見出し画像

食い合わせの悪い2人

これは昔、自分がある職人的な業界で働いていたときのはなし。

専門学校を出て就職したその会社には10人近い同期と共に入社したのだが、その中の一人に、ちょっと特徴的な女の子がいた。
その子は小太りで髪が短く、着ている服からも最初は男か女か判断がつかなかった。

とはいえ、とても陽気で社交的な子だったので、入社時研修で皆と打ち解けるのにさほど時間はかからなかった。ただ、男女別々の部屋で寝るとき、少し微妙な表情をしていたのを覚えている。

その子、仮に同期Sとしておく。同期Sは、NHKの『できるかな』に出てくるゴン太くんのような風貌と人懐こさで、すぐに社員皆から愛されるようになった。

そんなSは、最初は都心のど真ん中にある店舗に配属になったものの、半年もしないうちに都下の某市にある店舗に移動した。その時は、お店の先輩とうまくいかなかったのかな、くらいにしか思っていなかったが、その後意外な事実を耳にする。

Sは、ずっと自分の女性の身体に違和感を持ち続けていたのだ。
そう考えると、Sがいつも男のような格好をしているのも理由がつく。

その会社は入社後数年は、全員必ず男子/女子寮に入らなければならない決まりがあった。だがSは女子寮に入ることを拒んだ。その結果、都下某市の店舗へ移動になり、自腹で公営住宅へ住むことを決めたのだという。
職人の世界、見習いの給料は今では信じられないほどの低賃金。
同期同士、給料の額もほぼ変わらないので、自腹での家賃負担がどれほど重いかもわかる。その時点で、これはただのワガママではない、本人はとても悩んだに違いないということはわかった。

数年後、自分もその店舗に移動になり、Sと一緒に働くことになる。
そこにいた彼(と言わせてもらう)は、とても楽しそうだった。
その店の店長や主任も、先輩も同期も後輩も、Sを普通の男子スタッフ同様に扱い、普通に指導し、叱り、一緒に呑み、遊んだ。自分が見る限り、みんな彼に特別な対応をすることは一切なかった。
本人にとっては、それがとても嬉しかったのではないか。そう思っている。

さて、自分たちが入社した2年後。
その年の新入社員に、またある女の子がいた。
仮に「後輩M」としておこう。
中学を出ですぐ入社した後輩Mは、専門学校と掛け持ちしながら働くことになっていたため、入社時は他の新人よりも歳下だった。
だがその表情には希望がみなぎり、とても溌溂としていた。
目の前には自分の障害になるようなものは一切ない、と言わんばかりに自信に満ち、自分が同期の先頭に立ってのし上がるんだという野望を隠すことがなかった。

後輩Mは人あたりが良いだけでなく、仕事も熱心で、技術を覚えるのにも貪欲だった。常にポジティブなうえ、強気で鼻っ柱が強く、誰に対しても物怖じせずズケズケものを言う性格だったが、それがかえって上の人たちからは可愛がられた。
だが一方で、自分よりできない人、頑張っていない(と見える)人には厳しかった。そうした人にはたとえ先輩でも冷淡な態度を取ることが多く、それは時に尊大で生意気にすら映る。上からの覚えが目でたかったこともあり、当然ながら彼女を煙たがる者も少なくなかった。
自分も後輩Mには、内心でバカにされていたのだろう。たまに会うと表情や口ぶりから、何となくそうした雰囲気をうかがい知ることができた。

さてそんな2人、同期Sと後輩Mは、致命的なほど仲が悪かった。
幸い、ふだんは店舗が違うのでめったに会うことはない。
だが、年に一度の研修旅行や、定期的に行われる技術試験・講習などで全社員が集まる時、たまたま顔を合わせようものなら、とたんに物凄い険悪な空気が流れる。
しかも互いに、相手に対する嫌悪感をみじんも隠そうとしない。
さすがに面と向かってはないものの、互いに相手のいない所では公然と、かたや「気持ち悪い」、かたや「クソガキ」と、罵倒しあうありさま。

