……」
 栞と焔が揃って腕を組み、首を捻る。
「やはりお困りのようですね……」
「説明不足の補足に参りました……」
「うわっ⁉ び、びっくりした……」
 栞と焔の後方におかっぱ頭の双子が立っている。それぞれ頭髪の半分が白髪である。
「も~う、音もなく現れないでよ~朧ちゃん」
 焔が頭髪の右半分が白髪の子どもに声をかける。子どもが首を左右に振る。
「われは旭(あさひ)です。朧(おぼろ)はこちら……」
 旭と名乗った子どもは、頭髪の左半分が白髪の子どもの方を指差す。
「あ、そっか~ごめん、ごめん」
 焔が謝る。朧が口を開く。
「あらためて説明をいたします……晴明さまが申すには、『君たち五人には教えることはもうほとんど何もない』と……」
「いや~それほどでも~」
「ありますわね……」
「ちょっと照れちまうぜ……」
「ああ」
「ええ⁉ 誰一人として否定しない⁉
 焔と金と栞と基の反応に泉が驚く。朧が話を続ける。
「……続けます。『例えばこの五日間の間に物の怪の類が現れたとしても、五人全員で揃って出動する必要はない。つーまんせるで動くように』と」
「つーまんせる?」
「二人一組で行動しろということだそうです」
 焔の問いかけに旭が答える。基が頷く。
「なるほど二人組か……単独は危険……三人以上だと小回りがやや利かない……まあ、それくらいが適当なのだろうね……では組み合わせを決めるとしようか」
 基が四人に声をかける。話し合いは意外と長引いたが、夕暮れには決まった。旭が頷く。
「……お決まりのようですね」
「それでは、早速そちらのお二人から出動して頂きます。物の怪らしきものが現れたという報告がありました」
「!」
 朧の言葉を受け、五人の顔に緊張が走る。
「……まあ、というわけでオレらからなわけだが……」
 栞が頭の後ろで手を組みながら歩く。
「は、はい……」
 栞の呟きに対し、栞の斜め後ろを歩く泉が不安気に頷く。栞が振り返って尋ねる。
「なんだよ、泉……ビビっているのか?」
「え、ええ……」
「いやいや、物の怪退治なんて、もう何年もやってきていることじゃねえか」
「そ、それは、五人で一緒にだったり……もしくはお師匠さまが必ずついていてくださっていましたから……二人だけというのは……」
「もうちょっと自信を持てよ」
「じ、自信ですか?」
「ああ、晴明の野郎がいなくたってオレらは十分やれるさ」
「そ、そうでしょうか?」
 泉が首を傾げる。
「そうだよ。繰り返しみてえになるが、オレらだってそれなりの場数は踏んできているんだ」
「……」
 泉が考え込む。
「な?」
「自信……」
「そうだ、てめえのことを信じるんだよ」
 栞が自らの左胸のあたりを右手の親指でとんとんと叩く。
「過信にならなければ良いのですが……」
「か~お前さんってやつは昔から心配性だね~」
 栞が頭を軽く抑える。
「す、すみません……そういう性分なもので……」
「性分っていうのはなかなか変えられないか?」
「ええ……」
「それじゃあ、ひとつずつ不安要素を取り除いていけばいい」
「え?」
「そうすりゃ心配も無くなるだろう?」
「ま、まあ、そうですね……」
 泉が頷く。
「まずはだ、あの晴明の野郎ってのはだいぶいい加減で胡散臭い野郎だが、そこまでいい加減な野郎ってわけじゃねえ」
「え、ええ……?」
 栞の言葉に泉が戸惑う。
「なにも単なる思い付きでオレらに任せているってわけじゃねえってことだよ」
「う、う~ん……」
 泉が腕を組む。
「オレらのこれまでを見てきて、これなら任せられると思ったから、休みを取ったってことだろう?」
「そ、そうかもしれませんね……」
「だろう?」
「ふむ……」
「泉、お前さんはどうも自分に自信が持てないようだが、晴明はお前さんを含めて、オレら五人のことを信頼しているんだよ」
