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すべての命を平等に尊ぶ

 ゴキブリを殺した。できれば生け捕りにして外へ出したかったが、すばしっこすぎて無理だった。ゴキブリもネズミもアリも命だ。アリの命のほうが人間の命より軽い道理はない。神にとってはアリも人間も同じ。真理のうえでは妻とゴキブリの命は同等。ゴキブリが死ぬのは構わなくても、妻が死ねば泣くのは、僕の心の勝手に過ぎない。思いと真理は違う。思いと真理を無理に突き合わそうとするから、真理や神が見えなくなる。真理は真理、思いは思い。妻を殺した相手を死刑にしたい「思い」と、人間が人間を裁くべきではない「真理」とは違う。

 王騎(キングダムの大将軍)の矛には「邪気」がない。王騎の矛は真の天下統一に向かっている。真の天下統一は人民のためでないと成し得ない。国境をなくして人間同士の争いを止める、それぞれの個人の些細な幸福を未来永劫にしたい。正義へのその思いが、龐煖(王騎のライバル)の矛との違いだ。同じ殺戮でも、王騎には情状酌量の余地がある。もっといえば、ゴキブリやネズミをゴキブリホイホイやネズミ捕りシートで無作為になぶり殺す現代人のほうが、王騎の殺戮より罪は重い。

 人殺しも虫殺しも変らない。形や種の違いはあれど、いつの時代も命の犠牲はつきものだ。神や真理に照らせば、戦国時代が特別なわけではない。戦国時代のほうが、虫や動物をむしろ殺さなかったかもしれない。「人間より明らかに力が劣る生き物を(しかも)無作為になぶり殺すとは何事か!」と、人間の生首がそこらじゅうに転がっているより、ゴキブリホイホイやネズミ捕りシートのうえであがくゴキブリやネズミのほうが、彼らにっては凄惨な光景に見えるかもしれない。

 命はみんな繋がっている。他人はいないし、他種もない。個人主義や人間主義に留まる限り、本当の気づきは得られないし、苦しみや不安から脱することはできない。目前の家族や大切な人やペットを愛するということは、「この地上に存在するすべての命を平等に尊ぶ」ための練習でもある。


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