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グリーフケア

科学ではケアできない”悲しみ(グリーフ)へのケア”

科学は宇宙、生命といった出来事を解き明かす中で発展してきました。しかし同時に科学は、ついに解き明かすことのできない出来事に ”距離” を置くようになったのかもしれません。(例えばなぜ私たちは出逢ったのか…、例えば「生」とは「死」とはなにか…等)

でも私たちは解き明かすことのできない出来事、つまり理解できない出来事で、いつの時代も苦しみ悲しんでいます(「なぜ彼(彼女)が死ななければならなかったのか」「なぜ私(私の大切な人)がこんな目に遭わなければならないのか」等)。

私は自分が”悲しみ”を背負う人間の一人として…  自分の悲しみが科学的ではケアできないことを知り、人間の情緒的な側面に向き合う”グリーフケア”と出逢いました。


出来事の解釈を広げるグリーフケア

私たちは出来事を自分(主観)を通して理解しています。つまり私たちは 一人ひとり出来事を【解釈】をしているのです。

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ただし一人ひとり出来事を【解釈】するならば、【解釈】は人の数だけ存在するということ。ならば出来事は【解釈】と【解釈】の間、つまり人と人の間にこそ存在(間主観性)すると言えるのです。

この【解釈】と【解釈】をぶつけ合うのはいわゆる議論や討論です。それは出来事の【解釈】の優劣を競い合うようなこと。それでは苦しみ悲しみのケアにはならない。

でも対話することは出来事の【解釈】を広げることにつながる…。それはあなたをエンパワーメント(支え、励ます)する可能性を秘めているのです。

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悲しみという出来事を一人で抱える必要はありません。それは重ねてきた私の悲しみが私にそう言わせるのです。


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