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悔しさが原体験。小さな出版社をはじめてから18年間、“売れない”本を作り続けてきた理由

悔しさが原体験にあって、出版社を立ち上げました。

話は、今からおよそ40年前にさかのぼります。私は東京・目白の学習院大学でボランティアサークルに入っていました。

関わったのは、盲学校の子どもたち。ボランティアの仲間たちと中学部の図書室に足を運ぶと、視覚に障害のある子どもたちが本を大事そうに抱えながら、座って待っているんです。

彼・彼女らは、そのままでは本を読めないので、音声データに変換する「音訳」を行う必要があります。そこで私は本を預かり、下宿していた4畳半の下宿に持ち帰ってラジカセに向かって本を読み、音声を吹き込みました。

筑波大学附属盲学校(いまの筑波大学附属視覚特別支援学校)は、日本で唯一の国立盲学校です。高等部の子どもたちの進学率が高く、その中の生徒が「学習院大学を受験したい」と希望していることを知りました。とても嬉しかったですね。

でも結果として、受験することさえ叶いませんでした。

彼は点字を使う人なので、点字で受験したい。それだけのことを、受け入れてもらえないのです。私も何か力になれないかという思いがあったので、彼が受験できるよう、奔走しました。

当時、点訳サークルを結成して代表になり、受け入れ体制が整っていることをアピールして教授会にお願いしたり……。他の大学に通っている視覚障害の学生さんに来てもらって、チラシを配ったりもしましたが、ダメでした。

やっぱり、悔しい気持ちがありましたね。私は現在、縁あって目白で出版社を経営していますが、今につながっている大きな原体験です。

(※その後、学習院大学でも点字受験が認められ、多くの視覚障害者が入学しています)

マイノリティを扱った本は売れない?

申し遅れました。私は成松一郎と申します。
2004年から18年間、小さな出版社「読書工房」の代表を務めています。

本を誰でも楽しめるよう、「大きな文字の青い鳥文庫シリーズ」、発達障害のある子どもたちをサポートする本、そしてもちろん点字を学べる本も作っています

『ひとりで学べる点字触読テキスト』凸面点字器「トツテンくん」


ほかにも、大学で教壇に立ったり、「出版UD研究会」を運営したりと、いろんな活動をしています。ちなみにUDとはユニバーサルデザインのことです。研究会は地道に続けてきて、今では出版関係者やデザイナー、IT関係者など約650人がメーリングリストに登録されています。

私は学習院大学を1984年に卒業したあと、いくつかの出版社で編集の仕事をしていました。ある教育関係の出版社で最初に企画した本は、障害のある学生の大学受験に関するノンフィクションでした。すぐに却下されました。「そんな本、誰が買うんだ」と。

仕方ないですよね。編集会議で話し合うのは、企画の良し悪しよりも、「売れるか売れないか」です。出版社も商売ですから。

これは何を意味しているかと言うと、出版社にとって「マジョリティを客としてつかみたい」ということです。

「マイノリティのための本は作れない」ーー。私が企画していたのはマイノリティのなかでも特に想定読者の数が少なく、“売れない”分野だったので、さっそく壁にぶちあたりました。

「視覚障害のある人はこういう本を読みたいだろう」という決めつけ

でも、本は誰のためにあるのでしょうか?

この問題は、私が大学時代からやっていたボランティア活動と、密接に関係しています。

「読書権」(著作権と同じくらい大切な読書する権利)という大事な概念があるように、必要としている人に必要な情報へのアクセスが保障されていることは大切です。

学生時代に私が「音訳」して渡していた子どもたちは、本を求めていました。

読書工房のオフィスです

「読書工房」は、読者の側の存在でありたいと願いを込めた名前なんです。市場流通のなかで出版社は川上にいますね。間には書店や図書館があって、その先に読者がいますが、けっこう距離があります。読書工房は、読者の立場から考える出版社でありたいと思っています。

単に「読者の役に立つ」というだけの話ではありません。私はボランティア活動を通して、社会のひずみ、対立や争いを見てきました。例えば「視覚障害者」と一口に言っても、そのなかにもまた、多様な人たちがいるわけですね。

昔から、心の内でひそかに怒りを感じていることがあります。「視覚障害のある人のために読める・読みやすい本を作りましょう」と議論するときに、「視覚障害のある人はこういう内容の本を読みたいだろう」と、作り手が勝手に決めつけてしまうことです。

本当はそうじゃないんです。視覚障害者が読みたいものは、当然それぞれに異なっています。でも、下手をすると、「〜してあげる」といった特別なほどこしを与える立場に立ってしまいがちなのです

でも実際には、マイノリティの側にも読みたいものや知りたいことが同じようにたくさんあることを、私は大学時代のささやかな経験から知っていました。

ただ、彼・彼女ら自身が、読みたいものを知る機会を十分には与えられていません。土壌がないのにいくら種を蒔いても育たないんですよ。だから、畑を耕すことから始めないといけません。

それで、出版UD研究会を作ったり、視覚障害のある人たちのコミュニティ「馬場村塾」を仲間たちと立ち上げたりしてきました(持ち出しなので、正直、苦しいですけどね)。

それは読者を育てることにもなるし、問題を浮き上がらせることにもなります。

それぞれ個人で悩みを持っている段階では、社会の中でどうしても弱い存在になってしまいます。最悪の場合、孤立し、絶望してしまい、自ら命を絶ってしまうことだってあります。

それを避けるためには、仲間がいることを知ってもらいたいし、もしかしたら本が味方になってくれることにも気づいてもらいたいんですね。

「大きな文字の青い鳥文庫シリーズ」

必要なときに必要なサポートを得る力をみがく

私の著書『五感の力でバリアをこえる―わかりやすさ・ここちよさの追求』(大日本図書・2009年)では、こう書きました。

わたしがこの本を書こうと思ったのは、「福祉」の大切さを説いたり、「ボランティア」活動をすすめるためではありません。(中略)まずはみなさんに、自分の持っている感覚のふしぎさや可能性に気づいてほしいと思っています。

「福祉」や「ボランティア」はもちろん大切です。

ただ、「自分ごと」という言葉がありますが、まずは自分の持っている感覚のふしぎさや可能性、あるいは限界を知ることも必要です。

目の前にあるバリアをこえていくために、必要な手段を知るとともに、必要なときに必要なサポートを得る(「合理的配慮」とよばれます)力をみがいていくことができるようになります。

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近年、ひとり出版社が増えていることを嬉しく思っています。昔はしがらみもあって難しかったのが、今ではひとりでも本を出版をしやすくなっています。これまで一般の出版社では考えられなかったようなユニークな本が誕生していくと思います。

また、私たちにとって、図書館は大切な存在で、私は大学の図書館司書課程でも授業を担当しています。2019年には、読書バリアフリー法が施行されました。ただし、まだまだ課題が残されている部分も多いのが実情です。今後、このnoteで詳しく書いていきたいと思っています。

あなたは、本は誰のためにあると思いますか?

読書工房の書籍ラインナップはこちらです。

(編集協力:遠藤光太


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