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1.出産予定日まであと1週間に迫った!から始めようと思ったが...?

初めてnoteに投稿する日が来た!           始めようと思ってからちょうど10日が経った。男性の育児休暇取得の重要性や、現代人が時間と気持ちの余裕を持つことの必要性、なんてことを書いていこうと思っているのだが、いきなり内容に入るより、     あけっぴろげおじさん(あけぴ)とゆるゆるつま(ゆるさん)の馴れ初めから振り返ってみよう。

あけぴとゆるさんは6年前の4月にカナダで出会った。30歳と25歳、青春時代というにはちと遅いが、自ら汗水垂らして貯金したお金を元手に、ワーキングホリデー制度を使った人生初めての海外長期滞在にチャレンジしに来たのだ。住まいは互いに別々のホームステイ先。英語学校のエレメンタリークラス(小学生レベルw)に通っていたあけぴ、入学して2週間後に、これまた同じクラスに入学してきたゆるさんw、二人とも小学生からのスタートである。


明るく元気でニコニコ女子のゆるさん、当然クラスではブラジル、韓国、スペイン、台湾などなどの多国籍なクラスメイト達の人気者だった。一方あけぴは年齢的に他の生徒より上だった事もあり、どちらかというと斜に構え、落ち着いた振りを見せるキャラを演出wお昼ご飯も一人外のベンチで食べて、俺大人だからさ〜と言わんばかりである。放課後もクラスメートや別のクラスの生徒とバスに乗りアクティビティに積極的に出かけるゆるさん。一方あけぴは現地で手に入れた自転車で一人すぐに帰宅し部屋で勉強。対照的である。(この時のあけぴは1日 CAD$5 約450円で過ごしていた...アルバイトを始めるまでは本当にお金がなかった..w)二人ともタバコ吸いだったので学校の喫煙所でも自然に話すようになり、初めてのお出かけは今でも仲良しamちゃんと三人で遊びに行ったジャパンフェスティバルだった。パブリックスペースでの飲酒が禁止されているバンクーバー。こっそり持ち込んだビールで乾杯したのは今では良き思い出だ。(ごめんなさい)          公園等でお酒を飲んでもお咎めない日本とは、アルコールに対する常識が大きく違う。深夜帯はハードリカーの提供も制限されるし、スーパーやコンビニでのお酒の取り扱いはなく、購入できるお店はライセンスを持ったお店のみ。バーやリカーストアが閉まる時間も早いし、缶ビールを飲みながら歩いて家に帰るのは法律違反。        この辺りは常に州法の改正等があり、規制が緩和されたり、新しい条例ができたりと、それぞれの州によって異なり、常にブラッシュアップを繰り返しているので、旅行に行く方はその時の情報をしっかりおさえて出かける事をオススメする。ワーホリ等の留学者はエージェント等が常に情報発信を行っているから、そんなに心配することはない。

その後、シェアハウスに住まいを移し、今でも交流のある仲間たちと濃密な西海岸の夏を過ごす。同じ家に住んではいなかったが、あけぴの住んでいた通称ナナイモハウスに毎日入り浸るゆるさん。優しくもクレイジーなカナディアン二人と日本人留学生たちの奇妙な共同生活。ポリスに踏み込まれ手錠をかけられるルームメイト、〇〇な人たちばかりの住まうヘイスティングストリートで毎週日曜日に開かれるブラックマーケット、日曜日を迎えるたびにダウンタウンでは多種多様なジェンダーや嗜好や思考を主張する陽気なパレードが開かれる。週末になればビールやウォッカを持って誰かしらがやってくるそれぞれのシェアハウス、一見ハチャメチャに聞こえるが、お互いを尊重し、良い意味で必要以上に干渉しないし、趣味嗜好が近ければ自然とコミュニケーションが産まれるし、なんか抜けが良い。初めての長期海外留学というアドバンテージを差し引いても何かが日本にいた時と違うのだ。                                         今になって思うのだが、これが、大陸文化と島国日本との決定的な違いなのかもしれない。侵略と和解、価値観や文化の主張に対する免疫と共存とその方法論の熟成。人それぞれ異なるのが前提で、その中でみんなが尊厳を持って生きていけるのが、家であり、街であり、州であり、国家である。住所の書き方もこの順番だ。日本はその逆である。

10月になり、一日、16時間くらい日照時間のあった夢のようなサマータイムは終わりを告げ、あけぴはバンクーバー滞在6ヶ月目を迎えた。6ヶ月もすると代謝の激しいワーホリ、留学生の世界では色んな出会いや別れを経験する事になる。「俺、ロングビーチに行ってくる!」、「私たち、メキシコに遊びに行く」、「僕たちカップルは2ヶ月のロードトリップに出るよ!」等々、もちろんビザの関係で帰国をする友人の数も増えて行く。そろそろあけぴも動くことを考えようかな?と思い、一人で考える時間を意識的に作るようになった。 若い頃から東京でお世話になってる先輩がたまたま飛行機で隣り合わせた縁で繋がった女性(Y姉さん)を紹介してもらい、彼女の働くレストランで仕事をさせてもらえる話を頂いた。一人現地に視察に行き、そこで働くことを決意する。                           場所はバンクーバーからバスで2時間半、ウィスラーという冬季オリンピックを開催したスノーリゾートだ。このころには自然と交際関係になっていたあけぴとゆるさん、「寂しいけど、自分で考えてチャレンジしていく人が素敵だと思う」という、ゆるさんの器の大きさに後押しされ、バックパックに荷物を詰め込み、住みなれていたナナイモハウスを旅立った。

ウィスラーの生活はいわゆるシティのバンクーバーとは大きく違う。明確な理由があってその場所に来ている、住んでいる人が多い。大半の人の理由は大きな2つの山、ブラックコムマウンテンとウィスラーマウンテンである。夏季はMTB、冬季はスキーやスノーボード等のスポーツアクティビティのメッカである。仕事に対する情熱も高いと感じた。山の運営や継続に関わる仕事やレストランの仕事をしている人が多い。ダブルワークも当たり前。世界的なスノーリゾートであるこの地は、シーズンになると沢山の人が世界中からその大自然を満喫しに訪れる。必然的に山の恩恵を授かった質の良い水、それを原資に作られる農作物、プライドを持ったシェフやサーバー、お金を持った観光客。意識の高いレストランが継続できる環境なのだ。幸運にも同じレストランでトップサーバーとして働くカナディアンの素敵な女性Suが、空いていた部屋をあけぴに貸してくれた。職場も住まいも、Y姉さんが日本人とは思えないグイグイパワーで話をつけてくれたのだ。このY姉さんとSuとは今でも常に交流が続いている。とても嬉しいことだ。      この間、ゆるさんはバンクーバーでジャパドッグというキッチンカーでの調理、接客を経験することによって、英語力とコミュニケーション能力を伸ばしていた。約5ヶ月の間、ウィスラーとバンクーバーの遠距離恋愛を継続していたあけぴとゆるさん。離れて暮らすことで見えてきたお互いの必要性。自分で選択して働き、生きることの意味と責任とやりがいと、それに見合った対価(対価はお金だけではない)。月並みかもしれないが、働くために生きているのではなく、生きるための手段として働いている感覚。好きなことだから、やりたくてこの仕事を選んでいるんだといったプライドによるパフォーマンスの向上。日本に比べると、圧倒的にこういった思考で生活している比率が高いと思う。                    初めての海外生活で共に学び、遊び、離れ、再会し、を経験したあけぴとゆるさん。これが、結婚して子供を授かるなんて夢にも思わなかった二人の馴れ初めである。


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