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宮沢賢治は白菜を盗まれたか

宮沢賢治は1926(大正15年)に花巻農学校を退職したあとの羅須地人協会時代に、様々な珍しい作物を試作します。農家・農村の所得向上につなげようという意気込みだったのだと思います。

白菜もそのひとつです。白菜は、現在ではメジャーな野菜で、日本の伝統野菜と思っている人も多くいます。しかし、白菜はもともと中国野菜で、大正末期~昭和初期には地方ではまだ珍しい作物でした。地方では青菜、漬け菜、冬菜などといわれる在来野菜が今の白菜の地位を占めていました。

宮沢賢治はそんなまだ珍しい白菜を栽培して、「白菜が盗まれなかった」という詩と、「白菜を盗まれた」という詩の、両方を書いています。

なにも事件がないのに、「盗まれなかった」という詩を書くのは考えにくいことです。自分の物を盗まれるというのは、たいへん衝撃的な体験です。それを詩にするほうが自然なように思われます。
私は、白菜を盗まれる事件が実際にあって、それをもとに詩を作ったと考えます。盗まれなかった詩は、こうだったらいいという理想を書いた詩ではないでしょうか。宮沢賢治の詩には、事実をもとにしながら、結果を逆にして理想を描いたものが、ほかにもあるのかもしれません。

白菜の写真はKazu様の記事からお借りしました。

https://note.com/___aoingm_/n/n290dc19bbbc7

宮沢賢治 作「白菜畑」(盗まれなかったほう)

宮沢賢治 作「盗まれた白菜の根へ」(盗まれたほう)


#宮沢賢治 #羅須地人協会 #白菜 #盗難

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