ズタボロな経歴を語る vol.2
vol.1からだいぶ経ってしまいましたが、続きを書きます。
◾️就活=演技大会?
就活が解禁された。
面接やグループディスカッションは、就活ゼミで練習した「デキる学生」を演じる大会のようだった。
簡単に受かる会社で内定をもらって、自信をつけて本命に行く。
これがゼミの方針だった。
自分に自信のなかったわたしは、そのとおりにした。
◾️おりこうさんは数々の内定を獲得しはじめるが…
飲食チェーンやドラッグストアを手当たりしだいに受けていると、面接にも慣れてくる。
笑顔の作り方、話の緩急、うなずくタイミング、質問内容など、全ては自分の思い通り。
4社くらいから内定が出た。
周りからも褒められて徐々に自信がついた。
少しずつ本命の広告業界へと移行。するとどうしたことか、書類選考がなかなか通らない。
やっと書類が通って大阪まで筆記試験を受けに行ったり、電◯九州の一次面接を受けに行ったりもしたが、それ以上前には進めなかった。
そこで、わたしは心が折れてしまった。
◾️なぜ広告業界に入れなかったのか
なぜ内定までたどり着くことができなかったのか。
今となってはわかる。
明確なビジョンがなかったからだ。
そもそも広告業界を目指した理由がなんだったのか、思い出せない。
それくらいぼんやりとした、淡い恋心のような気持ちだったんだと思う。
広告業界に入って、何がやりたいのか。
そもそも広告代理店がいいのか、制作会社がいいのか、それとも総合映像プロダクションなのか。
職種は、営業?バイイング?マネジメント?制作?
今となってはそれぞれに大きな違いがあることもわかるが、当時は何もわかっていなかった。
つまり、浅かったのだ。
「CMをつくるのって、楽しそうだな」とかその程度だ。浅い。浅すぎる。
◾️深追いした者が勝ちかもしれない
「このCM、わたしがつくりました」
仕事をとってきた営業、進行管理をした人、デザインをした人、映像を撮った人、コピーを考えた人その他たくさんの人。
一つのCMに対して、いろんな人がこの発言をすることができるということを知ったのは、恥ずかしながらコピーライターを目指してからのこと。
わたしは何をしたいのか本当にわからない状態で広告業界に憧れていたのだと思い知ったのでした。
コピーライターになる前に通った「コピーライター養成講座」で、内定が出ていない大学4年生と一緒になった。どうしてもコピーライターになりたいのだという。
わたしは、その時点ですごい!と思ったのだが、大手の広告代理店や制作会社に正規の新卒ルートで入るとすぐに制作チームに入れることは少ない。ましてやコピーライターとなるとさらに難しいと聞く。
そんな中、彼女は内定が出ていないことに焦りつつもコピーライターへの最短距離を諦めなかった。
最終的に、彼女は中途採用の枠で制作会社の内定をもらった。
うらやましさと、くやしさと、やるせなさと、自己嫌悪が一気に渦巻いて止まらなかった。
これだ、と思った。
やりたい仕事に就くのに必要なのは
「早めに何かにハマってしまうこと」
「そしてそれに執着すること」ではないか。
これがわたしの結論だった。
少し話がそれてしまったが、わたしなりの反省と考察である。
次回、時を戻して「なぜかゴリゴリの住宅営業になる」をお送りします。
続きはこちら▶vol.3
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