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ある日突然電源が切れた

10代の学生時代、アルバイトで入社したアパレル業界。20年前は、まだ渋谷の109やラフォーレ原宿がギャルの聖地だった。「カリスマ店員」という単語が若干薄れつつはあったもの、読モや、自分のスタイルやセンスに自信がある子ばかりのショップ店員は、ある意味あの頃を全力で駆け抜けていた、まだ自分の未来にきらきらとした希望ばかりを抱いていた世代の一部の女子からは確かに憧れの業種だったと思う。

専門学校を卒業し、アルバイトから社員、何年か後には店長に昇給もした。田舎町のファッションビルで数年働いたのち、東京に転勤になり、憧れのマネージャー職についたときは本当に嬉しかったし、わたしは一生この会社で頑張っていくんだろうと疑いもしなかった。毎日毎日残業で、休みも月に4、5回。電話やメールは休日でもお構いなしに鳴り止まない。それでも休みの日は充実していたし、思い返せばその頃は恋愛もそれなりに色々あった筈。笑

本当にがむしゃらに働いて働いて。気付けば、30歳も目前になり、色々なことがあって私は鬱病で会社を退職した。その後、一年じっくり休んで、違う業種に転職をしたけれど、結局、新しい事業の立ち上げに誘われたことがきっかけで、半年でまたアパレル業界に戻ってしまった。

それから一度転職をして、5年目。気付けば38歳。未婚、彼氏もなし。

ある日、突然自分の中でブレーカーが落ちてしまった。頑張るってなんだろう。頑張って一体なにになるんだろう。ああ、この感じ。覚えてる。嫌だなぁ。たぶん、このまま走り続けると、わたしはまた鬱になる。10年前はまだ若くて、自分ではコントロール出来ない感情に支配され、大切な人たちをたくさん傷つけて、心配させた。自分だけが辛い、悲しい。悲観的になることばかりで、誰に対しても攻撃的なことしか思えなかった、もうあの時みたいにはなりたくない。

きっかけは些細なことで、絶賛、中間管理職。上からも下からも好き勝手にいわれ放題。上司の現場に対するきっつい言葉を汲み取って、ろ過して丁寧に優しく部下に落とし込む。けれど、わたしは人間で、感情があって。それも結構不出来なものだから、コロナや、売上や、部下たちとの温度差に感情的になってしまったことも多々あった。まぁ、要はバッシング。こんな仕事をしていると、そんなトラブル今までもいくらだってあったし、自分が仲裁にはいることも多かった。普段だったら、素直に反省して、部下たちとも話し合い、謝って、また明日から頑張ろうね! なんて美談にすら、出来た筈。それでも、積もり積もったストレスと、ずっと続いていた身体の不調。仕事がうまくまわっていない焦りもあった。

あの日、上司に呼び出されて言われた話の内容に、わたしは何もかもどうでも良くなってしまった。年々衰えていく体力、体調を壊すことも多くなったし、一向によくならない腰痛。白髪だって生えてきた。昔だったら考えられない箇所につく贅肉は、少しのダイエットくらいじゃなかなか落ちない。現場の部下たちとは、どんどん歳が離れていくし、少しきつく言えばすぐに辞めたいだの、パワハラだの。20代の若い子たちのご機嫌は取るくせに、裏ではボロクソに言う上司。30代のわたしら中間管理職世代には何を言っても良いとでも? 

それでも、ずっとこれが自分の仕事だからと、何も疑わずに生きてきた。そんなことで悩むこと自体が弱いのだと。休みの日は、身体が辛くて起き上がることも億劫で、それでも体力つけなきゃとジムいったり、運動したり。コロナ渦の中、仕事があるだけでも有り難いと思う。都心のマンションで一人暮らしして、少し贅沢できるくらいのお給料も貰っている。腹がたつことも多いけど、基本的に会社のみんなのことは好きだし、仕事もたぶん好きだった。

でも待って。わたし、いま幸せか?
そもそも幸せってなに? 生きるってなに? なんのために頑張ってるの? わたし、なんのために生きてるの? 幸せになるために、これまで必死で生きていた筈なのに。

毎日仕事と家の往復ばかり。休みの日は、翌日の仕事のことを考えて、出かけるのも疲れるなってずっと家に引きこもり。死にたいと思うことが増えて、でも親がいるうちはまだ死ねないな、と思い留まることが何度あったか。相次ぐ芸能人の自殺報道に衝撃を受けながらも、どこかで羨ましいと感じていた自分にやっぱり今の精神状態はやばいよなぁと、ぼんやり実感をした。

わたし、5年後も10年後も、ずっと同じことを繰り返して生きていくのだろうか。今まで大した貯金も出来なかった、けれど一体いくつまでこの仕事が続けられるんだろう。

情けないことに自分の中のブレーカーが落ちたその日、社長に全部話して、大泣きした。もう頑張れないかも知れないと、正直に話した。翌日から、仕事を休み、病院へ行って診断書を貰った。傷病名:気分障害。やっぱり鬱病だった。それから今、二週間以上たち、仕事は休みを貰ったままです。休職手当を申請するか、有給を使うか、仕事復帰か。そろそろ決めなくちゃいけない。

三週間が経とうとして、いつまでも家に引きこもって、泣くか寝てるかばかりしていても、現状は変わらない。田舎で暮らす両親には、こんな歳にもなって心配をかけるのが嫌なので、何も話していない。
ただ、あの日、壊れる直前で素直に泣けてよかったとは思う。辛いから、休ませて欲しいと言えてよかった。まだ死にたくなるし、生きる意味はわからないし、頑張れないかもしれないけれど。たった三週間で、こうやって気持ちを整理するために、記録を書きはじめたことだけでも進歩した。10年前は完全に壊れたあとで、半年はなにも出来なかったから。

このnoteが続くかわからないし、これからどうしたらいいのかも、自分がどうしたいのかも、あんな休み方をして、戻った会社に自分の居場所があるのかどうかもわからないけど。とりあえず、ごちゃごちゃに絡まった気持ちを少しでも整理するために、毎日何かしら記録をしたいと思う。

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