重たい軽さ

 最近の私の作風は、「都会的」であろうという気風がある。
 言葉は短く、隠喩的で、ライトで、なのに直喩(強制)だ。

 「都会的」というのは、やはり「ライトバース」
 という感じがする。
 今、私がやっている長歌は、
 「ライトバース」的であり、「都会的」なのだ。

 長歌それ自体の形式上のあれこれが定まっていないから
 私は、私の長歌形式のアイデアを出し続けている。
 たぶん、長歌を語ではなく行でまとめて表現したというのは
 当たり前のように思われているが、画期的な
 「形式上の」革新だったのだ。
 私たちは、長歌を音(五七)の連結から
 意味上の連結へ移行させ、なおかつ、音の連結を止揚した。
 (そこに句跨りも句割れも加えているのだから思っているよりキメラ感は半端ない)

 都会的と言えば、村上春樹だ。
 もちろん、私も、トレースしている。
 仕方がないように、何かを行うのが、ハルキ的だ。
 言葉は短く、詩のような趣で、
 アンニュイで、仕方なくそれをする。
 それが「都会的」な感じをさせる。

 私はずっと、「破調」から「句割れ句跨り」などを追ってきたが、
 ここ数年、減句も取り組むようになり、
 形式的に単語は少ないが暗喩的な
 「洗練された」言葉を使うようになっている。
 思い切って、一句あるいは二句消滅させるほどの
 一首を読みたいと思っている。
 私は、やっとライトバースに近づいてきた。
 ただ、私は、長歌という畑が違うので、また、価値観的に
 記号長歌はやらないと思うが、
 「ライトバース」が負っていた「軽さ」「暗喩」
 なおかつ、非情なまでの「直喩の強制」を行っていきたい。

 私の「ライトバース」長歌を挙げる。
 これは、未来「5月号」に載るものである。
 (現在、最も、私の最新作である)
 これも同様に、記事を買って頂いても
 他には載せないで頂きたい。

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