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【日々】あのポジフィルムがほしい|二〇二三年八月




二〇二三年八月十八日

 青空とまっしろな雲、洗濯物。夏三点セット。おおきくうつくしいアゲハ蝶が、ひらひら舞い降りてくる。すこしだけ、並んであるく。となりにいるのがうれしくて、目線を送ったらその途端にどこかへいってしまう。立派なあの子は、過酷な芋虫時代を生き残って今ようやく、さいごの煌めきを全身で放っているんだ。わたしはさいごに、輝けるだろうか。

 いつもの電車に間に合った。汗だく。でも、落ち着いている。これでいい。きょうはいつもより人がすくなくて、ロングシートのとなりにかばんをおいて、ページをくりながら窓の外をながめる。毎日、こんな感じで始めたい。




二〇二三年八月十九日

 渋谷へ。来るたびに道に迷っている気がする。待ち合わせの前に喉がカラカラなのに気がついて、またちょっと道を間違えたりしてやっとこ見つけたファミマで午後ティー無糖を買う。

 ヒカリエ九階でジュンさん、ういさんと落ち合ってソール・ライター展をみる。そういえば彼は画家でもあったのだと再確認して、そして深く納得する。ライターの絵は想像以上に抽象的で、それが彼の撮る日常のスナップにも滲んでいるんだろう。絵画の高度な抽象と、街と生活という具体のあいだ。くっきりハッキリしたものがつくれないわたしには、その婉曲がとても好ましい。ジョン・ケージとジーン・クルーパのポートレートがとっても格好良かった。



 物販でポストカードを二枚買う。ほんとはあの、ポジフィルムがほしい。ライトの白い光をあびた鮮やかな色彩とシャープな線、世界を切り取ってきゅっと濃縮したようなコレクション。ずっと見ていられそうだった。


 そのままヒカリエでランチして、カフェでお茶しながら今度つくる本の話をする。レディふたりと渋谷で展覧会にランチだなんて、わたしにはあまりに高級すぎるストーリー。初めましてのういさんに、悪い印象を持たれていないといいのだけど。自分よりずっとずっと魅力的なものづくりをするお二人に、わたしは絶対に嫌われたくない。たくさんお土産をもらってしまって、凡作をプリントしたポストカードしか用意してこなかった自分が恥ずかしい。

 すこしだけ時間ができたので荻窪でおりて「本屋 title」で永井宏さんの本を買う。夏の間にどうしても一冊、永井さんを読みたかった。そしてそれはなんとなく、わたしが愛するオーナーたちの店で求めたかった。辻山さんと会計の事務的なやりとり以外で言葉を交わしたことはないけれど、カヴァーをかけてもらい、本を受けとって辞すそのすべての所作に、全力で敬意を込める。荻窪駅とお店の間、行きも帰りもぐるぐる道に迷う。

 最寄駅でおりて、ケーキを買い、ゴロゴロ鳴りながらそびえるいやな色をした雲をまだ降るなよ! と睨みつけながら帰る。夕飯済ませてシャワーをあびたら、久しぶりに猛烈にねむくなってくる。きょうは本当にお腹いっぱいな一日だったんだなあという手触りが、だんだん遠のいてゆく意識のなかにぼんやり残っている。




二〇二三年八月二十日

 町田へ。乗ったことのないバスに乗って、行ったことのないお寺をたずねる。わたしにとって、ことし唯一になるであろう「夏フェス」の日。境内で駆けつけ一本、サッポロビール。仲間とアットホームにたのしむひとたちや、演者の知己が団らんするのをたったひとりで静かに眺める。浮さんはさっきからそのへんをうろうろしてるし、いま白と枝さんがすぐ目の前を通り過ぎた。こういうときに不用意に声をかけたいと思わなくなったのはオトナになった証拠かもしれない。いや、ただの強がりか。だれも知り合いがいないからなんぼへんてこでも、自分の好きなたのしみかたで浸れるのは悪くない。ここでのわたしは完璧な名無しの権兵衛で、それはそれで安心するものなんだなとおもう。お香とうちわを買う。喉が渇くのでレモンサワーを補給。「日記屋 月日」のブースを眺めながら、自分が今渦中にいる日記というものを考える。「かもめと街」チヒロさんのzineをみつけて、文学フリマで一度だけ言葉を交わしたときのことを思いだす。



 浮さんのうたはやっぱりよかった。うた、というか、歌、でもなく唄、だなとおもった。こんなふうに、なるべく素朴に鳴る音楽がやっぱりわたしは好きで、その中でも彼女の唄うことばと声が自分の世界にしっとり馴染んでくれる。それと、白と枝さんのコーラスがとってもよかった。滲むように重なって馴染んでゆく、ふたりの声。目を閉じてシン…っとうたうその姿はまるで祈りのようで美しかった。それでいて、GOFISH・テライショウタさんと一緒にステップを踏むはにかんだ顔とのギャップがまた素敵だった。素朴な神聖さがあった。ここがお寺のお堂だから、そんなきもちになるのかしら。

 最前列でおかあさんに抱かれた赤ちゃんが時折入れる合いの手が本当にかわいくて、はじめて子どもがほしいなとおもう。その気持ちがどこまで本当なのか、そこにはやっぱり自信がない。疑いながら呑みくだす。ふわふわの髪の毛と不格好に大きな頭、やわらかそうなおてて。

 赤ちゃんもそうだし、アンコールでは馬喰町バンドも加わってのステージは終始表現すること、それをみんなで手づくりしてゆくことの多幸感で充ち溢れていて、わたしもずっとにこにこしていた気がする。そして羨ましいなとおもったし、あっち側に行きたいなとやっぱりおもった。あそこには、生きていることのたしかな手触りがあるんじゃないかとおもう。思ってしまう。終わりぎわにふっと香った、夜の山のにおい。とぼとぼひとり家路をたどりながら、音楽はしあわせをつむぐものなのだと、わたしはこうやって何度も何度も、たしかめているのだなとわかる。








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