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【自他合一の真理】芸術家の自己愛は他者の為

 この「note」内の記事もそうですが、他にもいろいろなサイトで、文章の書き方とか、小説家になるためには云々…という文言をときどき見かけますが、その中身をチラッと見たり読んだりすると、小説や書くことへの考え方や求めるものが、自分とはまったく違うことを、あらためて思います。

 当然ですが、多くは、人に読ませる(楽しませる)ことを、一番に重視しています。普通に考えれば、それを差し置いて重視することなんてないでしょう。

 しかし、僕の場合は、人に読ませる(楽しませる)ことより、僕自身の自我や、何かの真理を探求することをまず優先していて、いわばそのための手段として、「小説を利用している」という感じでもあるのです。

 そのため、小説の出来云々より、その小説を書く体験を通して、何かしら会得できたか?とか、ちゃんと前進できたかどうか?ということを、僕は重視しています。

 というより、芸術まで見据えて書かれる所謂「純文学」というジャンルは、そうあって然るべきで、だからこそ、読書慣れしていない人にはちょっと難しかったり、狂気じみた内容だったりもするので、商業的には成立しづらいとも言えますが……

 しかし、どこの人間のどんな人生にしろ、純文学で書かれているような、絶望だったり狂気と、完全に無縁ではいられません。人生のそうした深刻な場面において、どういう態度で臨むべきか?のヒントを、純文学はおしえてくれます。というか、そうでなければ純文学ではありません。

 だからといって、そういう純文学を書くのは、決して難しくありません。自分を「さらし者」にする覚悟さえあれば、誰でもすぐに純文学は書けます。書き方とか文章力とか、そういう問題ではないのです。

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