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日輪の沈黙【あめつち、10行現代長歌について】

202206 玉輦は法雨に濡れて過ぎてゆく泣いても鐘は定刻に鳴る

花と魚(花)
 「あめつち」
  影法師闇夜の中で曼珠沙華を
  刈り入れ地には幾本かの花弁が落ちる
  ・・・・・・
   反歌
  皇紀ニ六七九年の春御世の残りも朝の御光

【解説】
必要は発明の母とはいうが、
「未来」に送るため
現代長歌のスタンダードは、
10行の現代長歌になった。
反歌の記載も必要だから
8行に反歌一首が
私の中で一番スタンダード。
そして、新人賞は、
30行50行300行だったりする。
この「行」カウントをするのが、
現代長歌の変わった点である。
つまり、10行の積み重ねで
長編の現代長歌は賞に送れるようになる。
しかし、現代長歌が理解されているかは
分からない。

現代長歌は、定型詩である。
ただし、島崎藤村のような
七五調の定型詩ではない。
五七五七五七・・・・・・
と続けるとほぼ定型は崩れる。
六にも八にも容易くズレてゆく。
しかし、それがいいのだ。
破調はより定型を意識させる。

「あめつち」は、1月に発表されることを
意識して書いたのを覚えている。
時代は、上皇陛下が
譲位するというお心を示していて
法整備していた時だったと記憶する。
時代が変わるあの時の空気感を思い出す。

皇紀とは、西暦に対して、
むりくり作られた
神武建国からの日本独特の暦を指す。
日本は元号があるのだから
皇紀が西洋に触れてから
作られたのが明らかに分かる。
西暦がキリストの誕生を基準にしているから
それより日本の歴史は長いという
単純な思考で作られたのは
明らかだ。
ある意味、戦前の日本が
間違い始めた自尊心の象徴のように思う。

ここまで読めば
私がアイロニーで皇紀を用いてるのが
分かるだろう。
そして、
題をあめつちとしているから
私の実存も関係してくるのだ。
私は日本人キリスト教徒だから
天皇制とは、長い信仰の困難さを
抱えることになるだろう。

曼珠沙華のするどき象夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき
  坪野哲久

という短歌が頭の片隅にあったのかもしれない。
私たちは関係の中で歌を詠んでいる。
思ってもみない本歌取りをしているはずなのだ。
それに、本歌取りは、短歌から短歌だけではない。
エリオットからビリーアイリッシュさらに預言の一般認識などなど
多くの関係多くの本歌取りから私の歌が詠まれる。

ちなみに、曼珠沙華は、私の花だ。

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