世界の真ん中は、きっと繰り返しの果て。ちゃんと人の気持ちに気付こう。

先日、ふと思い出したことがあって、そのとき「あっ、(部下は)なにかを気にしていたんだ」と気付いた。
わざわざ書くようなことでもないですが。

夏場の寝るときの蚊みたいに、
プ〜ンプ〜ン、バシッ!と何度叩いても叩いてもその性格は直らなくて、いつも「また他人の気持ちに気付けなかったー!」と反省している。

だけれど せっかくnote 生活をしているのでココに書いてみたい。こういうモヤモヤした見通せない気持ちを「原因」を見つけられるかもしれないし。


紐解くために一つ過去のことを語りたい。
25歳くらいのとき、なぜだか他人の気持ちがすぐ分かるときがあった。頭にアンテナでも張ってあるかのように相手がどんなことを思っているのかすぐにピンときた。

「あっ不安なのだな」とか「きっとさっきのことを気にして遠回しになっているんだな」と。

あのときは冷静に「どうしてそうしているのか」を考えられていたし、なんだか冴えていたと思う。


またあんな風になれたらいいのだけど。
今は付いた思考のクセがすぐやってきて直感を邪魔をしてしまって、先日も部下がボソっと「私って頭が硬いのかな」と言ったときに、どうしてそう言ったのかわからなかった。
あとで自分が周りに迷惑をかけているかもと気にしているのだと察した。そして、話しを聞いてあげられたらよかったと後悔をしている。

矮小なぼくは歳を取っていったときに、いつまでも誰かと「楽しくいること」がテーマの一つになっている。
そしてそのことを考えたときに、他人の気持ちに気づけないとダメな気がする。たまにコンビニの店員さんの気持ちを無視して、どうでもいいことでいつまでも喋っている人を見るのだけど、ああはないたくないな、と。
ゴメンなさい。

昔から何をしているかよりも誰といるのかを重要にしてきたし。そしてそのためには、人の気持ちを気づける人間でいないとダメだと思ったのです。

いつまでもすこしだけ世界の真ん中にもう少し寄った世界線にいられたらと思うのです。


いやー、うまく書けない。このエッセイも世界からちょっとズレているな。
すこしまたこれは推敲していく。

まだまだもっと精進せねば。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?