ヘブライ詩の修辞法――並行法や枠組みについて――

ヘブライ詩を理想として【哀歌的抒情】

嗚呼、琴を奏でてくれるな――
音のしない涙を頬に伝えゆき異国の河に混ざりゆく
嗚呼、言葉を紡いでくれるな――
音のしない涙を飲んであわあわと唇を震わす
嗚呼、人をなぶってくれるな――
喝采をあげる異国の見世物小屋、我が同胞の微かな息
嗚呼、神の名を軽んじてくれるな――
絶望と神の沈黙に突き詰められ我らは河の流れを臨む
    反歌
祖国の歌 笛に遥かな血の疼き涙の河ぞ「わが神『ヤハウェ』よ」

解説

 ヘブライ詩を翻訳するとこのような形になると思っている。
 前記したように「並行法」という修辞法を用いている。
 「並行法」とは、同じような意味、あるいは、反対の意味を重ねて
 豊かなイメージを提示する意味の増幅である。
 例えば、「琴を奏でる」や「言葉を紡ぐ」という「音のする」状態と
 「音のしない」という反対の意味をぶつけることで、
 対比が意識される。
 この対比の「基調」は「静寂」であるから
 次の展開も生まれてくる。
 つまり、「音のしない」から「喝采をあげる」というように、
 イメージの幅が、大きな揺れに見舞われる。

 あるいは、
 「音のしない涙」と「絶望」と「神の沈黙」という前半から後半にかけて
 個人的な悲しみが、民族の悲しみになる
 「同じような意味」が、「共有」されていく詩情である。
 同じ意味を重ねることは、より悲しみを悲しみとし
 喜びを喜びとするだろう。
 そして、それは、イスラエルが、個人だけでなく
 捕囚という民族単位の悲しみ、そして解放という喜びを
 共有することを思えば、「(同義的)並行法」は、
 個人から民族を包含する修辞法である。

 今回、ヘブライ詩の修辞法の特徴で
 新たに提示したいのが、「枠組み」というレトリックである。
 それは、例えば、形式上の特徴とともいえるだろう。
 拙作の例でいえば、
 単純に、「嗚呼・・・くれるな」というリフレインだけでなく
 二行目での「河」と八行目での「河」によって、
 詩全体が、河(バビロンの河)での出来事であることを
 強調するし、悲しみの根源は、この捕囚の地の河にあるのだ。
 また、「異国」と言外にある「故郷」を意識するように
 言葉だけではなく詩全体の形式で意識させる。

 今回、「並行法」というヘブライ詩のレトリックだけでなく
 「枠組み」と言われるヘブライ詩のレトリックの
 翻訳をしてみた。
 詩編137編を開いて頂ければ、この詩の思想的なバックボーンと共に
 今日の解説を合わせて読んで頂ければ、
 私のやっていることが分かると思う。

 聖書は、3,000円前後で買える。
 (これから買うなら「聖書協会共同訳」をお勧めする。ちなみに、私はこの訳を基準にしている、)
 もっと、手軽で、固い訳が良ければ、岩波文庫という選択肢もある。
 とにかく、
 是非、一度、手にとって買うか買わないか
 悩んで欲しい。
 大きな書店なら「聖書協会共同訳」も安価な岩波訳もある。
 是非、私としては、買ってヘブライ詩を探求して欲しい。

 私のヘブライ詩の翻訳が一助になれば、なおさら嬉しい。
 紀元前からある、古代人の詩情を探求して欲しい。

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