いまさらソラニンの歌詞について考えてみた
思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ
昔 住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした毎日も
あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ
たとえば 緩い幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して もう さよならなんだ
寒い冬の冷えた缶コーヒー
虹色の長いマフラー
小走りで路地裏抜けて思い出してみる
たとえば 緩い幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して もう さよならなんだ
こういう歌詞なんだけど、過去の自分との決別の歌詞にしか思えなかったんだけど、今の自分にはすれ違ってしまった誰かとの決別の歌詞にももちろん聞こえる。二重の意味がある歌詞なんだけど、これって、映画でいう種田との決別(物理的)と、芽衣子が種田との決別(心理的)を決意するというふたつの意味があるように思う。
なかなかそういう意味では原作で語られるこの曲の歌詞って割と曲は深いように思うし、さよならをすることをライブという形で消化する原作のラストシーンをこの曲でまとめたのはさすがと言える。
とはいえ、幸せだったような日々も、無駄に思えて、あの日にも、もう戻れないし、緩い幸せが続いたとしても、きっと破綻したんだろうなっておもう一人称の男の気持ちがある。
これは破綻した結婚生活を迎えた男ならなんとなく経験あるんじゃないですかね。それを未練のある女性が吹っ切れた女性が歌うのがエモさがあるのです。
2000年代のゆっくりと衰退していくんだろうみたいな空気感があったけど(氷河期世代のなか、就職できた芽衣子はすごいけど)、夢を追う男を支える女から自堕落に生きることを決めた女になってしまった芽衣子にびっくりして、結局、苦悩の末、死んでしまった種田の死の一端になったという自責の念も芽衣子を苦しめる一端があったのかもしれない。
でもそれは過去のもので、未来から俯瞰している。
終わったものとしてみている。種田自身も終わったものとして、今を見ていたのかもしれない。
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