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日輪の沈黙【縒れる場所】【再】

【死者の埋葬 縒れる場所】

  「こんな時にあなたは煙草を吸うのね」と
  火葬場の雪、火種の赤、白いけむりに横顔の
  「煙草ぐらいは好きに、いや」
  灰皿に押し付けて消しーーシュポッと時が訪れて
  「気を落とすなよ。君は上で待っていてくれ」
  ・・・・・・
   反歌
  ーー弾けた
          私たちが愛した死者の埋葬
              僕が君の君が僕の

【解説】
 何故これが一番最初に来るのか?
 それは、この現代長歌が初めて書けた30行の現代長歌だからである。

 大きな失敗をして、その自責から対人恐怖症に陥り、苛みの中で転げ回っていた時、
 黒瀬さんから、お休みしているが、久しぶりに歌を未来に投稿してみたらどうかという
 メールを頂いた。

 それから私は手書きでの作歌を始めた。
 (今はワードに戻ったが未来への月詠は手書きにしている)
 もはや、人生に絶望していた時、私は、祖母の死を想った。
 そして、私の死を友人の眼から見たらどうなるだろうか?
 という動機で(動機が病み過ぎている)
 この現代長歌を書いた。

 作中主体は、祖母の死の時の私
 同時に、私が死んだ時の友人の視点
 そういう構造になっている。

 私は煙草を吸っていた。
 それは正しく悪友の入り知恵だ。
 怠惰なあの頃の鬱々さを思い出す。
 「横顔」と出るように
 作中主体を見るカメラワークがある。
 きっと高倉健の横顔などを思い浮かべていたのだろう。

 キリスト教が、誤解されているのが
 西洋絵画のように「美しい」ものだとか
 愛は、正確な定義ができないにも関わらず、それは、神は愛なりなのだから永遠に私たちは愛を捉えることができない。
 それに、これは福音だが、神の独り子が「死ぬ」のだ。
 これは、深い愛故だが、一般的には残酷だ。それに、人間イエス様は政治犯としての極刑(十字架刑)だ。だから、使徒信条にピラトの名が出てくる。

 つまり、キリスト教が説くものは、
 単純な美ではないし簡単ではないしそれ自身にアイロニーを抱えている。
 矛盾もアンビバレントも抱え、苦しむのが信仰だ。
 これはこうだ、と断定するのは危険だし福音ではない。

 このキリスト教徒としての信仰の困難さに加え、日本人はさらに苦しい信仰の困難さを抱える。
 しかし、神はそこにこそ福音を与えると私は思っている。
 矛盾が矛盾のまま包含されるところに、新たな価値がある。

 ーー弾けた

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