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平坂のカフェ 第4部 冬は雪(37)

 カナは、白鳥を模したカップを握りしめる。
「私は・・・知らなかった・・"鳥頭"があの子だなんて・・私が助けたあの子だなんて・・・」
 カナは、唇を噛み締める。
 歯が肉に食い込み、血が滲む。
「あの子は裁判で"愛しい人"と口にした。まさかそれが私のことだなんて思いもしなかった。
 コンビニで私を待ってたなんて思いもしなかった。
 私を貴方から助けるために犯行に及ぶなんてなんて思いもしなかった!」
 カナは、叫んだ。
 泣き叫んだ。
「それじゃあ、あの時、あの子を助けなかったら貴方はこんな所には来なかったってこと⁉︎
 あの子に優しい声を掛けなければ貴方はこんな所に来ることはなかったってこと⁉︎
 私がいなければたくさんの人が傷つくことも、死ぬことも、貴方を失うこともなかったってこと!」
 雪が吹き荒れる。
 桜の木は、その身を折らんばかりに頭を振り、吹雪く雪が積もりに積もった雪を噴き上げ、カナを、スミを、平坂のカフェを打ち付ける。
「現実に戻った時、私は自分を責め続けた。貴方に謝り続けた。
 ごめんなさい、ごめんなさい!
 私が生まれてきたせいで貴方を不幸にしてごめんなさい!
 やっぱり私はいちゃいけないんだ!
 私なんかこの世界に必要ないんだって!。
 死ぬべきなのは"鳥頭"じゃない。私なんだって」
 荒れ狂う吹雪と共にカナは、あらゆる感情を吐き出した。
 それは怒りであり、憎しみであり、悲しみであり、絶望だった。
「カナ・・・」
 スミは、カナに手を伸ばそうとする・・・。
 しかし、出来ない。
 声を掛けたいのに、触れたいのに、抱きしめたいのにそれが出来ない。
 身体と心に深く突き刺さった楔がスミの行動全てを許さない。
 スミの日に焼けたような赤みがかった目から涙が一筋溢れる。
 カナは、それを見て黒と白の目を丸くして驚く。
 そして笑う。
「春は花びら・・・」
 カナは、歌うように言葉を紡ぐ。
「夏は月・・・」
 スミの目が大きく震える。
「秋は夕暮れ・・・」
 この身体に存在するのかすら分からない心臓に痛みが走る。
「冬は雪・・・」
 カナは、口を紡ぐ。
 そして黒と白の目でスミを見る。
「何か・・・思い出した?」
 スミは、首を横に振る。
「分からない・・・ただ白い闇の隙間から何かが溢れるように見え隠れする。そして・・・」
 スミは、怯えた兎のように赤みがかった目を震わせ、カナを見る。
「そこに見えるのは・・・カナの顔だ」
 花が開くようにカナの顔に喜びが走る。
 それは絶望に染まったカナの心を少しだけ明るく塗り潰す。
「良かった・・・貴方の記憶はきっと戻るわ。そして元の世界に戻れる。私がいなくなっても・・」
 スミは、カナの言っている言葉の意味を理解出来なかった。
 いや、理解出来ない訳ではない。
 カナがこの場所に訪れた時から絶えず訴えてきていた。
 平坂のカフェが。
「忘れそうになったらさっきの言葉を思い出してね。そして桜の木を見て。あの言葉も桜の木も私たちにとって大切なもの、きっと貴方の記憶を思い出させてくれる」
 まるで今後のスケジュールを言いつけるようにカナは言う。

 その言い方はまるで・・・。

 平坂のカフェがスミに語りかけてくる。
 あの言葉を絶えずスミの耳に、頭に訴える。
「スミ・・・」
 カナの手がスミの頬に触れる。
「もう分かってるんでしょ?いいのよ。話して」 
 スミの頬を触る手・・・その手首を包むピンクのカーディガンの袖の色が紫に変色してある。
 シミだ。
 シミは、まだねっとりと濡れて広がっていく。
 それがなんであるか気付き、スミは歯を喰いしばる。

 言わない・・・。

 絶対に言いたくない・・・・。

 しかし、スミの意思と関係なく、平坂のカフェがスミの口を開き、告げる。
「貴方は選ばなければいけない。"生く"か?"逝く"か?を」
 濡れたピンクのカーディガンから水滴が滴り、雪に埋まった床に落ちる。
 それはまだ生温かな赤い血液であった。
 扉の鍵の開く音が2人の耳に届いた。

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