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芥川賞

呑気な大学時代も終わりに差し掛かり、
卒業後の進路について考えるようになった。

僕は文学部だったし、いつか芥川賞作家になりたい、
と思っていたので、過去の入賞作は読むようにしていた。

芥川賞は純文学の新人に、
直木賞は大衆小説の新人に、
ということになっている。

乱暴に言ってしまえば、
売れそうな作家は、直木賞というわけだ。

列挙するとキリがないが、
司馬遼太郎や藤沢周平、永井路子など、
僕の好きな歴史、時代小説は、
もちろん直木賞ということになる。

売れっ子村上龍は芥川賞だが、
先に書いた石原慎太郎と同じく、
大学在学中に書いた処女作という点が、
芥川賞らしさだったように思われる。

それも70年代までで、
80年代以降の受賞作家は、鳴かず飛ばず、
該当作無しの時も増え、
当時は芥川賞より直木賞に、
注目が集まっていたように思う。

80年代はバブル景気もあり、
広告業界、コピーライターが注目された。
糸井重里がその筆頭だった。

1992年に直木賞を受賞したのが、
伊集院静の「受け月」である。
前年に「乳房」が、
吉川英治文学新人賞を受賞している。

この人は広告代理店に勤務後、
フリーの演出家を経て作家デビュー、
とプロフィールにある。

1978年に芥川賞を受賞した宮本輝も、
広告代理店でコピーライター後、
作家デビューをしているのだ。

1988年に芥川賞を受賞した新井満は、
広告代理店に勤めながら、
作曲も含め創作活動を続けていた。

芥川賞作家の開高健や直木賞作家の山口瞳は、
サントリー宣伝部のコピーライターだった。

そのサントリーの広告で、
成人の日に毎年掲載される新聞広告がある。
山口瞳から倉本聰、今は伊集院静が20年ほど
エッセイを書き続けているのだ。

「二十歳の君に乾杯」。
このエッセイが僕は大好きだった。

司馬遼太郎も新聞記者だったし、
夏目漱石や芥川龍之介だって新聞社に就職した。

卒業後は、新聞業界か広告業界か、
などと呑気に考えていた。

ところが90年頃から、バブルが崩壊し、
就職氷河期を迎えることになる。

それを実感するのは、もう少し後になる。
歴史とはそうやって作られるのだ。

98年の冬季オリンピックが、
長野で開催されることが91年に決まった。

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