「お師匠さまが信頼してくださっている……」
「ああ、そうだ」
 栞が頷く。
「ほう……」
「へへっ、どうだ、心配の種が無くなったな?」
「ま、まあ……」
「よし、それで良い……」
「でも……」
 泉が首を傾げる。栞が呆れる。
「まだ心配してんのかよ? ……分かった、むしろ心強くなることを教えてやる」
「え?」
「知りたいか?」
「し、知りたいです!」
「なんだと思う?」
 泉がやや間を置いてから答える。
「……見当もつきません……」
「それはな、このオレがついているってことだよ」
むしろそれがもっとも心配です
「はあっ⁉」
 泉の即答に栞が驚く。
「……着きました」
「おい、泉、今のはどういう意味だ?」
「栞さま、集中しましょう」
「むう……」
「この辺りが物の怪が現れたという報せがあった場所ですね……」
「ここら辺にも墓地があったとは知らなかったぜ……」
「なんでもあまり人が利用しない墓地だとか……」
「そんなことあるのかよ?」
「どうやらあるようですね」
「知られちゃマズい墓でもあんのか?」
「さあ、そこまでは……」
「妙だな……」
 泉と栞が周囲を見回しながら会話する。
「むっ!」
 泉が視線を向けると、ゆらゆらと空中を飛ぶ、火の玉がいくつか見える。
「あれか!」
「お任せを!」
「おう、任せたぜ!」
「はあっ! 『水流』!」
「!」
 泉が素早く印を結ぶと、彼女の周囲から水が勢いよく噴き出し、それらを被った火の玉はたちどころに消える。
「ふう……」
 泉が安堵のため息をつく。
「水の量が前よりも増えてねえか?」
「ええ、修行を重ねましたから……」
 栞の問いに泉が答える。
「……これは提案なんだけどよ……」
「はい、なんですか?」
扇子とかから水を出せるようにするのはどうだ?
「……それは何の意味があるのですか?」
 泉が目を細める。
「意味はねえけど、宴会とかでウケるぞ」
「ウケなくても良いんですよ……むっ⁉」
「……!」
 土の中から、人間が腐ったようなものが現れ、泉たちが驚く。
「な、なんだ⁉」
「土の中から人が⁉」
「……」
 土の中から現れたものがゆっくりと泉たちの方に歩いてくる。栞が声を上げる。
「い、いや、あれは人じゃねえ!」
「と、ということは?」
「……死体だろう」
「な、亡骸ですか⁉」
 泉が信じられないという様子で声を上げる。
「ああ、そうだ」
「亡骸は基本、野ざらしにするものですが……」
「理由あって、土の中に埋めちまったんじゃねえか?」
「……その理由とは?」
「そんなのオレが知るかよ」
「ですよね」
 泉が頷く。
「いや、一瞬で納得すんなよ……」
 栞が不満そうに唇を尖らせる。
「しかし、土の中から出てくるとは……」
「ああ、今まで見たことがない物の怪だ」
「物の怪とも違うような……」
「じゃあ、あやかしか?」
「あやかしとも違うような……」
「それじゃあ、なんだよ?」
「分かりませんが……明らかなことがあります」
「なんだよ?」
「か、かなり強烈な臭いです……」
 泉が顔の半分を手で覆い、顔をしかめる。
「まあ、死体だからな」
「栞さまは平気なのですか?」
「平気ではねえけど……オレくらいになると、耐えられるのさ」
「ああ、やせ我慢ですね」
「おい、そこは我慢で良いだろう。やせって付けると意地を張ってるみてえじゃねえかよ」
「実際、その通りでしょう」
「お前な……うん?」
「………」
 土の中からどんどんと腐った死体が現れる。
「おいおい、ずいぶんとまた豊作だな……」
 栞が苦笑交じりに呟く。
「この辺り一帯に埋まっていると考えた方が良さそうですね……」
「ええ……おおっ⁉」
 栞たちの背後にも腐った死体たちが土の中から現れる。
「挟まれてしまいましたね」
「このままだと囲まれるのも時間の問題だな……」
