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僕がITという「仕事」を選んだ理由

前回のnoteで、少し「仕事」で喜びを感じた話を書いたので、今日はその事について書いてみようと思う。

何故ITという仕事を選んだのか?

「エロ」が見たかったからである。

「全く馬鹿な話だな」と思い、このページを閉じようと思ったあなた、大間違いですよ。
真実から目を背けてはいけません!

この「エロ」…元い

「人々を魅了し時間も金も惜しまず全てを投げ打ってもいいと感じさせる素晴らしき欲望」
(※以降「豊丸」と略す)

は、何を隠そうこの「僕」という人間の根源と
表現しても過言ではない。

まるで、宗教の勧誘のようになってしまったが、
今から書くことは、紛れもない事実なのである。

ウェブサイトのトラフィック情報分析ツール「SimilarWeb」の情報を元にVisual Capitalistが制作した、世界でアクセス数の多いウェブサイトトップ100のマップを見れば「豊丸」が人間とはどういうものなのかを垣間見ることが出来る。

今ではオンデマンドで、好きな映像をインターネットでいつでも見ることが出来る時代の30年前に話は遡る。


映画は映画館で見るのが当たり前、テレビで映画が放送される時間帯は、映画を見に行くようなワクワクする時代があった。僕の幼少期、80年代はハリウッド映画全盛時代だ。

日本の家電と言えば、世界が信頼の「made in japan」テレビ/ラジオ/洗濯機 何でもすごかった。そんな華々しいバブルの頃、日本家電業界にテレビの録画/再生をする「ビデオ」の戦いが起こる。VHSというビクター、日立、シャープ連合のビデオ規格とβというSonyビデオ規格の戦いだ。この勝負、VHSに軍配が上がる。

何故勝てたのか。

ビデオテープの録画時間が勝因の一つだろう。

簡単に説明すると、画質が良くないが、1本のテープでVHSはβより長く録画する機能を搭載したのであった。
いくらバブルの時代であっても、新しい物は高い。それはビデオデッキだけでなく、ビデオテープも同じであったであろう。

だから見たい映画は買うのではなく、借りる物であった。レンタルビデオ店の誕生である。

今では規模を縮小しオンデマンド化されていったTSUTAYAは、どの街にも存在していた。
昭和天皇が崩御し、テレビ各局が1週間に渡って昭和天皇の特番を流し続けた結果、レンタルビデオ店のビデオテープは殆どレンタルされた。

では何がレンタルされ、レンタルビデオ店は繁盛したのか。

そう、エロビデオ=「豊丸」である。
所謂「キラーコンテンツ」の代表だ。
ハードであるビデオデッキが普及した大きな理由はここにある。

エロビデオについて書き出すと方向がずれてしまう為、残念ながら今回は割愛す。

音と映像の世界は、直感的に人間へ訴えかける。
高価なビデオデッキは、「豊丸」によって普及したのである。


1995年、Windows95発売。

Windowsというコンピュータが一般社会に普及し、インターネット社会の始まりと言っても過言ではない、テレビ/新聞/雑誌/ラジオに変わる第五番目のマスメディアツールの登場である。

僕が高校を卒業した18歳になった時、ビデオの時代からインターネットが台頭し始める。

当然「豊丸」もインターネットへ足を踏み出す。

「豊丸」は僕をコンピュータの世界へと手ぐすねを引き始めた。

しかしこの頃は、インターネット通信料がとても高かった。そこでお金のない若者達は、深夜12時から通信料が安くなる時間帯にネット接続をするのが一般的だった。
また回線が細いため、1枚の「豊丸」を表示させるのに何分もモニタを睨み続けるのも当たり前だった。

「何としてでも見たい!パソコンってどうなってんだ?インターネットってなんだ?」

「豊丸」の為に、LANカードを増設し、ADSL回線に切り替え回線速度を上げ 、秋葉原に通い安くてスペックの高いメモリがどれか裏通りの店の価格表を見つめ、パソコンメーカーのサポートセンターへ何十回と問い合わせ電話し壊れかけゆくパソコンを復旧させ、壊れても新しいパソコンで「豊丸」と会う為に当時ではまだこれからだったクラウドに着目し、あのファイル交換ソフト「Winny」から襲い来るウィルス「仁義なきキンタマ」と戦う日々…


嗚呼、我が青春の日々よ…

このような日々の結果、パソコンを使った仕事が出来るまでになったのである。



「豊丸」は人を成長させたのである。

「豊丸」も確かに僕をITの世界へ引き込んだ。
だが、大きな要因がもう一つある。

「ネットワーク」である。

いつか詳しく書く事があるかもしれない大学時代の話になる。


僕の通っていた大学は、余り知られていない新しく出来た大学であった。当時交際していた「彼女」と「音楽」で、ろくに勉強をしなかった僕が何とか入れるほどの、どちらかと言えば偏差値の低い大学だった。

ただ、その大学が当時は珍しい情報学部、要するにコンピュータを専門とした単科大学であったのだ。 僕はただ「僕でも入れる大学」に入っただけで、コンピュータに興味は全くなかった。「豊丸」的なものはレンタルビデオで満足していた頃であった。

そう、この頃Amazonが本をインターネットで販売するということが革命的で、講義に取り上げられたことが鮮明に記憶に残っている。

「彼女」と「音楽」に明け暮れて、ろくに大学へも行かない僕でも、その期に履修する授業の申請のために学生部へ足は運ぶ。学生部の入り口には、学生への掲示がいつも張り出されているのだが、いつもと掲示の雰囲気が違う。なんか怖い。

大学の掲示板にデカデカとある生徒の名前が張り出されていて、こう記載されていた。

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以下の者を半年間の停学処分に処す

 理由)学内サーバへの不正アクセスによる
      成績改竄の為
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「サーバ?」「不正アクセス?」何だこれ?

全く何のことだか理解出来ない僕に、ちゃんと通学している友人が
「学生の成績を管理しているコンピュータに、パソコン使ってネットワーク経由で入り込んで自分の成績オールAにしたんだって、やばいよな。」

???ネットワークっていうのはすごいな!!!

やるしかない。

当時の知識と技量ではクラッキングはとても出来なかったが、これを機に「ネットワークエンジニア」というIT職を目指すこととなる。

結果的には、「ネットワークエンジニア」は求められた業務が忙しく、資格を取るまでに至ったが、以降IT系とAV系(オーディオビジュアル)を広く深く約20年以上に渡り、「仕事」としても接するのであった。

今までやってきた「仕事」の話は、いずれまた。

以上「豊丸」と「ネットワーク」が
「僕がITという「仕事」を選んだ理由」でした。


桜樹ルイ、54歳だって。




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