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農園で学ぶ、日常の間接的で見えない罪

今日、農園に行った。
1年半から近くの農園の4畝をレンタルしていて、週一度程度通っている。

農園に行って、ざっと各植物の成長を見た後にまずやることは、捕殺だ。
虫を捕らえて、殺す。

農薬を使わない農園なので、あらゆる虫が来る。
虫は、人間都合で益虫と害虫に分けられる

害虫は、植物の成長を害したり、人間の食べる部分を食べる虫。
益虫は、害虫を食べてくれたり、土を肥やしてくれる虫。

最近は、二十八星テントウムシがたくさんいる。キュウリやトマトによくついている。冬から春は、白菜やキャベツ、スナップエンドウなどに、芋虫類がいる。

それらの虫を捕らえて殺す。

丹念に育てた植物が、食い尽くされてほぼ枝だけになっている状態を見ると、少し残念に感じる。そして、虫に対してはとてつもなく理不尽だが怒りを感じる
(僕たちは、他の生物の了承を得ることなく、彼らが協力して引き継いできた土地を、勝手に自分の所有地として、そこの作物を自分のものとする不平等なルールを作っている。)

虫を殺すとき、申し訳なく思うし、殺すのは嫌だ

罪の意識という観点で、農薬を使わずに殺すことが大事だと思う。
なぜなら農薬を使うと、楽に殺せてしまって、罪悪感がないからだ。
自分たちが殺している、という罪の意識が薄くなってしまう。

また、科学的な事実を詳細に確認していないが、農薬で殺された虫よりも、そうでない虫のほうが、他の虫や微生物の良い餌になって循環するだろう。

スーパーの野菜たちを買うとき、僕たちの罪の意識はほとんど感じえない。
農薬で殺す以上に、自分が生き物の命を奪うプロセスに一切かかわっていないように感じるのだ。

誰もが様々な命を奪っていることを知っている。
でも、知っていることと感じることは違う

今の社会は豊かだなと思う。これまでの成長を支えた方たちに感謝する。
でも、大量廃棄や資源の限界、格差、環境悪化といったどうにかしないといけない問題がある。

それらの一つの共通事項は、知っているけど感じられないことだと思う。

だから僕は、食べ物などの生産を体験して、それらをリアリティをもって感じることが重要なのだと思う。


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