氷河期世代へのアナキズムのすすめ

突然だけど、ここしばらくアナキズムに傾倒している。

アナキズムというと、たいがいの人は「無政府主義」を連想するけど、それは正確ではない。アナキズムをもう少し掘り下げると

すべての権力による抑圧を拒否し
自分たちのことは自分たちで決め、行動する
相互扶助をモットーに弱い者、困っている者は支える


ようするに、「誰の言うとおりにもならない」「困ったときはお互い様」がアナキズムの基本的な考えである。
権力を拒否するのは、もちろん政府に対してもそうなんだけど、なんなら仲間うちでも、力のある人間が立場の弱い人間に対して高圧的に振る舞い、追従を求める、といった関係性は社会のどの場面でもある。
これもまた「権力」だ。こういうのに対しても、逃げたり、はぐらかしたり、時には突っぱねてやるのだ。

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アナキズムを社会主義や共産主義と一緒くたにする人もいるがこれも違う。いわゆる共産主義って、財産の私有を禁止して、思想や綱領で人をガチガチに固め、少しでもはみ出すと密告・粛清。「権力」そのものだ。

アナキズムは資本主義は決して否定しない。自助努力を重んじ、生産活動や経済活動は自分たちで行う。一方多くの人は教育熱心でもある。

自助努力を重んじるといっても、新自由主義やネオリベとはわけが違う。
今の新自由主義は、弱肉強食の勝者総取り、カネが全て。努力しても結果の出なかった者や努力が苦手な者、弱い者は冷酷に切り捨てる。
福祉や文化は営利企業まかせ、どれほど社会に豊かさをもたらそうとも、カネにならなければ用無し。人であって人でなし。

それとは対照的に、アナキズムを支えるのは連帯相互扶助の精神。各人の能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。

連帯と相互扶助っていっても、互いの行動や考えを縛るのもダメ。
「みんなで助け合うんだから団結して、ルールに沿って行動しましょうね」
って、それじゃ結局誰かが誰かを押さえつけることになる。やっぱり権力。

じゃなくて、各人の意思とその時の気分に合わせて、ゆるく気ままにつながって支えあう。やり方や在り方を押し付けない。

自分も集団行動が得意でなく、人と足並み揃えるのが苦手なので、この考え方は実にしっくりくる。

必要とされなきゃこっちから見限ればいい

そんなアナキズムを今本当に必要としているのは、社会から見捨てられたまま40~50代になってしまったロスジェネ/氷河期世代なんじゃないかと思っている。

今さらここでくどくど言うまでもなく、この世代の多くは就職氷河期に国と財界の失策によって職を得るチャンスを奪われ、非正規あるいはブラックな雇用を余儀なくされてきた。
国は何かそれっぽい対策を少し打ち出したくらいで、根本的なことからは目を背けたまま今に至る。

もはや氷河期世代は、見捨てられたどころか、いないもの、見たくないものとされているようだ。
この前、岸田は「最低賃金1500円を目指す」とは言った。
だけどそれ「10年かけて」だとさ。その頃にはわれわれ団塊ジュニア世代&氷河期世代はいくつだと思ってるんだよ。もう定年だよ、遅いだろ。
しかも「必ずやる」とは言ってない。「目指す」だ。
これだけでも、この世代の存在が岸田や麻生らの目には入っていないことがわかる。危機感もなければやる気もない。

もう時間がない。もはやこんな政府はこちらから見限ってしまうに限る。
というわけで、氷河期世代、特に非正規雇用だったり、生活に困難を抱えている人々には、アナキストになって連帯と相互扶助を基盤に、国に頼らない生産活動をしていくのが最良の道ではないか、というのが自分の考えだ。

炊き出しやフードバンク、生活保護シェルターなどで苦しい生活を強いられている、自活できないほどの低賃金で働いているなどの人々は、連帯してどこか地方の町や村に集団で移住し、農業やったり小さな店を構えたり、テレワークで働いたりしながら、半ば自足したコミュニティを築くのもいいかもしれない。

けどそういうコミュニティになると、やっぱり人と人との間には上下関係やら、団結するためにみんなを管理しようとする動きも出てくるから、リアルとオンラインのつながりを作ってゆるく移動したり、落ち着いたりしながら活動していくのがいいのかも。

そうするとテクノロジーのフル活用は欠かせない。
イメージとしては『希望の国のエクソダス』(村上龍)の中高年バージョンだ。

まあ、実際にそんな上手くいくことはないだろうけど。
だけど、それが本当に機能したとしても、何か腑に落ちない。
自分たちはそれでなんとかやっていけたとしても、自分たちにずっと苦労と困窮を強いてきた国や財界は、
「よかったですね頑張ってますね、自助でいけるならそれで頑張ってね」と、最後まで知らん顔で逃げ切ることになる。なんか腹立つ。
個人的には彼らに何らかの落とし前をつけさせないと、どうにも溜飲が下がらない。
だからこそ、氷河期世代(や、不遇な時期を過ごした層)に対して何かしらの補償を、国と財界にさせないと気が済まない。
であれば、アナキストとして自助努力に勤しみながら、並行してすべきことは、全労連や彼らを支持する政党を応援し、少しでも早く最低賃金1500円を実現するよう、デモや署名で圧力をかけていくことだ。

こういうことを言うと、政府や経営者の代弁者を気どるネオリベさんたちがワサワサ騒ぎ出す。
「賃金が低いのはそんな仕事を選んだから」
「非正規なのは自業自得」
「働けないんじゃなくて努力しないから」

賃金が低い仕事を選んだんじゃない。選んだ仕事の賃金を国や企業がどこまでも低く抑えていったからだ。
今や多くの非正規労働者が、正規なみ、場合によってはそれ以上の働きをしている。賃金を低く抑えられる筋合いはない。
第一、コロナ禍の時期にも我々の生活を支えてくれたのは、多くのエッセンシャルワーカーだったはず。彼らに白々しく感謝の弁や拍手を送る連中は、それよりも大幅な賃上げを、というと途端に黙りだす。

なにもあんた達の賃金が上がるのを邪魔するわけじゃない。
ワーキングプアの賃金が上がったからといって、あんた達の生活が苦しくなるわけじゃない。
誰もあんた達の足を引っ張ろうとなんてしていないんだから、何もせず見ていればいいだけなのに。

そんな連中のことはほっとこう。
氷河期世代は低い自己肯定感や無力感を抱え、自己責任で自分を追い込む必要はない。自分たちを押さえつけるすべてのものに背を向けて、やりたいようにやれる環境を作る。自分たちのできることを、互いに協力し合う。
もう一方では政府にしっかり文句も言う。

そのために毎日の生活で何ができるか。それを考え、日々少しずつ実践に移していくしか、われわれに残された術はないんじゃないかな。

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