「先手を打つしかありませんね」
「おいおい、これまで見たことも聞いたこともない相手だぞ? 手はあるのか?」
「物は試しです……よろしいですか?」
「よろしいですかってなんだよ?」
「手柄を独り占めにしてしまっても……」
 泉の言葉に栞が思わず噴き出す。
「はっ、お前がその手の冗談を言うなんて珍しいこともあるもんだな……結構なことだぜ、どうぞどうぞ、お好きになさってくださいな」
 栞が泉を促す。泉が構える。
「では……はあっ! 『四方八方水流』!」
「!」
 泉が印を結ぶと、彼女の周囲から勢いよく水が噴き出す。腐った死体たちはその勢いに押し流される。泉がそれを見て頷く。
「やはり、不浄なものは洗い流すのが一番……」
「だ、誰が不浄だって⁉」
「あ……」
 泉が栞にも水流を当ててしまったことに気が付く。倒れかけていた栞はなんとかその場に踏み留まって、体勢を元に戻す。
「ったく、危ねえなあ……」
「す、すみません! とりあえず水流を多く出すことに集中して術を練ってきましたので、細やかな扱いについてはまだまだこれからなのです……」
 泉が申し訳なさそうにする。
「まあ、強力な術があるのは良いことだけどよ……あら?」
「え? ……!」
 栞の視線の先を見た泉が驚く。腐った死体たちが体勢を立て直して、再び泉たちを包囲し始めようとしていたからである。
「まだ動けるみてえだな」
「そ、そんな……」
「どうやら水浴びがお好きみたいだぜ?」
 栞が冗談を言う。
「それでは、嫌いになってもらいます……!」
「まだ手はあるのか? それじゃあ頼むぜ」
「はい! 『水の矢』!」
「‼」
 泉が印を結ぶと、水が鋭い矢となって飛び、腐った死体たちの首をことごとく刎ねる。栞がそれを見て、口笛を鳴らす。
「~♪ やるねえ、そういうことも出来るとは……」
「こういうことも出来るのです……」
「…………」
 首が無くなった腐った死体たちがやや間を置いてから、再び動き出す。
「なっ⁉」
首が無くても動けるのかよ……
「くっ!」
 泉が腐った死体たちに向かっていく。栞が注意する。
「おい、泉! カッとなるな! らしくねえぞ! 少し頭を冷やせ!」
「首だけでなく、胴体ごと吹き飛ばしてしまえば……!」
「……!」
「なっ⁉」
 泉よりも早く、腐った死体が泉の懐に飛び込んできた為、泉は面食らう。
「………!」
「がはっ⁉」
 腐った死体の殴打をみぞおちに食らってしまった泉はその場に崩れ落ちる。
「泉!」
「………………」
 腐った死体たちが飛んだ首を拾い、自らの胴体にくっつける。栞が妙に感心する。
「き、器用な真似をしやがるな……ん⁉」
「………………」
 腐った死体たちが口を開き、次々と泉に嚙みつこうとする。
「おいおい! まさか取って食おうってか⁉ 冗談じゃねえぞ!」
 栞が慌てる。
「……」
「させるかよ! 『木の枝』!」
「………」
 栞が印を結ぶと、彼女の周囲から木の枝が生える。
「それっ!」
「!」
 木の枝が伸びて、泉の体を絡め取り、栞の方へと引っ張る。
「泉、大丈夫か⁉ しっかりしろ!」
「ぐっ……は、はい……」
 泉が自らの腹部を抑えながら、栞の呼びかけに応える。
「とりあえず無事か……」
 栞はほっとして呟く。
「す、すみません、お手を煩わせてしまって……」
「へっ、気にすんなよ、困ったときはお互いさまだ」
 申し訳なさそうにする泉に対して、栞が微笑む。
「ありがとうございます……」
「礼も要らねえっての」
「…………」
 腐った死体たちが栞たちの方へと近づいてくる。
「さて、どうしたもんかね……首を飛ばしても駄目だとは……」
「ご覧になったように見た目よりも素早いです」
「足も腐っていやがるのにな。どうやって走ってんだが」
 栞が苦笑する。
「厄介ですね……」
「……………」
