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看取り人 エピソード3 看取り落語(6)

 饅頭怖い。
 火焔太鼓。
 子は鎹。
 粗忽の釘。
 目黒のさんま。

 古典落語の名作として知られる落語。
 落語が好きでなくても何かの例えや表現で用いられたり、モチーフにした創作であったり等でどこかしらで聞いたことのある噺。
 看取り人は、先輩からの助言に従い、茶々丸を動かすのを最小限に留め、スマホを横目にしながら丁寧に噺を読んだ。最初に披露した時に比べれば流暢になった。なったと思っていた。
 しかし……。
「店長、消毒液とバンドエイドを」
 先輩が申し訳なさそうに言うと店長はため息混じりにカウンターから出てきて、先輩にバンドエイドを渡し、看取り人を見て、もう一度ため息を吐く。
 看取り人の顔と両手にはみみず腫れと言う表現が正しいのだと証明するような引っ掻き傷が模様のように走っていた。
 先輩は、切長の右目を顰めて彼の顔の傷に消毒液を塗る。
「滲みない?」
「大丈夫です」
 看取り人は、表情を変えずに言う。しかし、微かに三白眼と頬が動くので我慢しているのが良く分かる。
 彼に傷を与えた張本人は、再びお店の隅っこの棚の下に隠れて目をぎらつかせて唸っている。
 先輩に手当をされながら看取り人は棚の下に逃げ込んだ茶々丸を見る。
「すっかり嫌われてしまったみたいです」
 看取り人は、まるで他人事のように冷徹に言う。
「困りました」
 先輩は、何も言わずに彼の顔にバンドエイドを貼る。
「それに……僕には落語の才能もないみたいです」
 看取り人は、周りを見る。
 消毒液とバンドエイドを持ってきてくれた店長も、他のお客さん達がじっと看取り人を見ていた。
 奇異なモノを見るように。
「誰も笑ってくれてません」
「……そうだね」
 先輩は、バンドエイドのゴミを綺麗にまとめてテーブルの隅に置く。
「君に意図して人を笑わせるのは難しいだろうね」
 先輩のはっきりとした物言いに見取り人も眉を顰める
「それに君……君のまんまだよ」
 先輩の言葉の意味が分からず首を傾げる。
「君は君のまま。にゃんにゃん亭茶々丸になってないってこと」
 先輩は、着物生地のポーチから自分のスマホを取り出す。華やかな桃色の着物生地で作られたケースに収まっており、先輩によく似合っている。
 先輩は、Me-Tubeを立ち上げ、にゃんにゃん亭茶々丸と検索すると、茶々丸関係の動画が縦一列に並ぶ。先輩は、その中の一つを押そうとして、音が出ることを思い出してどうしようかと戸惑うと看取り人がワイヤレスのイヤホンを出し、片方を先輩に渡す。先輩は照れながらもそれを受取り、耳に付けるとBluetoothにして音を流す。
 映像からは茶々丸と黒子の溶け込みあったような滑らかな動きと黒子の引き込まれるような噺が流れる。それは落語を知らない世代の若者にも充分に引き込むことのできる話力であり、それが茶々丸の愛らしい動きと重なって一つのアニメーションを見ているかのようだった。
 動画を身終えると看取り人は思わず息を吐く。
 そして理解する。
 自分にはこんな落語は出来ないと。
 技術も経験もまったく足らない。話術なんて論外だ。
 これではとても師匠の満足がいくものを見せることなんて出来ない。
 先輩は、動画を止めると切長の目を彼に向ける。
「分かった?」
「はいっ。僕ではどんなに頑張っても師匠の満足いくような落語は出来ません」
 では、どうするか?
 自分の代わりに噺ができる人を探すか?
 茶々丸だけを動かして噺の録音か動画を流すか?
 それとも……自分には出来ないと素直に告げるか?
 そう思った瞬間、看取り人の心に暗いものが落ちる。
 自分が何でも出来るなんて思ったことはない。むしろ自分ほど何も出来ない人間はいないと思っている。
 それでもこの仕事は……看取りだけはしっかりとやり遂げたいと思っていた……。
 看取り人は、右手をぎゅっと握る。
「半分だけ正解」
 先輩の言葉に看取り人は三白眼を上げる。
