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日輪の沈黙【洗礼の日について】

202206 玉輦は法雨に濡れて過ぎてゆく泣いても鐘は定刻に鳴る

花と魚(花)
 「二〇一八年十二月二十三日」

 頭にしたたる水の感触を確かめる
 然り然りと胸の内神は赦された我が罪は
 ・・・・・・
  反歌
 ひとときに命の全てを神により祝福さるる嗚呼我はクリスチャン

【解説】
洗礼は、ただ水を注がれるだけではない。
その前に信仰告白がある。
一般の人は知らないかもしれないが、
教会で会衆全員が見てる中で
信仰を告白することは
大変な決意のもとになされる。
あの雰囲気で、
嘘偽りは述べることはできない。

洗礼については複雑な議論があるから
置いておくが
信仰告白は、共通する。
私たちキリスト教徒は
全員が信仰告白の上に立っている。
この揺らぎない確信の上に教会はなる。

この現代長歌は、それを
追体験することができるかもしれない。
私はキリスト教徒である。
その自負を神の赦しをそして、宣教の業に
参与している。

まずは、最寄りの日本キリスト教団の教会へ
足を運んでいただきたい。
そこで、是非、人だけでなく
神と出会ってもらいたい。

然りと心の底から思うことができる。

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