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【6/30】ジョージアに恋

今となっては、本当にそんなことがあったのだろうか? という不思議な体験をしたことがある。2010年、パリのシャルル・ド・ゴール空港での出来事だ。私は喫煙所で、数人の仲間たちとともに、フィレンツェへ向かうための飛行機を待っていた。そこそこ長いトランジットで、出発まであと数時間はあったと思う。

喫煙所で友人がタバコを吸うのに付き合っていると、ふと、隣に見知らぬ男性が現れた。「火を貸してくれませんか」。私たちはフランス語を解さなかったけれど、男性がタバコを一本、口に咥えていたので雰囲気で何を言っているのかはわかる。友人が慌てて男性のタバコにライターで火をつけると、彼は気持ちよさそうに、ふーっと煙を吐き出した。

不思議だと思ったのは、男性の服装である。それは3月下旬の出来事で、まだ空気は肌を刺すように冷たく、私などはムートン素材のもこもこしたコートを羽織っていた。しかし男性の服装は、薄い、ひらひらのワンピース1枚だったのである。薄い、ひらひらの、ワンピース1枚。3月下旬に。もしも彼に女装癖があったのなら、他人の嗜好についてどうこう言う資格は私にはないけれど……でも、ムートン素材のコートを着ている人間の横に薄いひらひらのワンピースを纏っただけの人間がいるのは、どう考えても異様である。ガリガリに痩せ細り骨が浮き出ている男性の体が、ワンピース越しにはっきりと見えた。

彼よりも先に私たちは去ったので、男性がその後どれくらい喫煙所にいたのかはわからない。彼が何者だったのか、なぜ真冬にワンピース1枚だけを着ていたのか、どこへ向かうためにシャルル・ド・ゴール空港にいたのかも、わからない。ただ、同行のゼミの教授が「彼は、グルジア人かもしれない。きっと頭がおかしくなっちゃったんだろう」と切なそうに呟いたことは、はっきりと記憶に残っている。

それが、あまりリアリティのない私と「グルジア」との出会いだ。グルジアーー2015年に政府からの要請に応えて「ジョージア」と呼称を変更したらしいその国の名前を聞いて、私が真っ先に思い出すのは、あの肌寒い3月のシャルル・ド・ゴール空港なのである。ちなみに、なぜ教授が突然現れたフランス語を話す人を「グルジア人」だと思ったのかはちょっとわからないし、もしかしたら私の聞き間違いの可能性もある。だけど、そんな私の聞き間違いも含めて、やっぱりこれが、私と「グルジア(ジョージア)」との出会いなのだ。

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とはいえ、その2010年の出会いをきっかけに、私とジョージアの関係が急接近したわけではない。というか、私はジョージアには未だに一度も行ったことがない。なんとなく、自分の中に「行ける国(旅行先として真面目に検討できる国。たとえばポーランドとか)」と「行けない国(とても憧れるが、治安などの問題もあり旅行先としてはちょっと考えられない国。たとえば南アフリカ共和国とか)」があり、ジョージアは長年、後者に分類されていたのである。最近ちらほら「行ったよー」報告を耳にするようになって、私の中でジョージアが前者にカテゴライズされ直したのは、本当にここ半年くらいのことだ。それまでは、世界地図の中のどこにあるのかも薄ぼんやりとしか理解していなかった(隣国として、トルコやアゼルバイジャンやアルメニアがある)。首都がトビリシで、ワインの産地であることも知らなかった。

「行ったよー」報告を度々聞くようになった以外に、ここ半年のあいだに私とジョージアの距離をぐっと近づけたものとして、セルゲイ・パラジャーノフの映画がある。きっかけは、アリ・アスターが『ミッドサマー』を、パラジャーノフの『ざくろの色』にインスピレーションを受けて作ったという話をどこかで読みかじったことだ。『ミッドサマー』を観た後に『ざくろの色』のほうも観てみたら、私の考える「美しい」を、これでもかというくらい体現していて鳥肌が立ってしまった。この映画が作られた土地をこの目で見てみたい! と、ジョージアやアルメニアに恋に落ちてしまったのである。

(私は旅行地に関してはドン・ファンもびっくりの好色野郎なので、すぐにいろんなところに行きたくなってしまう)。

(似てる……?)

その後いろいろ調べてみてわかったのだが、パラジャーノフは、私が大学時代に卒業論文で扱ったヤン・シュヴァンクマイエルとの共通点がいくつかある。ひとつは、ジョージアも、またヤン・シュヴァンクマイエルが暮らしたチェコも、ソビエト体制の中で芸術作品に対する厳しい検閲が行われていたことだ。シュヴァンクマイエルは一時期オーストリアへ逃亡しているし、パラジャーノフは身に覚えのない罪によって3回も投獄されている。ソビエト体制下の検閲に負けないためか、ジョージア映画の特徴としても、またチェコ映画の特徴としても、ユーモア、アイロニー、風刺性、批判性などがあげられることが多い。寓話や幻想的な世界によって、体制批判を行うのだ。

もうひとつは、パラジャーノフにとってもシュヴァンクマイエルにとっても、映画は表現の手段のひとつに過ぎず、両者とも絵画やコラージュなどの他の表現手段を持っていることである。シュヴァンクマイエルのほうは特に、自分を「映画監督」だとは思っていないらしい。2人の中にはおそらく、マグマのようにふつふつと燃え上がる表現欲があって、それが表出するとき必ずしも映画という形をとらないのだ。パラジャーノフの映画を観ていると「過剰」という言葉がどうしても頭をよぎるし、シュヴァンクマイエルもまた「過剰」である。彼らにとって、生きることはすなわち表現することなのだろう。

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外出自粛生活は、徐々に終わりつつあるように見える。でも、自由に飛行機に乗っていろいろな国に行ける日はまだ遠いようだ。次に飛行機に乗ってどこか別の国へ行くときには、私は感極まって、空港のどこかでひっそりと泣いてしまうと思う。

「次の旅先」について知人に聞かれることがたまにあるけれど、まずは、今年の3月に断念したバルト三国とポーランドへの旅を果たしたい。

そして、その次には、ジョージアに行ってみたいなと思っている。何年先になるのかわからないけど、シャルル・ド・ゴール空港での不思議な出会いとセルゲイ・パラジャーノフが、どうやら私をこの国へ呼んでいるような気がするのだ。

※参考文献



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