「半分?」
 先輩は、小さく頷き、静止した動画を見る。
「このにゃんにゃん亭茶々丸はあの子と師匠だから出来る個性、作品なの」
 先輩は、棚の下に隠れた茶々丸を見る。
 茶々丸はようやく興奮が落ち着いたものの警戒するようにこちらを見ていた。
「君は、誰かの書いた小説を同じように書ける?」
 先輩の言葉に看取り人は首を横に振る。
 誰かの作品を同じように書く。
 それは決して出来ないことではないのだろう。
 実際に落語と言うものはそうやって古い時代から引き継がれてきたのだ。
 しかし、それを自分が出来るかと言ったら答えは否だ。
 自分がどれだけ他者の作品を真似したとしてもそれは単なる二次創作。模倣の域を越えることなんて出来はしない。
「だったら作るしかないよね」
「作る?」
 先輩の言わんとしていることが分からず看取り人は眉を顰める。
「君と、あの子のにゃんにゃん亭茶々丸をだよ」
 そう言って小さな笑みを浮かべる先輩の顔がこれでもかと輝いているように看取り人には見えた。
「僕と……あの子の?」
 にゃんにゃん亭茶々丸を作る……。
「でも、それはもう……」
 看取り人の言葉に先輩は眉を顰める。
「師匠は、自分の真似をしたにゃんにゃん亭茶々丸を見たいって言った訳じゃないんでしょ?」
 看取り人は、三白眼を大きく見開く。
 確かにそうだ。
 師匠が言ったのは、にゃんにゃん亭茶々丸を演じてくれだ。
 自分の噺した落語をしろなんて一言も言ってない。
「ぷっ」
 看取り人の口から小さく笑いが溢れる。
 先輩は、目を丸くする。
 彼が……笑った?
 看取り人は、口を押さえて懸命に笑いを堪える。
 こんな看取り人の姿を見たのは初めてだった。
「先輩……」
 看取り人は、声を絞り出す。
「はいっ」
 先輩は、思わず返事する。
「最高のトンチです」
 看取り人は、小さく笑みを浮かべる。
 そのあまりに綺麗な笑みに先輩は頬を赤らめる。
「やっぱり、先輩に相談して良かったです」
 看取り人は、丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます」
 先輩は、ぽんっと頭が弾けそうなくらい照れる。
「いや、そんな、そん」
 動揺し過ぎて言葉が出てこない。
 その時、看取り人のスマホが鳴った。
 着信は……ホスピスからだった。
 看取り人は、店長に断って電話に出て、二言、三言交わして電話を切る。
「師匠が急変しました」
 看取り人は、平静に言う。
 先輩の顔色が青ざめる。
「行きます」
 看取り人は、立ち上がり、茶々丸の隠れた棚に向かう。
 看取り人が近づいてくることに気づいた茶々丸は低く唸る。
 看取り人は、茶々丸と視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「師匠が貴方を待ってます」
 看取り人は、そっと手を伸ばす。
 茶々丸は、彼の手を引っ掻こうとして、止まる。
 翡翠の目が看取り人を見る。
 看取り人は、三白眼で真っ直ぐ茶々丸を見る。
「一緒に……送りましょう」
 茶々丸は、じっと看取り人を見る。
 看取り人もじっと茶々丸を見る。
 茶々丸は、ゆっくりと棚の下から出てきて、看取り人の身体に身を寄せる。
 看取り人は、優しく茶々丸を抱きしめる。
 いつの間にか先輩がキャリーバッグを持って近寄っていた。
「……大丈夫?」
 先輩は、不安そうに聞きながらキャリーバッグを開ける。
「はいっ」
 看取り人は、茶々丸をキャリーバッグに入れる。
「もう大丈夫です」
 そう答えた看取り人はいつもの看取り人に戻っていた。
 先輩は、少し寂しそうにしながらも茶々丸の入ったキャリーバッグを渡す。
「また、明日……学校で」
「うんっ」
 先輩は、頷き小さく笑う。
「卵焼きたくさん作っとくね」
「はいっ」
 看取り人は、頷くと茶々丸を連れて店を出て行った。
 先輩は、その背中をじっと見続けた。

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