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日輪の沈黙【荒魂と真の神について】

202206 玉輦は法雨に濡れて過ぎてゆく泣いても鐘は定刻に鳴る

花と魚(花)
 「荒魂」
 ・・・・・・
 森が揺れ伊勢の百舌鳥の森が揺れ揺れる揺れる
 すめらぎの御魂輝いて我独り涙とむすびを食んで佇む
  反歌
 喫んだ焔は身を滅ぼした嗚呼けぶり血のなき肉から幕屋より立つ

【解説】
父のタバコをくすねて
一生一度の決別の旅をする。
伊勢は思ったより広かったが、
こぢんまりとしていた。
神々の神は僕には感じることができなかった。
その和御魂は、僕にとって
一つの魂であって、霊ではなかった。
肉を得てやっと形なきものは知ることができる。
しかし、聖霊は、イエス・キリストを指し示していた。

バスの運転手は不親切だったし、身勝手だと思うようになった。
それが、伊勢の印象だった。

そこから大阪に移動した。
翌日、私は体調を崩したが
百舌鳥にいた。
私たちの先祖が仰ぎみた
仁徳天皇陵を右回り左回りした。
その時、地は激しく揺れた。
私は荒御魂なのだと揺れの後に思った。
この日本では
形がなければ見えないものがある。
私は荒御魂を形づくる者なのだと
思うに至った。
そして、私はキリスト教の神を
真の神なのだと信じるに至った。

和御魂と荒御魂が、この世にはある。
それはちょうど勾玉の一対のようなものだ。
恨みではなく宿命なのだ。
抵抗ではなく調和なのだ。
荒御魂を抱えて、私は
どこからかきた焼肉のけぶりを嗅ぎながら
私は、食べ忘れていた
おにぎりを食べた。
ひどく体調が悪かったが
荒御魂として生きることを悟った時
腹が鳴り
日用の糧を得た。

私の中で
神が神であったのを知ることができた。
偶像が偶像であったことを悟ることができた。
おにぎりを食べ終えて私は
人生を再び始めようと思った。
後代の人間のために
生贄のけぶりをあげている
荒御魂に過ぎないと涙を流していた

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