いったいなぜ2人はあんなに憎み合い、いがみ合っていたのだろう。
Sと仲が良かったから言うわけではないが、自分の知っているSはとてものんびり屋でおおらかだ。たまに気性が強くなるところもあるが、基本的にはビビりで穏やかな性格なので、あそこまで他人に憎悪を向けるようなやつではない。

ここから先はすべて自分の憶測でしかない。
考えられることとしては、後輩Mのほうが先にSに対して何らかの嫌悪感を顕わにし、それを何らかの形でSにぶつけたのが原因だったのではないだろうか。

けどいったいなぜ?
その背景には、後輩Mの家庭環境が関係しているのかもしれない。
彼女は早くからひとり親家庭で育ち、とても苦労したと聞いている。高校には行かずすぐに社会に出て、郷里の家族を一日も早く支えなければ、という気負いがあったことは想像に難くない。

自分が頑張らなければ。
頑張るんだ。
そう。わたしは頑張っている、わたしは他の人とは覚悟が違う…。
甘えることも、言い訳することもしない。

それはとても立派なことだと思う。
だがこういう人はえてして、自分にも、そして他人にも厳しくなり、強烈な自己責任思想を育むことになる。同じような人が身の回りにいる方はよくわかってもらえるだろう。

そんな中、身体と心の性の不一致を受け入れられず、勤務地も住む所も変えてほしいと願い出たSのことを知り、後輩Mは強い理不尽さを感じたのではないだろうか?
「何それ?わたしこんなに頑張ってるのに、なんでそんな言い分通るの?」
「ていうか何なのそれ?全然意味わかんない!」

まだLGBTQも、トランスジェンダーという言葉もなく、性的マイノリティへの世間の理解も低かった時代。古い保守的な職人の世界だったあの会社で、Sの願いが曲がりなりにも受け入れられたのはいま考えても不思議である。

もちろん当時も、GIDとか性同一性障害という言葉は知られ始めていた。
自分も大学卒業後いちど社会に出ていたこともあり、いろいろな世界を見て何となくそういう人がいるんだな、ということも知ってはいた。
だが(学歴マウントを取るつもりはないが)、地方の中学を出たばかりで知識も経験も乏しい後輩Mにとって、それは理解の範疇を超えていた。

右も左もわからない都会で、一日中自分より年上ばかりに囲まれて、つねに気を張って仕事と学業を両立させなければならないプレッシャーは周囲の想像以上だったのかもしれない。

だからこそ彼女の目には、高校、専門と無為に過ごし、実家の親の店を継げば安泰と考えていた社員に対し、苛立ちを抱えていたのではなかろうか。
しかも悪いことに、彼女はその若さの割に、社会観念も家族観も非常に保守的だった。そこに自分のそれまでの狭いキャパでは想定できないような存在が出現し、簡単に環境を変えられている(ように見えていた)のを見て、後輩Mの中で何かがはじけてしまったのかもしれない。

「なんで女子寮に入らないのなんでそんなワガママが通るのなんでそんなに皆に仲良くしてもらえるのわたしがこんなに頑張っているのにわたしよりできないくせにそもそも心と身体の性が違うってなに理解できない意味が分からない気味が悪い変変変ーーーッ!!」……………。

繰り返すがこれはあくまで自分の憶測である。

だがいま思えば、後輩Mはあまりにも世界が狭すぎたのだと思う。
もちろん彼女の保守的な性格もあるし、多様性に関する考えも、時代が追い付いていなかったこともある。

そう考えると、知識と学びを得るための時間、より広い社会に目を向け、いろいろな人の考えを知る機会、なによりそれらを可能にするための社会的、経済的余裕はすべての人が得るべきものだと思う。
そしてそれらが不足するということは、しばしば対立と分断、そして憎悪を生み出す元凶となる。
現在でも続くマイノリティと保守派の終わらないいさかいを見ていると、もうずいぶん前のあの2人を思い出す。

ちなみに会社を離れてからは2人ともまったく接触していないため、その後のことはわからない。後輩Mは同業者と結婚し、一緒に店をやっているらしい。
同期Sは退職後手術を受け、晴れて名実ともに男性になれたという話を聞いた。彼のことだから、きっとどこかで楽しく過ごしているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?