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【日々】秋の風、お月見|二〇二三年九月




二〇二三年九月二十四日

 朝、ふと振り向いたひょうしに首から肩にかけての痛みが久方ぶりに再発した。買いもののために駅前へ出てゆく。陽射しはあるけれど風は爽やか。Tシャツを通りぬけてゆく風に乗って洗剤の芳香がたち、髪がゆれてシャンプーのにおいが鼻先をかすめる。首の不調が気になって買いものはあまりできず、おまけに引き取るつもりでいたクリーニングものはそっくり忘れて帰ってきた。

 朝はホットコーヒーをいれた。午後は、アイスコーヒーになった。くちびるがかわいて、ちょっとひび割れかかっていて痛い。秋の色が濃くなったことが、生活の端々で示されている。PCに設定している壁紙や色テーマも、秋色にかえてみる。iPhoneのロック画面は坂本真綾『Lucy』のジャケットに。





二〇二三年九月二十五日

 この二日、朝方冷えを感じて目が覚める。駅までの道を急ぎ足しても、もう汗だくになることはない。道ゆく人を眺めながら、なんとなく少しおしゃれなどしたくなってくる。秋の空気にわかりやすくあてられている。



 これ以上ないくらい最悪なタイミングで仕事をまわされて、悪態をつきながら三十分残業して帰る。こういうとき、気持ちよく引き受けられない自分の小ささが哀しい。だいたい、数年前までは残業しない日なんて年に数えるほどしかない生活をしていたくせに、ずいぶん腑抜けになったもんだ。労働時間もずいぶん短い暮らしを今はしているはずで、それでもこうなってしまうのは、わたしが堕落したからなのか。

 昨日からくちびるはカサカサ。きょうは顔の皮が全体的に突っ張ったような窮屈な感じで、一気に乾燥が進んだことを身をもって識る。




二〇二三年九月二十七日

 出かける前に、預けっぱなしにしていた洋服を引きとりにクリーニング屋へいく。昨日今日と蒸し暑さが戻ってきていて、身体中じとじとする。寿司屋の前に停まった軽自動車のパステル・ブルーの車体に立派なかまきりがくっついている。写真を撮ろうとして、iPhoneを忘れてきたことに気がつく。洋服をもうひと山預けて帰ろうとすると、こんどはにゅるりと、とかげがちいさな瑠璃色をひからせて歩道を横切った。

 今朝方気がついた感情は、だれかのいちばんになりたいという歪んだ独占欲みたいなもので、邪悪だなあとおもう。この前稲荷さまで引いたおみくじにも、そんな邪は棄てないと運は逃げると書いてあったし、自分でもそんなものを持っているのは嫌だ。鍵をかけてどこか奥深くに仕舞っておきたい。




二〇二三年九月二十九日

 薬局の待合。ちいさな女の子とおかあさん。

──ママ、エルサになれる?

 長い髪を梳きながら、女の子。キラキラしてる。

──つかれちゃった。
──一度帰って、それからママがとりにいこうか? おるすばんできる?
──もうちょっと待つ! でもつかれちゃったら、帰る。
──そうだね、それがいいね。

 すっごく良い娘。おかあさんは上からものを言わずに、ともだちみたいに寄り添って、おもしろかったら笑うし、ヘンだとおもったらからかう。つかれることもあるはずだけれど、たのしく、仲良しですごしている。だから女の子も、のびのびしている。

 しりとりが始まった。このふたりのやりとりなら、ずっと聞いててもいいな。

──ステゴサウルス!
──また「ス」なの? 
──えへへ……

 昼に食べたそばが旨かった。巨大なきくらげがのっている。中秋の名月は吸魂鬼ディメンター みたいにくろい雲がうっすらかぶっていて、さほど綺麗には見えない。そういえばあしたは〝お月見会〟だったなあと思いだす。たのしみ。





二〇二三年九月三十日

 クツ屋にいく。対応してくれたスタッフさん、洗練されきってはいないけれど精一杯誠実で、バチバチに仕上がった接客よりこっちのほうが好きだなあと思う。その人と話をして、そのひとから買ったんだよなってきもちになれる。

 夕方、立川米軍ハウスに。きょうは初めましてのここで〝お月見〟。出演はだいすきな ぶいさん、白と枝さん。日中は歩いているとすこし汗ばむくらいだったけれど、到着してからは夕風がどんどん涼やかになっていってきもちが良い。からだの内側は駆けつけ一杯で貰ったハートランドで、じんわりとぬくい。そのうえをやさしく撫でて流れてゆく白と枝さんのうた。歌いおわりにあわせたように街に鳴る、「夕焼け小焼け」のチャイム。



 会場は住宅街のまんなか、なんでもなさそうな路地の一角。新聞配達のオートバイ。かけまわるこどもたち。ステージ向かいの平屋からは、夕餉をこしらえるフライパンがジュージュー鳴って、香ばしいにおいがしてくる。どこかの風呂場からは、石けんのかおり。蚊取り線香がむこうへゆく夏の背中をぼんやり映している。そんな風景のなかに、べつにとりたてて主役然とすることもなく、自然におんがくがある。きっと音楽って、本来こういうものだ。とくべつな壁や仕切りのなかで、高い舞台をみあげてしか味わえないものなんかじゃ、ないんだ。こんなシーンがごくふつうにある生活がしたい。ほんとに。ひとつの夢。おんがくのむこうには絶え間なくずっと、秋の虫のコーラスが響く。こんなに贅沢な音楽体験は、いつかの厳島神社以来かもしれないな。



〝浮〟と〝白と枝〟が、米山ミサと田中里枝になって、ハートランドの瓶をあわせるときのやわらかい笑顔。カリン、と鳴る瓶の音。わたしはふたりの音楽がそれぞれに大好き。そしてきょう初めて聴いた「ゆうれい」の音楽は、もっともっと特別になった。一足す一が、二よりも三よりもずっとずっと大きく豊かだとおもう。何度でも聴きにいきたいし、わたしの生活のなかに、これからもふたりの音楽があってほしい。



 うっかりお酒をのみすぎて、終盤でトイレに立つ。そしたら会場からじゃみえなかった月が、煌々とかがやくのがみえる。ちょっと聴き逃しちゃったけれど、ちゃんとお月見もできた。白と枝『さみどりの眠り』と、rhythm & betterpressさんでの企画で売っていた浮さん・竹内勇馬さん製作の音源を買って帰る。これ、行こうと思ってあきらめたイベントだったから手に入って嬉しいな。

 ほろ酔いのまま立川から南武線に乗って、小鳥書房に寄る。二回目の「良夜あたらよ 」。でも、蛇足だったかもしれない。入ってすぐ、せっかく久しぶりにあえたひとに思わず指をさしてしまって凹む。こういうとっさの動作とか、場つなぎをしようとおもってはさんだ言葉だとかがものすごくまずいことが、わたしは多い。さっき、物販で浮さんと話した時もそうだった。気持ちが悪い。だらしがない。そういうときに出る姿がその人の本質だとするならば、やっぱりわたしはほんとうに醜いなとおもう。とどめに帰り際、ものすごく久しぶりにむかしむかしわたしが人間未満だったころの呼び方をされて、暗い気持ちになる。ほかにたのしいこともあった気がするけれど、お酒で頭がぼんやりしていてあんまり覚えていない。エチゴビールの三五〇ミリ缶ひとつと、ハートランドをひと瓶。やっぱり、蛇足だった気がする。






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