子供の頃の夢
幼少期から、将来の夢を作文に書かせられることって多いですよね。
大きなもので言えば卒アルの文集とか。
私はそういうものを書かされるとき、毎回創作して嘘の将来の夢を書いてた。
芥川賞を取りたいとか、水泳でオリンピックに出たいとか、慈善活動の会社を作りたいとか。
自分で覚えてるだけでこれだけの嘘を書いているから、本当はさらに多くの嘘をついていたと思う。
その時の気持ちを思い返すと、大人にすごいねとか、子供なのにそんなこと考えてるんだねって言われたくて書いてたなって。
実際、将来の夢って今思えばなかったというのもあるかもしれないけど。
私の感覚で言えば、身近な友人の中に将来の夢を持ってる人ってそういえばいないのかも。
みんな今を生きるのに必死すぎて。
最近の若者ってもしかしてそうなのかな?
21〜25歳くらいって、嫌でも現実を見させられるし、バンドマンになりたいとかいうのは笑われてしまう節もある。
子供の頃は、夢を見ろって、将来の夢はなんなんだって、なにになりたいんだってよく聞かれてた気がするけど、この年齢になって夢を持つのは少し照れる。そんな気がする。
夢をどう待てばいいのかもわからないし、そもそも、その「将来」って今なのかもしれないし。
じゃあ、子供の頃からの夢があった人が叶わないまま大人になったら?
社会のレールに乗ることだけを求められるのに、子供の頃に希望なんて持たせないでよって。
野球選手や女優、お笑い芸人、アーティスト。それらはもちろん努力の上に成り立つけど、今では才能がある上の努力なんだなって感じる。
才能がなくても!なんて言えないよなあ。
当たり前のように小中高と学校へ通い、習い事をして、受験を突破し、大学に通い、当たり前のように新卒入社する。
このレールから一つでも弾かれてしまえば、ダメ人間のレッテルを貼られる。し、今成功していたとしても、どれかの失敗や逸脱があれば「そういう人」って見られてしまう。
でも、みんなそんな風に見られたくないと思う。
もしも自分が何かの拍子にレールから外れてしまったら、そう見られたい!なんて人いないと思う。
海外でもそうなのだろうか?特に協調性や調和を重んじる日本人特有のもの?
当たり前にそのレールを進んできた人を、私は尊敬する。私にはできなかったから。
でも、誰にだってそれは訪れるしいつそうなるかなんてわらない。
私だって、高校の時に鬱病を患う予定はなかったし、今頃は普通に働いてるつもりだった。
なにも、異端がかっこいいからそうしてるわけじゃない。
うわー、不満ばっかで気持ち悪いな、、
とにかく、いろんなレールがあって良いと思うのに王道の、たった一つのレールしかないくせに、将来の夢なんて言わせるなよって話。
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