ミドルバース
このブログの読者は、かつて、ブログ主が、「ミドルバース」と言っていたことを覚えているだろうか。
未来二月号「吠える」は、そのミドルバース宣言を作品化したものである。
改めて、ミドルバースとは何か。と言えば、
言葉遣いはライトバースのように軽いが、過去の作品を引用することで意味上の重さを出すことを意味していた。
それで、だ。
「吠える」の解説をしなければならない。
まず、すぐ分かると思うが、この作品は「月に吠える」を引いている。
あの私の宿敵「萩原朔太郎」の「月に吠える」を逆手に取っている。
「竹、竹、竹」は、正しく彼の作品の一つだ。
彼は、神経質に、その地面を見つめて、「顔」を思っている。
西脇順三郎は、萩原の作品を笑って読んだという。
萩原朔太郎が、地を見ていたらならば「月の地面」を「私」は見ている。
この萩原朔太郎に嫉妬深い私ならではの小さな抵抗である。
ミドルバースにおける「引用」が文そのものの引用ではなく「イメージ」の引用であることが分かってもらえたであろう。
そして、ギンズバーグの『HOWL』の引用に移る。
十行長歌では、一つの引用で収まらなかった(後に苦しむことになるが)
ギンズバーグは、アメリカのビート詩人である。
同時に、ヒッピー文化的なものを私は思っているので、
「酒」だとか「たばこ」だとかを思い浮かべる。
私は、8年くらい煙草を吸ったが、やめた。
死ぬほどつらかったから、誰にも煙草は勧めない。
酒は、今では週2,3日くらいに制限できるようになった。
もはや、私は、依存症とは遠い健康体になっている。
ギンズバーグからは程遠い私が、「吠える」のだ。
(私の中での皮肉も込まれているということだ)
後は、遠すぎる隠喩を用いているが、遠すぎるので「喩」にはなっていない。
ミドルバースいかがだったでしょうか?
ライトなタッチで引用した作品と相まって重層的なイメージが浮かばないだろうか?
私は人生に向かって「吠えている」
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