海の戦火は大魚を起こす(右)

画像1 私たちは、どこに向かっているのだろうか。私の通っている教会では、牧師の考えだと思うが、交読詩編で、争いを望まない祈りの詩編が毎週唱えられている。礼拝とはそういうものである。一つ一つに意味があり、説教だけが、聖餐式だけが、意味を持つのではない。讃美歌だって報告だって一人一人の奉仕だって礼拝なのだ。「預言」とは「託宣」が本意だが、今日的には「予言」も含んでいる。それは正しくエリヤやイザヤに代表されるような「預言者」「預言書」からきている。民族的危機に陥ったイスラエル民族の観念が時を越えて私を規定する。

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