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キャリアバラエティvol.45 野田邦雄さんの場合

キャリアバラエティ、今回ご紹介するのはインフラ系の企業で海外事業や新規事業に携わる野田邦雄さん。世界を相手に仕事をしていた野田さんが九州にUターンしようと思った理由や今のお仕事や家族との時間、これからのことについてお話をお伺いしました。



【野田邦雄さんのキャリアバラエティ1/6】

佐賀で家業を営む家庭の3兄弟の三男として育った野田さん。父親は教育熱心で、習い事や勉強などであまり遊ばせてもらえなかった記憶があるそうです。小さな頃は何かに一生懸命打ち込んだりすることもなく、また、目立つタイプではなかったとおっしゃいます。

高校はお兄様と同じ学校に進みます。「兄がやっていたから」という理由でラグビーを始め、応援団長を務めるなど、高校生活を謳歌していたそうです。



【野田邦雄さんのキャリアバラエティ2/6】

高校卒業後の進路選びの際は東京の大学も考えたそうですが、「兄が受験したから」という理由で関西の大学を受験。自分が何に興味があるのかはっきりしていませんでしたが、環境に関わることをやってみたいという思いがあり、加えて化学が得意だったことから有機化学の分野に進みます。

自転車で15分ほどの場所に一人暮らしをし、スキーサークルに入り、アルバイトをしたりと自由を謳歌していた1,2年次。3年生になってからは実験も始まり、学業に力を入れるようになります。





【野田邦雄さんのキャリアバラエティ3/6】

周囲のほとんどが大学院へ進学することもあり、野田さんもごく自然に大学院へ進学します。大学院へ進学したのには別の理由もありました。それは留学。学部生の頃には留学することが叶わなかったため、大学院では必ず留学しようと決めていたそうです。

大学院1年次の秋からオーストリアに留学します。ドイツ語で行われる授業にはついて行くのも精一杯。コミュニケーションが取れないことは大きなストレスだったと言います。

そんな時にドイツ人のルームメイトから「わからないことはわからないと言え!」と叱咤されます。それは野田さんにとっての大きな転機でした。変な意地やプライドは捨て、わからないことはわからないと言う、そんな姿勢に変わったのでした。






【野田邦雄さんのキャリアバラエティ4/6】

1年の留学を終えて帰国をすると、周りは就職が決まっている人ばかりでしたが、その年の選考は進んでいたため、野田さんはそのまま大学に1年残ります。

理系科目が得意で、環境に関することに携わりたいと大学院で研究していましたが、留学を経て、自分がやりたいことや得意なことは、研究よりも言葉を使ってコミュニケーションをとることなのではないか?国際的な仕事をしてみたい、と考えるようになります。

1年後、対外経済協力を行う政府系金融機関に就職、外国向け融資の評価部署や中南米での政府向け融資業務やバングラデシュでの赴任など、精力的に働きました。




【野田邦雄さんのキャリアバラエティ5/6】

海外で仕事をしたいという思いは叶ったものの、今後、家族を持ってもこのままのスタイルで仕事をしていくことに不安や疑問を覚え、九州へのUターンを決意します。金融機関時代に結婚した関東出身のパートナー共々、福岡へ。インフラ系の企業で海外事業に携わります。以来、前職とは環境や社風も異なり、戸惑いもあったそうですが、2年間のインドネシア赴任など、海外事業に関わるプロジェクト業務を中心に仕事をしています。




【野田邦雄さんのキャリアバラエティ6/6】

福岡に来てからは、共働きをしながら子育てにも奔走。世に言うイクメンの走りなのかもしれませんが、野田さんはサラリと「家事や子育てに協力すると言うのは少し違うと思う。親なんだから子どもに責任を持つのは当然のこと」とおっしゃいます。当時は子どものお迎えに父親が行くのは珍しい時代。もともと長時間働かずに短時間で成果を上げるタイプだったそうですが、限られた時間の中では取捨選択、試行錯誤しながらの日々だといいます。

今は国内の新規事業開発にも携わる野田さん。新規事業を軌道に乗せ、次の世代に引き継いでいくことが自分の役目だとお話しくださいました。

九州に戻ってきたことに後悔はなく、満足度も高い。あの時の選択は間違ってなかったとおっしゃる野田さん。家庭や職場で、どんな新しいことを次の世代に残されて行くのか、楽しみです!






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