 腐った死体たちが栞たちを包囲しようとする。
「また囲んできやがったか……」
「くっ……」
 しゃがみ込んでいた泉が立ち上がる。
「おいおい、あんまり無理すんなって」
「いや、ここは無理をする局面です……!」
 泉が声を上げる。
「そうか? とりあえずはオレに任せておけって……」
「もちろん、栞さまにお任せします」
「うん? それじゃあ、お前はどうすんだよ?」
 栞が首を傾げる。
「全力で逃げます」
「お、おい! 自分だけ逃げんのかよ⁉」
 泉の思いもよらない言葉に栞が声を上げる。
「……半分冗談です」
「半分は本気なんだな……」
「ふふっ……」
「いや、ふふっ……じゃなくてな……」
「この場で揃って斃れるよりは賢明だと思いますが」
「まあ、それはそうだが……」
 栞が顎をさする。
「いかがでしょう?」
「……それしかないか」
 栞が頷く。
「ただ……今の私の脚力ではこの者たちを振り切れないと思われます」
「ああ……」
「非常に口惜しいですが……」
「このまま揃ってやられることになるのか……」
「……栞さま、死体に噛みつかれたいのですか?」
「アホなこと言うな。そんな願望、微塵もねえよ」
 栞が肩をすくめる。泉が微笑む。
「そうですよね。安心しました」
「吞気に安心している場合じゃねえぞ」
「分かっています。ここは……」
「ここは?」
「栞さまのご奮闘に期待します」
「期待されてもな……」
 泉が栞の方に向かって、両の拳をグッと握る。
頑張ってください
「お、応援されてもな……」
 栞が自らの後頭部をポリポリと掻く。
「……………」
「死体どもが迫ってくるぜ、どうするかね?」
「分かりません!」
 栞の問いに対し、泉が元気よく答える。
「は、はっきりと言うな……」
「こういうことははっきりとさせた方が良いと思いまして」
「お前さんがさっぱりなら、オレはお手上げだ」
「お困りのようだね……」
「ん⁉」
 栞が驚く。自らの側に、手のひらほどの大きさの人の形をした紙がひらひらと舞って、それから晴明の声がしたのだ。泉が呟く。
「お師匠さまの式神……ご覧になっているのですか?」
「ああ、その人形の紙を通してね……」
「ヒマしてんじゃねえか」
優雅に休日を過ごしていると言ってくれ」
「それはどうでもいい……なんだ、冷やかしか?」
「その腐った死体たちの対処法を教えてあげようかなと思ってさ」
「わ、分かるのか⁉」
「ああ、なんとなくではあるけれどね……」
「なんでも良いから、早く教えてくれ!」
 栞が式神をグッと掴む。晴明の苦しそうな声が聞こえてくる。
「く、苦しい……は、離してくれ……」
「あ、ああ、悪い……」
 栞が式神を離す。
「……おほん、あの者たちに有効なのは、火で燃やすことだ!」
「……オレは火の術は不得手だ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだよ! 師匠なら弟子のことを把握しておけ! 紙引きちぎるぞ!」
「ま、待った! あの者たちは土の属性だ……ということは栞、木の術を扱える君なら克つことが出来る……! 『木克土』だ!」
「ああ、木は土の養分を吸い取るってあれか? しかし、吸い取るほどの養分があるようには見えねえが……」
「逆に考えてみたまえ、相手は死体だ……」
「……そうか! 『木生』!」
「⁉」
 栞が印を結ぶと、腐った死体たちの体から木が生え、腐った死体は崩れ落ちて霧消する。
「瑞々しい生命の力で、死体を圧倒すると……」
「そうだ、泉。しかし、よく思い付いたね栞、君特有の捻くれ具合が上手くいったのかな?」
「やっぱ引きちぎろうかな、こいつ……」
 栞が紙の式神を睨む。


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