浅野いにお先生の作品はなぜメンヘラにウケるのか元メンヘラが考えてみた~サイコパスになれたら日誌12月27日~
メンタリストDaiGoが前にyoutubeにあげてた動画でメンヘラの特徴を3つあげていた。
https://www.youtube.com/watch?v=pzyhTJwe2Dg
・ネガティブな言葉をよく使う
・「わたし」「ぼく」「俺」など一人称が多い
・「絶対」「ーべきだ」「必ず」「ーしなければならない」など断定口調が多い
かつてアムカしてリスパダールという幻覚や幻聴を抑えて強烈に効く精神安定剤を服用していた僕からすれば、あながち間違っていないと思う。
過去の日記を見ると、
「明日の仕事、嫌だ。上司●ね。僕は悪くない」
「クリスマス。くそだろ。欧米の文化だろ。廃止すべし。僕は孤独だ」
「絶対僕の明日のプレゼンうまくいかないと願っていた方が、むしろ絶対に安全」
とか今振り返ってみれば、とっても恥ずかしいし、そしてメンヘラくさい文章・・・・。
今となっては笑い話だけど、そんな時に心の救いになっていた漫画。
それが浅野いにお作品。
全部読んでるわけじゃないけど、浅野いにお先生の作品を読んでいつも心をかきむしられ、「まだ立てんだろ?」と責め立てられ、挙げ句の果てに骨の髄と心の髄まで虫取ってくれる作品。
それが僕にとっての浅野いにお作品です。自分で書いててよく分からなくなりました。
改めて、この前ネットカフェで浅野いにお作品を読んだので、なぜ浅野いにお作品がメンヘラに好かれるのか元メンヘラが考えてみました。
よく言われることだけど、浅野いにお作品は「若者のモラトリアム」をよく描いている。
簡単に言えば「大人になりきれない大人」が登場人物としてよく描かれる。
浅野いにお先生は、とにかく絵が上手い。ちょっとした感情の揺れうごくところを丁寧に微細に描きそしてセリフなどなくても読者に登場人物たちの感情が伝わってくる。
個人的にお気に入りの絵
ゆえに読んでてつらいんですよ。でも読み進めてしまいます(笑)
浅野いにお先生の作品に出てくる登場人物たちは、特に何か明確な目標や人生の夢を漠然と持ってるんだけど、めちゃくちゃ熱心に打ち込むわけじゃないし、あるいは熱心に打ち込んでるつもりなんだけどうまくいかなかったり、そこから逃げて「自分ってなんなんだろう」みたいな正解のない答えを常に探し続けていたりします。
常に登場人物たちは、「何か」を失ってそこからうまく這い上がれず右往左往して最終的には何かしらの自分なりに決着をつけ何かしらの「答え」が見つかります。
物語が進展していくにつれてどんどん救いようのない展開になったり、浅野いにお先生流の独特な不条理なギャグが挟み込まれたり、あるいはさっき書いたリアルな描写で描かれます。
おやすみプンプンにて、主人公プンプン(左)がチンクルホイホイと唱えたら出てくる神様(右)
主人公や取り巻く環境がどんどん変わっていくにつれ、読んでるこちら側も登場人物たちとともに成長を迎えていきます。
ただ成長していく過程はいつも自問自答して他者とうまく向き合おうにも、なかなか自分自身をさらけ出すことに難しく感じてしまいます。
実際にぼく自身もメンヘラだった時は他人と関わろうにも素直になれず、言いたいことが言えないまま、心にわだかまりを抱え病んでいく(笑)というアホみたいな体験をなんどもなんども体験してきました。
浅野いにお作品を読むと、読んでて辛くなってしまうんだけどでも登場人物たち一人一人がとにかく愛おしくなるし物語に入り込んでしまいます。
メンヘラが浅野いにお作品を好んでしまうのは、そうした言いたいことをうまく吐き出せず素直になろうにもなりきれない虚しさを描き、なんとかして自分なりの終着駅にはまだまだ遠い「答え」を見つけようとするドラマに感動するからなんだと思います。
よく浅野いにお作品が「メンヘラ御用達漫画」とか「バンドマンが好きな女の本棚によくある漫画家」とかまあ揶揄されたりしますが、そうした人たちも何かしらの素直になりきれない、何をしたらいいかわからないもどかしさを抱えながら浅野いにお先生の漫画を読んで感動するんだと思います。
ただ漫画に限らず、映画や音楽はなんのためにあるのかと考えたら、そうしためちゃくちゃ生きるのにしんどい現代で疲れてる不器用な人のためにあると考えているので浅野いにお先生の作品があることに仕事とか恋愛とかいろんなことに「とりあえず頑張ってみっか」と気にさせてくれるだけでも本当にありがたい作品群です。
また浅野いにお先生理論の個展に行こう。
追記 なんかnoteのアプリが調子悪くて途中で入るべき画像がないっす。
途中で入れたかった画像
本日の似顔絵
浅野いにお
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