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技術屋の字体

めっきり年老いた両親に会いに行く。
ほんの6kmほどしか離れてないのに以前は年に2回くらいしか行くことはなかった実家のマンションに、ここ最近は月一ペース。
介護の必要度が少しずつ増してきているのを感じるけど、行けば母が喜ぶ。
父も、ビールを美味しそうに飲む。

もうほとんど記号、、、(^^)

昔の話を何度もするいつもの流れの中で、ふと母が出してきた大昔の写真。
記憶にはない、僕の生まれ故郷。
60年前の静岡県庵原郡富士川町(今の富士市)の一画。
(大きくそびえる富士山が良く見える場所だったらしい)
東京オリンピックを見据えて急ピッチで進んでいた、東海道新幹線開通工事の、ある一区間が父の仕事場だった。
その近隣に建てられただろう、二階建てメゾネットタイプの社宅。
生まれたばかりの僕を迎えた、新築ピカピカのRC建築だ。
キャプションは、当時29歳だった父の字。
土木設計者らしい、記号的で癖のある字体。
さらに輪をかけて読みづらい父特有の癖字。
自分が建築設計の道に進んでから、僕はこの読みづらい字になぜか憧れた。
改めて見ると、ほんと読みづらい(^^)

工事も完成し、翌年にはオリンピックも開かれ、メンテ期間も峠を越えて、翌々年にはこっち(横浜)に引っ越してきたらしいので、僕の記憶には欠片も残っていない。
日本中が沸いた一大イベントのための一大工事の中で、片隅とはいえ怒涛の新婚生活を送っていただろう両親は、当時のことを鮮明に覚えている。
幼いころから何度も聞かされてきたせいで、そして食卓の横にはいつも、父が撮った富士の写真が飾ってあったせいで、覚えてないにもかかわらず、この写真と静岡県富士市という地名には、ほとんどノスタルジーに近い感情を持っているという、ちょっと不思議な感覚を久しぶりに味わったGW初日の昼間酒。

今の実家から見える、丹沢越しの富士

ひょっとして、父がこのマンションを選んだ決め手は、この富士の眺望なのかもしれない。

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