見出し画像

【5/22】ワニに食われて死ぬはずだった

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という、ポール・オースターが編者になっている本がある。オースターが、ラジオ番組のために全米の一般の人たちから、"ちょっとおかしな"実話を募集してまとめたものだ。

画像1

これは私の個人的な思想だけど、人生の本質は、ハイライトにではなく"ちょっとおかしな”の部分のほうに宿る。出生の瞬間や入学式卒業式結婚式葬式、そういった"ハイライト"の話は、どんな人でもだいたい似通っているからそう面白くもない(葬式は多少面白いかもしれないが)。仕事ができなくても、恋人や友達がいなくても、お金がなくても、"ちょっとおかしな”話をいくつか披露できるならば、私にいわせてもらえばその人の人生は大大大成功だ。

というわけで、この本の内容自体の書評はまたどこかに書くとして、今回は「もしも私がオースターのラジオ番組に投稿するなら……」という妄想のもと、自分が『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』に載せたい"ちょっとおかしな”話を書く。『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』はカテゴリが「動物」「物」「家族」「スラップスティック」「見知らぬ隣人」「戦争」「愛」「死」「夢」「瞑想」と10に分かれているんだけど、この中でいうなら、私の話は「夢」になるのかな。

画像2

(※ここに載せたい)

------------------------------------------------------------------------

ある年の春、私は日本から33時間かけて飛行機に乗り、アルゼンチンへ旅する計画を立てていた。喧騒の大都市ブエノスアイレス、雷鳴のような轟音とともに巨大な氷塊が落下するペリト・モレノ氷河、世界最南端の都市ウシュアイア、そして北米のナイアガラが霞むほどのスケールを持つとされるイグアスの滝。雄大な南米大陸の自然に思いを馳せつつ、さまざまな仕事や準備に追われながら、旅立つ1週間ほど前の晩に私は奇妙に現実感のある夢を見た。

天候は、曇りだった。イグアスの滝の最大瀑布である「悪魔の喉笛」を目指して、夢の中の私は国立公園の中を歩いていた。

緑が鬱蒼と生い茂り、遊歩道の床の木は腐っていて、ところどころ抜け落ちている。虫、鳥、さまざまな正体のわからない生き物たちが、あちこちで不気味に鳴いている。まわりに観光客がたくさんいるせいか恐怖心はそこまで感じなかったものの、抜け落ちた床がふと目に入ってしまうと、一歩足を進めるのにも緊張が走った。

「悪魔の喉笛」まであともう少しというところで、遊歩道の下にいる、1匹のワニと目があった。すると、その瞬間に吸い込まれるようにして床が抜け落ち、私は川に落下した。パニックになりその場でばちゃばちゃと泳いでいると、さきほど目があったあのワニが目の前にいる。足先をぱくっと噛まれ、私はそのままワニの体内に、ずるずると飲み込まれていった……といったところで、目が覚めた。

画像3

その日、私は不安になり「地球の歩き方」のイグアスの滝のページを熟読した。イグアスの滝で、過去に事故に遭った観光客はいるのか。動物に襲われることはあるのか。調べたところによると、ハナグマという動物がまあまあ凶暴らしい。こいつは見た目はアライグマみたいでけっこうかわいいが、引っ掻かれたりすると大変。また生態系保護のため、餌をやらないようにとのことであった。しかし、ワニに関する記述は、少なくとも「地球の歩き方」には1行たりともない。次にインターネットでもイグアスの滝周辺に生息する動物について調べてみたが、目ぼしい情報は何も見つからなかった。

画像4

まあたかが夢だし、気にすることもないだろうーーと考え、翌週、私は予定通り飛行機に33時間乗った。ブエノスアイレスを観光し、またそこから2時間のフライトを経て、イグアスの滝の玄関口であるプエルト・イグアス空港に降り立つ。その頃にはワニのことはすっかり忘れ、同行の友人とともに、純粋に観光を楽しんでいた。当たり前だが、世界中から観光客が訪れる国立公園の遊歩道の床が、腐っていてところどころ抜け落ちているなんてことはない。売店の近くをうろついているハナグマは、かわいいけど確かにちょっと怖かった。

ところが、「悪魔の喉笛」を目指して進んでいると、遊歩道の下の川に、いたのである。1匹のワニが。ワニは蓮の花とともに、動かずにじっと浮かんでいた。一瞬、頭の中でピキッという音がして、あ、だめだ、私の人生はここで終わりだあああ!!! と思った。

もちろん、私の人生はそこで終わらなかったので、今これを書いている。現実の遊歩道は腐った木製なんかではなくしっかりとした金属製で、まさか抜け落ちた床から下の川に落下するなんてことは起こらない。私は平静を装って「わ〜ワニだ〜」とはしゃぎ、ワニと蓮の花の上を通過した。その後は「悪魔の喉笛」に無事たどり着き、写真をパシャパシャ撮ってひとしきり感動して、イグアスの滝を満喫。ちなみに帰りみち、ワニは行きとまったく同じ場所で蓮の花とともにぷかぷか浮いており(寝てたんか?)、今度こそ落ちて食われて死ぬかなと思ったが、そんなはずもなく、ご覧の通り私は無事である。

この話には、いろいろな可能性が考えられる。あの夢を見る前に、ガイドブックかインターネットのブログか何かで、私は「イグアスの滝の周辺にワニがいる」という情報を事前にキャッチしていて、本人は意識せずとも、それが夢の中に現れたのだろう。実際のカラクリはまあそんなところだろうと思っている。

しかし、やっぱり不思議なのだ。私はなぜ、イグアスの滝にワニがいるって、知っていたんだろう? 

そして、あの瞬間に川に落ちてワニに食べられなかったことを、今でも少し奇跡のように感じている。


この記事が参加している募集

شكرا لك!